─ Moonbrooke〜Swamp of poison ─

手に出来たのは、雲を掴むような話でしかなかったが、動いてみないことには始まらぬと、翌朝より、彼等は大陸を東に行った。

一旦、キメラの翼でムーンペタへ戻ろうか、との意見も出たけれど、ああでもない、こうでもない、と言い合った結果、一先ずは地図を元に、王都周辺の集落を片端から訪ねてみよう、と決めたので。

思い出すのも躊躇われる程、ムーンブルク王都の有様は惨たらしかったが、今の処、魔物達に襲われた形跡は王都以外にはなく、周辺の無事は充分期待出来た。

そして、もしも期待通り、大陸中央部に位置する王都以外の集落が無事であるなら、手掛かりに繋がる何かも拾えるかも知れない、と二人は考えた。

最悪でも、王都を強襲した魔物の軍勢が引き上げて行った方角だけでも掴めれば、教団本拠へも続く彼等の足取りを辿れる、とも考え。

王都を発って三日後、二人は集落を見付けた。

村とも言えぬような小さな所だったが、無事だったそこに辿り着けただけでも幸運と言えたのに、彼等は早くも、より大きな幸運に恵まれる。

集落の人々の殆どが、彼等が求めていた手掛かりに繋がる目撃者だったのだ。

……ムーンブルク王都陥落の夜、轟いた激しい瓦解音に眠りを妨げられた集落の者達は、一体何事が起こったのかと、夜半、赤々と染まった王都方面の夜空を、何時までも見上げていたらしい。

仔細は判らずとも、王都に異変が起こったことだけは容易に悟れ、不安に駆られながら立ち尽くすしかなかった彼等の頭上を、夥しい数の有翼の魔物達が、南を目指して飛び去って行く中、数匹の魔物だけが急に方向を変え、東の空に消えたのを、彼等は見ていた。

…………この国の王都から見て、ほぼ真東に当たる一帯には、東海へも続く大河やその支流が縦横無尽に流れている。

支流の支流でもない限り、或る程度の大きさの船ならば行き来も出来る深さと幅を持つ、緩やかな流れの大半を、ムーンブルクの人々は運河の代わりにしていた。

その辺りは、河や、その中州や、人には越えられぬ山々の連なりが複雑に入り組んでおり、陸路を拓くよりも、船路を用いた方が余程便利で速く、最盛期は、国内最東部に置かれた港を経由しデルコンダル王国へも至る定期船まで通っていたが、魔物達が蔓延るようになってからは船路も廃れ、河畔沿いに築かれた街々も幾つも姿を消してしまい、何時しか辺境と移ろった。

今では民家も人影も少なく、往く旅人もいない。

……そんな地域目指して、数匹の魔物のみが飛び去ったと言う目撃談は、二人にとっては希望だった。

朧げ以上に霞んでいた手掛かりが、少しだけ形を取った気もしたし、それに。

集落の者達から仕入れた目撃談を念頭に置き、改めて地図を開いてみたら、東部を流れる河川の、現在は廃れてしまった船路を使えば、陸路やムーンペタ近郊の港を経由する海路よりも格段に早く、ムーンブルク王都とローレシア王都を行き来出来る、とアレン達は気付けた。

だと言うなら、魔物達が生んだと言う毒沼は、ムーンブルク東部の河川沿いの何処かに、との可能性が上がるのにも。

河川の所々に掛かっている、跳ね上げ式の橋を動かす者も絶えて久しい故に、商船や民間船での行き来は不可能だが、軍艦なら。ローレシア海軍の誇る艦なら恐らく、橋を壊しつつ進めるし、壊せずとも、そこよりの上陸作戦を展開出来る。

だが、例えば上陸箇所に毒沼のようなものが広がっていたら、ローレシアの兵士達は、その場で立ち往生を強いられる。

王族からして魔力を持たぬローレシアの軍には、サマルトリアやムーンブルクが抱えているような魔法兵団がない為、魔物の瘴気から生まれた毒沼の清めも、それでもそこを渡ろうとする者の癒しも出来ない。

故に。

あの頃に、縦しんば、邪神教団のムーンブルク王都強襲計画が事前に洩れるようなことがあったとしても、ローレシアからの軍隊派遣は間に合わない計算になり、つまり、そもそもはローレシアからの援軍を阻む為に拵えた毒沼が、ラーの鏡の隠し場所としても利用された、と言う仮説──単なるラーの鏡の隠し場所として毒沼を生んだ、と言うそれよりは、少々だけ現実味を帯びた仮説も立てられなくはなく。

──正体は判らないが、己達の祖国の為に何やらをしようとしてくれている気配を二人より感じたのだろう、事細かに気遣い、親切にもしてくれた集落の人々が丁寧に教えてくれた道を辿ったアレンとアーサーは、一日半程で河川の畔に出、以降は河沿いを行った。

上手くすれば、今でも使用に耐え得る手漕ぎ式の小舟なら見付かるかも、との人々の話通り、極力水辺より離れぬように進んだら、一寸した川遊びに使う程度の用なら足せる、とてもとても小さな舟が拾えたので、「無いよりはまし、歩くより速い」と、二人して口々に言いつつも、内心では、転覆だけは御免だと祈りながら徹夜で河を下って。

翌、早朝。

彼等が乗り込んだ、河の流れに翻弄されつつ草舟よりも危なっかしく進んでいた小舟は、一つ目の跳ね橋にぶつかった。

小舟ならば楽に潜れる大きな跳ね橋の出現を受けて、舟を降りた彼等は、己達の立てた仮説に従い、この河川をムーンブルク王都目指して遡ったローレシア海軍が、行く手を阻む跳ね橋を破壊出来なかった場合の上陸箇所に出来そうな場所を探し歩き。

………………漸く。

本当に漸く、二つ目の跳ね橋の袂に広がる、腐れ爛れた大地──毒沼を見付けた。

「あった…………。……あったぞ、アーサー!」

「よ、良かった……。本当にあった…………」

やっとの思いで見付けた沼地を前にして、二人は、腰を抜かした風にしゃがみ込む。

不安な気持ちに潰されそうになりながら、正誤を疑いつつ立てた仮説が当たった喜びや、目的の場所を発見出来た嬉しさや、安堵を得、緊張を手離せた代わりに伸し掛ってきた疲れに、膝が笑ってしまって立っていられなかった。

「でも、今度はこの中から、何とかしてラーの鏡を見付けないとですね……」

「そのことなのだけれど。アーサー、僕が行って探して来る」

許されるなら、このまま寝てしまいたいとすら思い、が、二人は何とか気力を振り絞って。ぺったりと地面にしゃがみ込んだまま、如何にしてラーの鏡を探し当てるかを思案し始めたアーサーへ、アレンは、単純且つ確実な、されど命の保証の無い方法を選ぶと言い切った。

「…………は? ちょ……一寸待って下さい! アレン、何を言ってるんですか。僕達が直接浸からなくても、ラーの鏡を探す方法くらい……! 只の沼じゃないんですよ、魔物の瘴気が生んだ沼なんですよ! それに、ここが本当にラーの鏡が隠された沼なのかどうかも判らないのに!」

「だが、浸かる以外に、どうやって?」

「それ、は…………。で、でも、だったら二人で探しましょう?」

「駄目だ。こんな沼だからこそ、僕一人の方がいい。手分けすれば早いとは判っている。でも、僕には魔法が使えない。ラーの鏡を探すには、毒沼だろうと浸かってみるしかないのだから、死なずに済ます為には、君のホイミやキアリーに頼るしかないんだ。ここに来るまでの間に、薬草類は使い果たしてしまっているのだし。癒しの魔術を唱えるにしても、一人分で済ますに越したことはないだろう? その分、長く探せる。……だから。その代わり、君には、そういう意味での負担を掛けることになるし、君だけで、魔物の気配に気を配って貰わなくてはならなくなるけれど」

無謀な意見に、アーサーが悲鳴めいた抗議の声を上げても、アレンは主張を引っ込めず、

「全く、アレンは…………。…………判りました。でも! 今直ぐ飛び込むのは駄目ですからねっ。ラーの鏡に込められている筈の魔力が感じられるか試してみます。上手くいくかは賭けですけど、試すくらいはさせて下さい」

盛大な溜息を吐き出したアーサーは、渋々承諾し、集中を始めた。

「………………んー……。はっきりとは掴めませんけど、でも……多分、沼の右側、かな。そちらが怪しいです。何かがあるような、ないような……」

「判った。なら、その辺から探してみよう」

「だからって、ラーの鏡とは限りませんよ……?」

「固より承知の上。探す所が限られただけ有り難いよ」

そのまま、待つこと暫し。

自信無さ気に、辿々しく言ったアーサーへ微笑んでみせたアレンは、勢い良く立ち上がり、上着を脱ぎ去った。