「アレン?」

ローザが、もう一度アレンに庭の花を……、と言った為に、長らく二人を遠巻きにしていたお付きの女官達や侍従達は、その時、皆、彼と彼女に背を向けていた。

両陛下は、僅かだけ庭を散策しつつ中に戻るのだろう、と。ならば、館のテラスで控えているのが、陛下達のお気持ちに適うだろう、と。

……人々のそんな隙を突いて、己が立ち上がるのを留めたアレンへ、ローザは首を傾げた。

どうしたの? と。

「…………ローザ」

されど、アレンは再びその名だけを呼び、談話室で花束を贈った時のように恭しくローザの眼前に跪くと、此度は彼女の紅色の瞳をしっかり見詰めたまま、白くたおやかな左手を掬い上げる。

「あの、アレン……?」

「ローザ。この先、例え何が起こっても、必ず君を守るから。僕の、唯一人の妃になって欲しい」

取ったローザの手の甲にそっと唇を寄せ、彼は、生誕の贈り物に同じく、懐から小箱を取り出した。

先程の、耳飾りが納まっていた物よりも尚小さいそれは、色紙やリボンで飾られておらず、自ら蓋を開けた箱を、アレンは彼女へ差し出す。

「…………ア、レン……?」

「疾っくに婚約の儀も済ませた今になって、と君は呆れるかも知れないが。あの日から今日まで出来なかった、唯の男としての君への求婚を、きちんと果たしたかったんだ。……これは、ローレシア王家からじゃなく、僕から君へ贈る物だ。君も、一人の女性として、受け取ってくれないか」

────箱の中で輝いていた物は、求婚には付き物の指輪だった。

贈られたばかりの耳飾りと揃いの、希少な宝石が嵌った華奢な指輪。

石の大きさだけを比べれば、今もローザの左手を飾っている、ローレシア王家から贈られた物よりずっと控え目と言えてしまうのだろうが、アレン自身が選び、自らのみで支度し、唯の男として、生涯唯一人の妻に選んだ、唯の女へ贈る指輪。

ローザにとっては、途方も無い価値の。

「……………………あの、ね。その…………」

……だから、彼女は唯々目を瞠って指輪を凝視し、アレンから贈られた言葉にも、品にも、戸惑った風に声を詰まらせてから、『王家の婚約指輪』を辿々しく外し、右手で握り締めた。

「ローザ?」

「…………嵌めて……下さる……?」

──────光栄の至り」

外したばかりの指輪の痕が付き始めている手を、怖ず怖ずとローザが差し出せば、アレンは、その痕に再び唇を寄せ、緊張しているのが在り在りと判る手付きで、少々不器用に、彼女の手を『自身の指輪』で飾った。

「……………………アレン。本当に、嬉しい……」

「……こんなにも、君を待たせてしまった。不甲斐無い真似ばかりで、すまなかった、ローザ」

新たに左手の薬指を彩った指輪を見詰めたローザは、唯ひたすら声を詰まらせ、すっと立ち上がったアレンは、思わず彼女を抱き締めようとしたが。

「ローザ陛下。アレン陛下」

彼の腕が彼女に触れるより早く、ちょっぴりだけ離れた所から、ンンっ! との大きな咳払いが起こって、「……あ」と我に返り慌てて振り返った二人を、わざとらしくこうべを垂れたムーンブルク女官長が呼んだ。

「な、何かしら、女官長っ」

「アーサー王太子殿下が御成りの刻限です。お急ぎを」

「……あ、ああ、そうね。いけないわ、私ったら話し込んでしまって」

「ローザ陛下をお引き止めしてしまった、私がいけない。失礼した、女官長殿」

故に、アレンもローザも、極力然りげ無く、が、そそくさと近付き過ぎていた身を引き離し、取り繕いと言い訳を女官長へ告げてから、ぎこちない足取りで四阿を出た。

見られてないよな……? と。見られてないわよね……? と。二人共に、自分で自分に言い聞かせつつ。

────ムーンペタで、ローザの生誕日を祝う宴が開かれた夜。

アレンやアーサー以外の賓客達も招いての正式な祝宴を終え、昼間も使われた談話室にて、アレンとアーサーとローザが話し込んでいた頃。

水面下にて行われていた予てよりの打ち合わせ通り、ローレシアからアレンの供をしてきた侍従の一人が、旅の扉をそっと伝い、一度ひとたびローレシアに帰還した。

戻るや否や、彼は、やはり打ち合わせ通りローレシア女官長の許へ行き、ムーンブルク女官長より託された文を手渡した。

アレン達には内密の動きが悟られぬ内にと、再度、侍従がムーンペタへ向かうや否や、自室に引っ込んだローレシア女官長は、内心ではやきもきしながら待っていた文へ目を通し始める。

────指折り数えれば既に半年以上も前になる、ローレシアでは秋の直中だったあの日、秘密裏に訪れたムーンブルク女官長──かつての部下が掻い摘んで語った話と、詳細が綴られた文により、ローレシア女官長は、ローザの抱える悩みを知った。

要するに、ムーンブルク女官長は、アレンやローザにしてみれば選りに選って、ローレシアの怖い女官長様へ事の仔細を垂れ込んだのだ。

その所為で、ローザの『立場的に特殊な婚約者を持つ乙女故の悩み』は、双方の女官長にとっての懸案と化し、垂れ込みを受ける以前より、アレンの『個人的求婚事情』を知っていた彼の婆やは、「ならば、アレン様を追い込んでしまおう」と、恐ろしい決定を下した。

……よわいは重ねているが、ローレシア女官長とて女性で、生家は爵位を持つ家柄。決して口には出せぬが、ローザの気持ちは能く判った。

蝶よ花よと育てられながらも、大国の跡取りとしての現実に向き合わなければならなかったムーンブルクの王女でも、恋する殿方と結ばれる際には、乙女らしい夢の一つや二つ見たかろう、とも思った。

それに。

王家同士の婚約こそ果たせど、アレン個人とローザ個人の間での誓いが滞ったままならば、両人にとっては婚約者同士とは言い難い、と解釈出来なくもなく。だと言うなら、『婚約者でも何でも無い王族の男女』に逢瀬を許す際の仕来り通り、何があろうとも些細な間違い一つ起こさせぬ、厳しい態度を取るのが当然だからして。

そんな状況に追い詰められるだろうアレン様が、ローザ様への求婚を踏ん切るように事を運ぼう。──と、アレンの婆やは決めた。

…………彼女のそんな決定は、直ぐさま王妃に伝えられ、アレンの母妃の賛同を得た直後、両国の王宮内に秘かに触れられ、二人には手も握らせない程に徹底した『仕来り包囲網』も敷かれ、数ヶ月の時は要したものの、婆やの思惑通り、『鈍いアレン』でも流石に切羽詰まったのが手に取るように判ったが、彼の周囲は、揃って知らん振りを決め込んで────

────が、届いたばかりの件の文には、漸く彼の重たい腰が上がり、双方の王宮一丸の企みが、やっと果たされた旨が綴られていたので、文を読み終えたアレンの婆やは、一人、納得の頷きをした。

文には、婚約の証としてアレンがローザに何を贈ったのかも、その際の様子も、目を瞑れる範疇でアレンの求婚が終わった──正しくは打ち切らせた──ことも書かれていた為、満足そうな顔になった彼女は、丁重に文を折り畳むと、王妃殿下への目通りを願うべく、自室を後にした。

そして。

丁度その頃、遣いを果した侍従を旅の扉前で出迎えたムーンブルク女官長も、アレンの婆やに同じく満足気な表情をしていた。

この上無い達成感も覚えていた。

…………が、ムーンブルク女官長は、

「お二人は、晴れて、一点の曇り無い婚約者同士になられたのだから、これでローザ陛下の悩みも消える筈だが、御婚礼の日を迎えられるまでは気を抜いてはいけない。今後のことも、ローレシアの女官長様にご相談させて頂かなければ」

との決意も、誠に暑苦しく固めていた為──結果。

『個人的な婚約事情』を乗り越えて尚、アレンもローザも、翌年の春、ローレシア・ムーンブルク両国にて華燭の典を挙げるまで、儘ならぬ逢瀬事情に秘かに頭を痛める羽目になったのは、言うまでも無い。

End

後書きに代えて

書けば書く程、うちのローレシアの方々は、色んな意味で駄目さ加減が増している気がして仕方無い。

──ローザにも、プロポーズや結婚式等々に対する夢はあっただろうと思うのです。王女故に最初から諦めてはいた、でも、乙女故の憧れとして、見るのを止められなかった夢みたいなものが。

しかも、この手の世界観の王族としては良い意味で予想外な、相思相愛の相手と結婚出来る、となれば殊更に、夢の一つや二つ見るんじゃなかろうか、と思ったので、その辺を書いてみようじゃないか&アレンにもプロポーズを果たして貰おうじゃないか、と挑んでみたです。

結果、毎度毎度の、「ローレシアってー……」な話と化した感がヒシヒシと漂うのは、ご愛嬌、と言うことで一つ。

だって、うちの話のローレシアの皆様、揃いも揃って暑苦しいんだもの(笑)。

──それでは皆様、宜しければご感想など、お待ちしております。