ムーンブルクの新女官長が、そんな風に、私的な悩みを抱えているローザを宥め賺し、剰え、彼女から持ち掛けられた『一介の女性としての悩み事』自体をはぐらかすような真似をしたのは、その、ローザが抱えてしまった私的な悩みに関して、盛大な心当たりがあったからだ。
否、心当たりと言うよりは、確信が。
────女王陛下直々に、王宮の新女官長に……、と乞われ、悩みはしたものの結局は承諾し、修行の為に出向いたローレシア王城で、彼女は、以前の同僚達に寄って集って、アレンとローザの噂を聞かされた。
冒険の旅を終える一年以上前から、アレンはローザを想っていたらしいこと。
同じく、ローザもアレンを想っていたらしいこと。
二人の──特にアレンの抱えた恋情は、傍目には甚く判り易いそれだったにも拘らず、彼は、自分の気持ちが誰にもバレていない、と盲目的に信じていた様子だったこと。
旅の最中の二度目のローレシア帰還時、アレンが、ローレシア女官長の目前でやらかしたこと。
長の旅を終え、ローレシアに凱旋した翌日の朝、王城の中庭で、二人が想いを打ち明け合っていたこと。
その『告白劇』を、女官達も侍従達も兵達も下働きの者達も、宰相や女官長まで、固唾を飲んで影から見守っていたこと。
果ては、その日の内に、アレンが、ローレシア王と王妃──即ち父母に、ローザとの婚約の許しを得に行ったことまで。
全て、かつての同僚達の口伝手で、彼女は知った。
アレンとローザには、どうしたって持って生まれた立場や諸々の事情が付き纏う為、致し方なかったのだろうが、どうやらアレンは、ローザへの『真っ当な求婚』を果たせぬままであるらしいとも、元同僚達は教えてくれて。
……だから、ローザの私的な悩みは、アレンよりの『果たされておらぬ真っ当な求婚』に絡むことだろう、との確信が彼女にはあった。
ムーンブルク新女王の仮の戴冠式と前後して、アレンとローザは正式な婚約を交わし、晴れて公に認められた婚約者同士となったのに、今はローザの左手の薬指で輝いている、婚約の儀の際に『ローレシア王家から』贈られた婚約指輪を眺めては、彼女が小さな溜息を吐いているのも知っていたムーンブルク女官長は、恐れ多くも女王陛下より悩み相談を持ち掛けられたあの時、この想像に間違いは無い筈だ、と内心では握り拳を固めてもいた。
────だが。
己の想像に絶対の自信を持ちつつも、女官長は敢えて、有耶無耶の内に全てを流してしまう風な、相談を持ち掛けたローザにしてみれば、肩透かしを喰らったような心地になったやも知れぬ受け答えをした。
彼女が語ろうとした相談の中身を勘違いしているとも取れる態度も、わざと取った。
……例えば、女官長が今も尚、ローレシア王城に仕える女官で、相談を持ち掛けてきたのがアレンだったとしたら、彼女とて、そのような真似はしない。
ローレシアの王宮内は、恐らくは初代国王だったアレフの所為で、女官長や侍従長のみならず、小間使いの少女達や下男達に至るまで、王宮内での事柄である限り、効率良く──別の言い方をするなら手っ取り早く──物事を片付ける傾向があり、且つ、相手が王妃殿下であろうと王子殿下であろうと、単刀直入な処もある。
流石に、国王陛下を捕まえてまで、そんな真似はしないが────要するに。
良く言えば、何者に対しても、その間違いを正すのを躊躇わない。悪く言えば、誰も彼もがズケズケと物を言う。……と言うのが、アレフの代から続いている、ローレシア王城の奥向きに於ける一種の伝統なので。くどいようだが、例えば相談相手がアレンだったとしたなら、ムーンブルク女官長は、彼がし損ねているらしいローザへの求婚に絡む小言を、それはもう、ガンガンに垂れただろう。
…………しかし。
現実に、ムーンブルク女官長へ、身分を忘れた女同士の話と称し、一介の女性としての悩みを打ち明けようとしたのはローザだ。
つい四ヶ月前まで、この世界で一、二を争う程に長い歴史と、古式ゆかしい独自の伝統を持つムーンブルク王家の、深窓の姫君だった彼女。
……幾ら、彼女自身が持ち掛けてきた相談事だとしても、そんなローザを相手に、アレンが色恋に関してはとんでもない朴念仁なのを滔々と説く訳にはいかぬし、「だから、もどかしくとも我慢しろ」とは尚言えぬし。
ローレシアとムーンブルクでは、王宮内の伝統も仕来りも全く異なるのだから、ローレシアの作法を持ち込んではならぬ──即ち、ムーンブルクでは何事も遠回しに、水面下で行えと、ローレシア女官長に厳しく言い含められもしたし。
何より、歴史と誇りあるムーンブルク王家の一員としても、王族の女性としても、一種独特過ぎる貞操や慎ましさを持つローザに、「アレンが、一人の男性としての求婚をしてくれない」などと言う悩みを打ち明けさせるのを、ムーンブルク女官長は良しとしなかった。
…………そう。彼女は、貞淑で歳若い女王陛下の舌の根に、町娘が言うような科白を乗せてなるものか! と暑苦しく決意したのだ、あの刹那に。
第一、下々の男女ならいざ知らず、互い王族同士の婚礼話、何も彼も整えて然るべきは殿方であるアレン様で、ローザ様に、そのような悩みを持たせること自体が間違っている筈! ……とも。
更に言うなら、女官長は、嫁ぐ日を迎えつつあるローザ
元々、彼女には兄弟姉妹がおらず、実母も、育ての親達とも言い換えられる先代の女官長も乳母や達も、そろそろ三年前にもなるあの出来事で、一度に失ってしまった。
本来ならば、婚礼前の女性として頼るべき母達が、もう、ローザにはいない。
……ならば、自分が。
過ぎる程に僭越なれど、亡くしてしまった母妃達の代わりを、叶う限り、自分が務めて差し上げよう、とも女官長は思った。
────そういう訳で。
素知らぬ顔でローザより持ち掛けられた相談をはぐらかしながらも、その裏で、『武』の国の女官出身、としか言い様の無い暑苦しさを発揮した女官長は、女王執務室を辞して直ぐ、自室に籠って文を認
『ローレシアの怖い女官長様』への目通りを求め、携えた文を託す為に。
その頃、ローレシア王城は、後二月足らずでやって来る、アレンの二十歳の生誕日祝い支度に忙しく、三年振りに彼の生誕日を祝えると、周りが俄然盛り上がった所為で、アレン自身も行事の準備に追い立てられていた。
祝いの席に招かれているローザも、
「旅をしていた時も、私達三人の誰かが誕生日を迎える度、細やかにだけれど、お祝いしたのよ」
と、周囲にあの旅の思い出の一つを語りながら恋人への贈り物を選ぶのに心を奪われていて、それが過ぎてからも、両国共に、迎える新年を祝う支度や行事に追われ、年が明けたら明けたで、ローレシアでは今度は、春の盛りに執り行われるアレンの即位の儀の支度が佳境を迎えた為、アレンは次々と襲い来る行事や式典のみに集中せざるを得ず、やはり、彼の戴冠式の招待を受けたローザは、アレンの婚約者──即ち次代のローレシア王妃としても、ムーンブルク女王としても、両国にもアレン自身にも恥を掻かせぬ支度を整えなければと張り切りつつ、整備も建築も順調に進んでいる新王都遷都の仕事にも追われていた。
その為、アレンとローザ
ローザが、ムーンブルク女官長に『立場的に特殊な婚約者を持つ乙女故の悩み相談』を持ち掛けようとしたあの直後から、彼等の逢瀬は、何故か、それまで以上に衆人環視になっていた。
いっそ、監視されている、と言った方が正しい程に。
だが、アレンが、「もしかして、自分達の逢瀬の一時
だから、即位したばかりのローレシア国王陛下は、それより暫く、恋人とのことで、一人、ひたすら悶々と悩み続ける羽目になったのだが。