「さてと。……アーサー。この先、どうする?」

「……正直。それは難しい問題だと思います」

客室の窓を開け放ち、少々淀んでいた空気を入れ替えながら、アレンは窓枠に、アーサーは自身が使用中の寝台に腰掛けた。

「…………そうだな。姫は、一先ずローレシアにお連れするとして……」

「ええ。姫が回復されたら、僕達が供をしてローレシアまで、と言うのが、一番穏便だとは思うんですよ。ロト三国の盟主はローレシアですから、サマルトリアで姫を、って訳にはいきませんし。それに、僕にしてもアレンにしても、城を飛び出た理由はムーンブルクへ行く為でしたし、姫だって助けられたんですから、そういう意味では目的達成で、何方の国でも、ムーンブルクの有様をその目で確かめれば、僕達も大人しく戻って来ると考えてると思うんですよね」

「同感。だが……、それではもう、事は済ませられないと僕は思う。恐らくは世界の破滅とやらの為だけに、ムーンブルクをあんな姿になるまで滅ぼした邪神教団のハーゴンが、何をどうしようとしているのか、もう少し探ってみなくてはいけない気がするんだ。誰かが何とかしなければ、あいつらの望み通り、きっと世界は終わる。勇者ロトや曾お祖父様のように、ハーゴンをこの手で……、と言ってみたくはあるけれど、今の僕では、そんなこと、大それた夢で終わるだろうくらいの自覚はあるから、せめて、自分に出来る範囲で何とかしたい」

「僕も、そう思いますよ。僕──いえ、今の僕達が、僕達だけで、魔物の軍勢まで従えるハーゴンに立ち向かうのは無謀なんでしょうけど、僕達に出来ることくらいは、って。それに、今、自由に動き回れるのは、出奔中な僕達だけです。ムーンブルク王都を陥落させたきり、邪神教団は目立った動きを見せてませんし、ローレシアやサマルトリアには目もくれてないみたいな感じですけど、何時、教団の軍勢に襲撃されてもおかしくありませんから、両国共、その為の備えで手一杯の筈です。ローレシアやサマルトリアに限らず、何処の国でも似たようなものかと」

「多分な。そういう意味では、確かに、動けるのは僕達くらいだ」

そこまでを語り合って、疾うに秋が深まったこの季節でも爽やかな風を運んで来るムーンブルクの空を、ふと、口を噤んだアレンは見上げた。

────あの夜。

己にも出来ることがあるなら、一人ででも、一人の人として、ムーンブルクへ行こうと決め、城を飛び出した。

『魔』の国を突如襲った悲劇を自ら確かめ、一つでも命が救えるなら、と願った。

邪神教団の大神官ハーゴンが、世界を滅ぼそうとしていると聞かされても、そのようなことは二の次と思っていた。

そして、今。

あの夜の想いは叶い、ハーゴンは、未だ『遠い』。何処か、夢のように。

………………でも。

「…………アーサー」

「はい。何ですか、アレン」

「姫をローレシアにお連れしたら。僕は、旅に戻る。行ける所まで行く。決めた」

──でも。

己は再び、旅立つべきだ、そう思い定め、晴天の空よりアーサーへと眼差しを戻したアレンは、力強く言い切る。

「……僕は、じゃなくて。僕達は、でしょう?」

すればアーサーは、僅かに顔を顰めた。

「君は、いいのか、それで。何時戻れるかも判らない旅に出るなどと知れたら、僕も君も、今度こそ、廃嫡されるかも知れないし、勘当されるかも知れない。王命に背いた謀反人とされるかも知れない。……何より。本当に、死ぬかも知れない。…………それでも?」

「…………愚問ですね。アレンは、行くって決めたんでしょう? 僕も、行くと決めました。アレン一人で行かせるつもりなんかありません。アレンだって、僕一人で行かせるつもりなんかないでしょう? ……リリザでも、似たような話をしましたけれど。あの時と同じで、アレンが嫌がっても僕は引っ付いて行きます。最後まで」

これより始まるのは、褒められたものではない旅なのに、共に行く、と静かに言った彼の意思と決意を確かめる風になったアレンに、アーサーは益々顔を顰め、

「……………………判った。なら、もう止めない。……アーサー。改めて、宜しく」

「こちらこそ。改めて、宜しくお願いします」

そうまで言うなら、と窓辺を離れたアレンは、つい、と立ち上がった彼へと手を差し出した。

手は、しっかりと握り返され、運命の道連れとなった二人は、今日までの旅の中で生まれた絆を確かめ合うように、暫し抱き合う。

「アレン。計画だけはきっちり立てときましょうね」

「計画? 旅の?」

「いえ、旅程とかじゃなく。ほら、どうしたって一度、姫を連れてローレシアに戻らなくちゃなりませんから。戻った途端、軟禁もどきな目に遭うかも知れないじゃないですか。そうなった時の為の、脱走計画は立てとかないと」

「……あ、確かに。父上も、二度は見逃してくれないだろうからなあ……」

「でしょうねー。ですから……────

そうしてしまってから、何となしの照れ臭さを感じ、咳払いしつつ離れると、アーサーはケロリと佇まいを塗り替え、うきうき、ローレシア王城よりの脱走計画を立て始め、盗賊か何かになった気分だなあ……、と他人事のように思いながら、アレンは彼の語りに耳を貸した。

真実、まるで盗賊団の如く、それはもう入念に、アーサー主導でローレシア王城脱走計画を練った二人は、階下に降りて夕食を済ませた。

後は湯浴みして寝るだけ、と部屋に戻り、共同の浴室へと向かう支度を始めた彼等の手を、静かに扉を叩く音が止めさせる。

「はい?」

「失礼致します、殿下」

「……ああ。どうした?」

「ローザ姫様が、殿下方とお話しになりたいと仰せです。お越し頂けますか」

「判った。直ぐ行く」

扉を開けたのは、ローザの世話を託した元女官で、言われるまま、アレンとアーサーは腰を上げた。

────本当にいいのかと、元女官の彼女に念の為の確かめをしてから入った、己達の部屋の隣の、対面を求めてきているローザの為の小さな個室は、この三日程の間に、少々趣を違えていた。

どうやってか持ち込んだらしい小机や、その上に置かれた茶道具や、窓辺と寝台脇に飾られた花瓶に活けられた花々が、簡素な宿の一室を彩っていて、僅かながらも焚いた様子の香が、微かに薫った。

それらは全て、少しでも、ムーンブルク王女に相応しい室内にしようと励み、心から彼女を気遣う元女官の手によるもので、アレンもアーサーも、彼女に王女を託したのは正しかった、と顔を綻ばせ、壁際に設えられた寝台の中央辺りに浅く腰掛けていた、少女へと眼差しを移す。

……辺境に近いムーンペタでは、旅人の為の品は溢れていても、王侯貴族に相応しい物はなかったのだろうし、見付かったとしても、アレンが渡した革袋の中身だけでは、到底、手の届かぬ額だったのだろう。

少女──ローザが袖を通していたのは、町娘が着るような、簡素で飾り気のない木綿の服だった。

但、仕立ては良さそうで、肌を晒さずとも済むよう袖も裾も長く、清潔さ溢れる白が基調で、生地の粗末さ以外は、彼女にも似合いに感じられた。

ローザ自身が、満足しているか否かは兎も角。

そして、改めて見遣った、そんな衣服に身を包んだ彼女の面は、顔色こそ紙の如くであったけれども、先日のあの時よりも更に美しく思えた。

髪と瞳の色こそ違えど、曾祖母ローラにそっくりだ、とも。

「アレン王子殿下。アーサー王子殿下。わたくしが、ローザ・ロト・ムーンブルクです。この度は、本当に有り難うございました。元の姿に戻れるなんて……。もうずっと、あのままかと思いましたわ…………」

──部屋の趣を最も違えさせている彼女の美しさに目を奪われて、その眼前に立ち尽くしたまま、迂闊にも話し掛け損なった少年達へ、ローザは、静かな声で礼を告げた。