それから、数ヶ月が経った。
ロト三国全てが公に『ハーゴン討伐の為の旅』と認めたそれを続けているのだから、アレン殿下達は、もう本懐を果たすまで帰城はされないのだろう、とローレシア王城の者達は思っていた。
だが、アレンが旅立ってより一年弱が経った、その年の秋が深まり出した頃、突如、彼等が帰国して、詳しい事情を知る由も無かった下働きの者達が抱えた、「一体、何事が?」との疑問が晴れるより早く、地下牢に捕らえられていた邪神教団の神官──その正体は魔物だったそれと、アレン達が一戦やらかす大騒動が起こって、更には、イオナズンと言う、ローレシアの国民達は疾っくに幻と化してしまったと思っていた、最高位の魔術まで操ってみせた魔物への止めをアレンが刺した為に城内に齎された興奮も覚めやらぬ内に、客間で休んでいた筈のローザが酷く取り乱してしまって云々、との騒ぎが起きて。
────その日の夕刻頃、漸く、ローレシア城内は落ち着きを取り戻し始めたが、例の厨房は、二つの意味で騒がしいままだった。
彼の場所が、その日のその時も騒々しかった理由の一つは、言わずもがな、もう間もなく訪れる、夕餉の為の支度を整え切らなくてはならなかったから。
……そして、もう一つは。
「一寸! 聞いた?」
「聞いた聞いた! あの話でしょ!? アレン様とローザ様の!」
「そうそう、それ!」
…………そう、もう一つは。
侍医達にも手が付けられぬ程に取り乱してしまったローザを落ち着けるべく、アレンが、女官長達の制止も振り切り、夜着姿で彼女の寝所に飛び込んで、剰え、人目も憚らずに抱き締めたらしい、との話が、厨房に詰めている彼等の耳にも届いたからだ。
故に、配膳台に金縁取りを施された白磁の大皿を並べ、盆には銀食器を並べ、としながらも、女中達はきゃあきゃあと姦しく語り合い、
「実は結構、大胆なんですかね、アレン殿下って」
「いやー……。大胆と言うよりは、あれじゃないか? ローザ殿下のこと以外、何も見えてなかったって奴?」
「……あー…………。殿下、そういう処ありますもんねぇ。一途、って言うんでしたっけ?」
「一途と言うか、真面目と言うか、良くも悪くも融通が利かないと言うか。……ま、そんな感じだな」
「…………確かに」
先程焼き上がったばかりのパンを切り分け中の料理人見習いの少年と、パンを籠に盛っていた料理人の一人も、聞き付けたばかりの『話』をネタに、好き勝手言い合っていた。
「貴方々。アレン殿下相手に、良くも悪くも、なんて言い方は宜しくありませんよ」
「まあまあ、そう言わず。悪気があってのことでなし。それだけ、殿下は生真面目だと言うだけの話だよ。それくらい、ローザ殿下のことを、と言う話でもあるだろうけどな」
「それは、まあ。……でも、料理長。それって当然じゃありません?」
「当然? 何が?」
「色々がですよ。ムーンブルクが、あんなことになってしまったんですもの、一寸したことででもローザ殿下が取り乱されるのは当然のことですし、お労しいローザ殿下をアレン殿下がお慰めするのも、私は当然だと思いますけど」
「秘かに想い合う、若いお二人だから、余計に?」
「…………ええ、まあ。そうとも言います」
噂話に忙しい彼等を、若干顔顰めた女中頭が嗜めたけれど、彼女も又、出来上がりつつある料理の味付けを確かめていた料理長と話し込んでしまい。
「……ああ、そうそう。そう言えば。やっぱり、出所は女官や侍従の皆さんな噂なんですけどね」
「え、何かお二人絡みの、別の噂があるの?」
「アレン様も、ローザ様も。ご自分の気持ちが誰にもバレてないと思い込んでるらしいですよ。特に、アレン様が」
「……嘘。あれで?」
「そうです。あれで」
「あんな騒ぎも起こしといて?」
「はい。あんな騒ぎまで起こしても」
「…………或る意味、大物ね、殿下ってば」
「ですよねーーー。俺もそう思います」
その傍近くの流し台では、一番下っ端な下働きの少年と小間使いの少女が、洗い物をしながら話に花を咲かせた。
「────料理長」
……と、そこへ。
女官長──アレンでも、未だに怖いと秘かに恐れている彼の婆やが、一種独特の威厳を滲ませつつやって来て、厨房内を賑わせていた噂話は、ぴたりと止まる。
「これは、女官長様。何か?」
「ローザ殿下がお目覚めになられましたので、急ぎ、お食事の支度を。お体に障らない献立で」
「ああ、それでしたら、既に支度が整えてございます」
アレンでさえ怖いと思うのだ、彼等にとっても女官長は、一言で言えば『怖い』存在で、王城で下働きをしているとは言え、年齢は未だ十代の少年少女達などは、「鬼が来た」とでも言いたげな顔をし、しらー……、と彼女から目を逸らしたが、目敏く気付き、そんな彼等をギロリと一睨みした女官長は用向きを告げ、料理長は恭しく答えた。
「そうですか。では、宜しく頼みます。アレン殿下とアーサー殿下にも、ローザ殿下のお献立と同じ物を。──それから」
彼の答えに満足の頷きを一つ返し、が、敢えて姿勢を正した女官長は一同を見回して、
「はい?」
「殿下方のお噂を、声高に語るなど以ての外です。この王城の、延いては王家やローレシアの品位が疑われ兼ねません。……以後、慎むように。物には何事も順序があるのです。万が一、事実無根で不埒な噂が蔓延してしまったら、取り返しが付かないではありませんか」
キッッ! ……と、迫力としか言い様の無い眼力で人々を見据えると、説教を垂れてから、彼女は踵を返した。
「…………怖い……。相変わらず怖い……」
「ほんと、何時でも怖いわよねぇ、女官長様……」
殿下方のお食事の支度、と言う、女官長の地位にある者が、わざわざ厨房なぞへ足を運ぶ必要など無い用向きを引っ提げてまでやって来たのは、何かと噂好きな使用人達に釘を刺す為だったようで、彼女が去って直ぐ、給仕担当の青年の一人と女中の一人は、ふるふると肩を震わせたけれど。
「あら? 一寸待って?」
ん……? と別の女中は首を傾げる。
「え、何?」
「変な噂が立ったら取り返しが付かなくて、順序を守らなきゃ駄目な物事って……。……え、もしかして、女官長様も、お二人は行く行くは『そういうこと』になるかも、って想像してるってこと?」
「……あ! そうかも! じゃあ、女官長様も暗黙の了解って奴!?」
「でも……。水差すようだけど、それぞれ、ローレシアとムーンブルクの跡継ぎなのに?」
「…………それもそうね。けど、その辺は、誰かが何とかするんじゃない?」
「誰かって、誰が」
「例えば……、陛下と王妃殿下が、とか?」
「んな、無茶な」
「ま、何とかなるんじゃない? その辺のことは、あたし達が悩んだって仕方無いんだし、今はあれよ、アレン様の折角の『春』を喜んどけばいいのよ、多分!」
「『春』ったって、前途多難っぽいけどなー。特に、『あれ』で、自分の気持ちがバレてない、とか信じちゃってるアレン様の奥手っぷりとか、問題だよなー」
「何だ彼んだ言っても、アレン殿下も箱入りだもんねー」
「そういう処も擦れてないってのは、美徳ではあるけどなー……」
首傾けたまま、彼女が、「さっきの一言って……」と、女官長の言葉の裏を探った所為で、水を打ったように静まり返っていた厨房は、再び勢いを取り戻し、一同は、仕事で無く噂話に精を出して、終いに彼等は、「うわー、そういうことなんだー! 女官長様も、本当は判ってるんだー!」と、わーわーきゃーきゃー騒ぎ立て、序でに、アレンの『能天気』っぷりを呆れたり嘆いたりもして、やがては、一同揃ってご機嫌で仕事に勤しみ出した。
きっと、そう遠くない未来、我等が王子殿下が、それはそれは美しい王女殿下と華燭の典を挙げるかも知れない、しかも、このローレシア城で! と、気の早い想像を巡らせつつ。
End
後書きに代えて
ご協力をお願い致しました、2014年のサイト開設記念企画アンケートで頂いた、『ロレムンで:日常のなかに垣間見えるロレムンのはたからみたらバレバレな恋愛』とのリクエストに基づき書かせて頂いたものです。
アレンのローレシア帰国時@一回目と二回目に、実は繰り広げられていた王城の皆さんの噂話編。
……うん、あんなこと仕出かしといて、バレてない、とか思う方が間違いだと私も思う。
と言う訳で、王城の皆さんに噂話に勤しんで貰ったのですが、ちょーっと、『日常の中に垣間見える』と言う部分から逸れたような……。……日常。日常、かな。…………すみません(汗)。
──尚、このネタも、本編に絡んでいるので、『ROTO』本編の舞台裏な短編の中に組み込ませて頂いちゃいました。
リクエスト下さった方、有り難うございました。お楽しみ頂けましたら幸いです。
──それでは皆様、宜しければご感想など、お待ちしております。