─ Moonpeta〜Tower of Wind ─

実の処。

ローザの固い意志の前に折れて、彼女をも共にの旅を受け入れはしたものの、そう簡単に事は運ばないだろうな、とアレンもアーサーも内心では思っていた。

王都は滅ぼされてしまったが、ムーンブルクの国そのものが滅亡してしまった訳でもないのに、何時までも、国王夫妻や彼女の生死を不明にしておくのは、どう考えても得策ではない。

隠した処で、何れ国王夫妻の崩御は周知になるだろうから、一刻も早く、ムーンブルクの次期女王に即位出来るローザの無事を公にしなければ、国そのものの存続が危うくなるので、彼女の望みは叶わない──即ち、そういう意味でも彼女に旅は無理だ、と。

だが。

翌日、泣き腫らした顔でアレンとアーサーの部屋へやって来た彼女は、二日だけ旅立ちを待って欲しい、と言い残して何処いずこへと消えてしまい、戻って来るや否や、何でもない顔をして、ムーンブルクのことは気にしなくてもいいから、と少年達へ告げた。

その辺りのことを、気にされているでしょう? とも。

詳しくは国家機密だから内緒、と濁したが、ムーンペタには、国の有事に備えた何やらがあるらしく、後のことはそちらに任せてきたからと、きっぱりローザに言い切られた二人は、交わした約束通り三人で旅に出る他なくなり、連れ立って道具屋や武器屋に出向き彼女の旅支度を整えてから、六日近くも逗留したムーンペタの街を、ローレシアの元女官の彼女のみに見送られつつ発った。

「あの。お願いがあるのですけれど。宮廷内のような言い回しは止めて頂けませんか。私も改めますから。宜しいでしょう? ……じゃなかった、いいでしょう?」

「それ、は……まあ。姫さえ構わなければ」

「姫ではなく。ローザ、と」

「…………判った」

「何時まで経っても、アレンは、ちょーっと頭が堅いですね。もう少し気楽に行きましょ。ねえ? ローザ」

街中では見付けられなかった女性用の帽子代わりの頭巾──姫君の旅立ちを知った元女官の彼女の手による、赤紫色したそれを目深に被り直しつつ言うローザに、アレンは何となくのぎこちなさを、アーサーは誰に対しても変わらぬ親愛を見せながら、彼等は街道を北東へと向かう。

「それはそうと。風の塔は、ムーンブルクの東南部にあるんですよね? 道中に、町や村は余り期待出来ませんから、無理しないで下さいね、ローザ。最初から頑張り過ぎると、辛くなっちゃいますから」

「ええ。有り難う、アーサー」

「風の塔か。すんなり、風のマントとやらが見付かるといいんだが」

────彼等が向かおうとしているのは、ムーンペタより北上しつつ険しい山脈を迂回し海沿いへ出て、以降はひたすら大陸の東海岸沿いを南下し、大河を渡った先に位置する草原地帯の西部にある、風の塔と呼ばれる場所だった。

遥か以前──言い伝えでは、勇者ロトが大魔王ゾーマを討ち果して暫くが経った頃らしいが──、当時のムーンブルク国王が、風の精霊の為の祭壇として建造した塔で、そこには精霊から授かった、風のマントと呼ばれている物が安置されている。

そのマントを手に入れるのが、彼等の旅の手始めだった。

前夜、三人揃って旅程の相談を始めてはみたものの、「ロンダルキア大陸へ向かいたいけれど、行く術がない」と悩んだ少年達に、ローザが、風のマントを手に入れれば何とかなるかも知れない、と言い出した故に。

──邪神教団の噂が人々の口に上り始めて久しいのに、禍々しい異形を神として崇めることと、教団の頂点に君臨するのが大神官ハーゴンと呼ばれる者であること以外を、人々は知らない。

何処いずこを、教団聖地──本拠として定めているのかも。

そんな、全く以て正体不明な教団に関する手掛かりは、世界を滅ぼそうとしていること、ムーンブルク王都を襲ったこと、それに、王都襲撃後、魔物達がムーンブルクから見て南に飛び去った、と言うことだけだ。

……ムーンブルク大陸の南には、ロンダルキアと呼ばれる大陸が存在する。

陸続きではあるが、両大陸の間には、その名を違えさせるまでの世界で最も高い山脈が聳え立っている為、ロンダルキア大陸を訪れるには船を使うしかないのだけれども、現在、ロト三国の何れからも、他大陸へ向かう船は出ていない。

ムーンブルク王都の遥か北西、アレフガルド大陸の西の、ルプガナと言う世界最大の貿易港を有する街からなら、今尚、外洋へも船が出ているそうだが、ルプガナへ行くには、今度は海峡を越えなくてはならない。

ムーンブルク地方とルプガナ地方を隔てる海峡は、両地方側に対になるよう建てられた、ドラゴンの角と言う名の双子の塔を繋ぐ吊り橋を使って行き来されていたが、数年前、その吊り橋は、魔物達によって落とされてしまった。

しかし、身に纏い高みより飛び降りれば、宙すら漂えるとの伝承を持つ風のマントを手に入れられたら、海峡をも越え、ルプガナへ向かえる────かも知れない。

…………そういう訳で。風のマントに賭けてみるか、と三人は決め。

「僕も、噂には聞いてたんですよねえ、風のマント。どんなのなんでしょうねえ。楽しみだなー」

「アーサーは、その手の物が本当に好きなんだな。詳しいし。しかし……、ローザ? 何故、そんな物がムーンブルクに?」

「魔術は、精霊達の力を借りて生む術だと言うのは、アレンも知っているでしょう? でも、無条件で、全ての精霊の力を借りられる訳ではないの。私達は、加護が篤いと言っているのだけれど、魔術師によって、加護──精霊との相性の良し悪しがあって、歴代のムーンブルク王族と最も相性が良いのは、風と雷の精霊なのね。それで、風の精霊の為の塔と、雷の精霊の為の塔が建立されて。言い伝えでは、祭壇の建立を喜んで下さった風の精霊から、当時の王が賜ったのだそうよ」

「成程。…………ん? なら、ムーンブルクには雷の塔もあるのか」

「ある、のではなく、あった、が正解……かしら」

「……あ、その話も、僕、聞いたことがありますよ。風の塔や雷の塔が建てられた頃、今のロンダルキア地方もムーンブルクの領土だったんですよね? で、雷の塔が建てられたのは、そのロンダルキア」

「そうなの。だから、百年と少し前、竜王が現れた際の地殻変動で、それまでは陸路で行き来出来たムーンブルク大陸とロンダルキア大陸が山脈で隔たれてしまったのを機に、ロンダルキアも、雷の塔もムーンブルクのものではなくなって、あちらがどうなっているのかも、判らなくなってしまったの」

「そうなのか。……どうにも僕は、興味が無い所為で、魔術絡みの歴史に疎くていけない。ロト伝説や、曾お祖父様の竜王討伐の物語なら、空で言えるのだけれども……」

「でもそれは、アレンに限ったことではないでしょう?」

「ですねー。ローレシアの人は皆、魔術とか魔法とかに興味持ってないですもんね」

「それは、まあ。……そう言えば。改めて考えたことはなかったけれど、どうして、ローレシア王家の者は、誰一人として魔力がないんだろうなあ…………」

常にのんびりおっとりで、余り自分の調子を崩さないアーサーは固より、旅に連れて行く行かないで一寸した言い争いをしてしまったアレンとローザも、あれは綺麗に水に流し、今の目的である風のマントを軸にした話をしつつ、賑やかに行った。

風のマント入手を提案したローザ自身も、自国や己が一族の歴史として弁えていただけで、実物を目にしたことなどなく、入手出来た処で海峡が渡れるか否かは本当に賭けだったが、為す術もなく彷徨うよりは遥かにましで、そういう意味では三人の誰もが気が楽だったし、趣味も特技もバラバラな彼等が会話を弾ませる為の役にも立ち、ローザを加えての改めての旅立ち初日としては、色々諸々、上々だった。

この先、こんな日ばかりが続く筈も無いだろうけれども、どうせ共に旅をするなら、折り合い良く行けるに越したことはない、と三人の誰もが思っていたのも相俟って、身分も立場も同じくする同年代の遠縁同士、打ち解けるのはそれ程難しいことではなく。

風の塔を目指しての一日目を、彼等は賑やかさと穏やかさの中で終えた。