「……………………………………殿下?」
「アレン、其方…………」
王太子殿下の口から、『ぱふぱふ』、の一言が飛び出た途端、爺やも、有らぬ方を向いていた父王も、目を剥いた。
「父上は、ご存知なのですか? ……実は、ルプガナの街で裏路地に迷い込んでしまった折に、間違っても宮中では見掛けぬ派手な出で立ちの女性に、『ぱふぱふ』をして行かないか、と声を掛けられたのですが、私もアーサー殿下も何のことやら判らず、恥ずかしながら対処に困りましたので、二度は困らぬようにしたいのですが」
けれどもアレンは、素朴に首傾げながら己の経験を語りつつ父王と爺やを見比べ、
「この、馬鹿息子っ!!」
父王は再び、息子の脳天目掛け、鉄拳を振り下ろした。
ゴビン、と素晴らしく良い音まで立ててくれた鉄拳の痛みに、思わずアレンは頭を押さえる。
「あの……父上?」
「十七にもなって、ぱふぱふも知らんのか!」
「…………陛下、そのお叱り方は間違いです。そうではありませぬ」
「あ、ああ、そうだな。すまん、儂としたことが、少し取り乱してしまった……。──アレン。二度と、そのような言葉を口にしてはならんぞ」
「そうです、殿下。陛下の仰る通りです。それから。ぱふぱふが何かは兎も角、その手の誘いを掛けて来るような輩と、関わりを持たれてはなりませぬ。宜しいですねっ!?」
「え? あ、ああ、うん。爺やの言い付け通りにする」
単に知識を得ようと思って、ぱふぱふとは何ぞや、と問うただけなのに、何故、手加減無しに殴られた挙げ句、叱られなくてはならないんだ、と言いたくはあったが。
珍しくも父王は焦っている様子だったし、爺やは両目を吊り上げているし、だったので、これ以上余計なことは言わぬが利口だ、とアレンは、納得いかぬのを堪えて頷いた。
父上や爺やからは教えを乞えぬなら、兵士の誰かに尋ねよう、とこっそり思いつつ。
「全く、何を言い出すかと思えば…………」
「本当に。爺は、アレン様を、ぱふぱふなどと口にするような殿下にお育てした覚えはございませんぞ」
「…………あー……。……父上。その、そろそろ、失礼して休もうかと思います」
だが、彼がコクコクと何度も首を縦に振っても、父王も宰相も小言を垂れ続けようとしたので、そそくさ、アレンは立ち上がる。
「お休みなさい、父上。爺やも、お休み」
「……ああ、アレン」
が、逃げるが勝ちと言わんばかりに席を立ち、己へ背を向け歩き出した息子を、父王は呼んだ。
「はい?」
「其方達の旅は、邪神教団大神官、ハーゴンを討伐せんが為の旅であり。それこそが、其方達の本懐。────との、昼間の其方の言葉に、偽りはないのだな?」
就寝の挨拶を告げて尚……、と思いきや、父王の言葉は『それ』で、アレンは思わず肩を揺らす。
「アレン?」
「………………ハーゴン討伐が、私達三人の本懐。それに、偽りなどありません」
「では何故、きちんと儂の目を見ない」
「父上。ローレシアの為に。ロト三国の為に。世界の為に。私の中にも流れる勇者ロトの血を以て、ハーゴンを討つ。私の願いは、唯、それだけです」
「……アレン。取り繕わずに、本音を言わんか」
「………………嘘は、申しておりません。城を出てから今日まで、幾度か、嫌な物を見ました。嫌な思いもしました。もう、何があろうと引き返せないと思わされたようなこともあって、だからこそ、ハーゴンを討とうと思いました。それが世界の為ならば、と考えているのも本当です。……但。どうしても、胸が張れません。胸張って、ハーゴン討伐の旅をしていると言えないのです。……行ける所までは行くと決めました。でも、私の中にあるのは未だそれだけで、国や、世界や、ロトの血を引き合いに出すことでしか、想いが語れません。自分の言葉が見付からなくて、胸が張れなくて、ハーゴンは、夢のように遠いモノに思えて……」
少しばかり身を震わせ、肩越しに、儂の目を見て本当を語れと言う父王を振り返り、低い声でアレンは言った。
それは、王でなく、親として語り掛けてきた父が相手だからこそ言えた、嘘偽りない彼の本音だったけれど、それでも尚、彼は、正面から父王を見遣れなかった。
言葉にするなら、自信が無かったから。
例え無理でも無謀でも、必ずやハーゴンを討ち取ってみせる、と言い切る自信が彼には持てなかった。
邪神教団を、ハーゴンを討とうと決めた想いの源が、きちんとした形を取れぬくらい『曖昧』な為に。
「それでも、其方は行くつもりか。胸も張れぬままなのに」
「はい。参ります。誰に止められても。たった今申し上げた通り、私の中には、未だ、行ける所までは行く、の一念しかありません。ですが、それだけは決めたのです。何があろうとも、行ける所までは行こう、と。そして、必ず生きて帰って参ります」
「…………判った。では、ローレシア王でなく、父親としても、其方を送り出してやる」
『自信』は持てないままだけれど。
何故、ハーゴンを討とうと思ったのか、上手くは語れぬままだけれど。
迷い子のように瞳を彷徨わせつつも、「行く」とだけは力強く言い切った彼に、父王は、笑んでみせた。
「有り難うございます。父上。…………それでは、お休みなさい」
「ああ、お休み。又、明日にな」
隠し切れなかったのか、宰相は、無理矢理に何かを飲み込んだような、複雑そうとも言える、心配そうとも言える、例え難い表情をしていたが、少なくとも父王の面は『完璧』で、故に、これ以上は何も語るまい、とアレンは今度こそ『逃げた』。
国王の自室前や、要所要所にのみ近衛兵達の姿を見掛けるばかりになった、ひっそりと静まり返る回廊を自室へと戻っていた最中、ふと、思い立ったように彼は足先を変え、王城の最奥へ向かう。
目指した、その突き当たりに掲げられたるは、旅立った日、一人眺め上げた曾祖父の肖像画。
あの夜から今宵までの一年近くの間、変わらずそこに在り続けた、勇者と呼ばれた曾祖父の立ち絵姿を、あの夜と同じく久しく見上げてから、アレンは踵を返した。
もう眠ってしまっているだろうから叶えられはせぬけれど、アーサーとローザの顔が見たい、と思いながら。
翌朝。
一体何時から、独り寝は寂しい、などと思うようになってしまったのやら、すっかりアーサーとローザに毒されてしまった、とぼやきつつアレンは目覚めた。
夕べ、遅くまで父や宰相と話し込んでしまった所為で、少しばかり彼は寝不足気味で、が、朝食の席で一晩振りに再会したアーサーとローザも、揃って、何処となく眠た気な目をしていた。
早めに就寝したとばかり思っていた二人が、こっそり目尻を擦る仕草を取ったのを見て、どうして? と彼が訳を問うたら、アーサーからもローザからも、王妃殿下から一寸したお招きを頂いて、との答えが返され、アレンは朝っぱらから、「母上が、二人相手に余計なことを話していなければいいけど……」と、冷や汗を掻く羽目になったが。
二人共、それ以上はアレンの母のことには触れなかったので、母から彼等への少々のもてなしのつもりだったのだろう、きっと大した話は出なかった筈だと、それは済ますことにし。朝食を終えて直ぐ、ザハンで手に入れた金の鍵を携えた彼は、アーサーとローザを連れ、王城一階の東の隅にある宝物庫へ向かった。