─ Zahan ─

ルーラの術で、本当に一瞬の内に運ばれたザハンは、その日、大層な晴天に恵まれていた。

帰還魔法の恩恵に与ったお陰で、世界樹の島で分かれた外洋船よりも先に村に着いてしまったのは少々計算外だったけれど、どの道、アーサーの体調が完全に整うまではザハンに逗留するのだし、何より、今日は殊の外天気がいいからと、三人は、数日振りに外の空気と散歩を堪能したいと言い出したアーサーの希望を叶える為、小さな村の散策を始める。

…………ザハンの村は、以前に訪れた時のままだった。

景色も、長閑のどかさも、何一つも変わらなかった。

元気な女衆は、相変わらず忙しそうに立ち働いていて、手を動かしながら口も動かしていた。

そればかりか、約二月程前、僅かの間だけ村を訪れた彼等のことを覚えていて、元気にしていたかい? とか、又、訪ねてくれたんだね、とか、暖かく話し掛けてくれた。

そんな彼女達の明るさや性根の気持ち良さに、三人は、心の半分だけを明るくし、半分だけを暗くする。

初めてこの村を訪れた時、アーサーが宿屋で行き会ったアレフガルドの商人は、もう疾っくに、島の男達の遭難を伝えただろうに。

待ち侘びていた者達が、知らぬ間に、二度と還らぬ人になっていたと、彼女達も知ってしまっただろうに。

島は、島の女衆は、何一つも変わらないと、そう思って。

それは、喜ばしくもあり、酷く悲しいことでもある、と。

……だから、言葉にはし難い何かを、ほんの少し胸の中に抱えてしまった彼等は、若干の遣り切れなさも抱えつつ、一度ひとたび村に背を向け、白砂に覆われる海岸へと出た。

「あら…………。……ザハンへようこそ、旅の方」

眩しいくらいの陽光の下で、緩やかな潮風に吹かれれば、多少は気分も変わるだろうか、と海岸に出たのに、そこには、村人らしい若い女性が一人で立っていて、あ……、と三人は一様に身を引き掛けたけれど、近付く者達の気配に気付いたらしい女性は、振り返り様、微笑みながら彼等へ話し掛けてきた。

「あ……。ああ。どうも」

「ザハンは初めてですか? 女ばかりで驚かれたでしょう。男達は、漁に出掛けていて留守なんです」

「え?」

「私の恋人もなんです。……でも。春になれば。私の恋人ルークも、漁から帰って来るんですよ」

前回の訪問時には見掛けなかった、今回初めて行き会った、二十歳前後らしい彼女へ、当たり障りなくアレンが応えれば、肩に羽織った薄いショールをしっかりと胸前で合わせつつ立ち尽くす彼女は、幸せそうな声で語った。

春になれば、今はいない恋人が、己の許へ帰って来る、と。

「そう……ですか」

そんな彼女の様に、もしかして、例の商人は結局、この島の男達の船が沈んでしまった事実を打ち明けられぬまま、アレフガルドに戻ってしまったのだろうか……、と疑ったアレンは、だが、今ここで、僕達が訃報を報せていいのかどうか……、と悩んで言葉を濁し、

「……あ。いたいた。やっぱり、ここにいた。────ほら、戻ろうよ。今日は天気がいいけれど、日がな一日こんな所に突っ立ってたら、風邪引いちまうよ」

彼と同じく、アーサーとローザが、どうしよう……、との目をした時、村の方から、中年前後の女性が二人、若い彼女へと話し掛けつつやって来た。

「すまなかったねえ、兄さん達」

「……いえ。そんな、詫びられるようなことは」

二人の女性の内の一人は、やって来るや否や、「ほらほら!」と若い彼女の腕を引いて村へと戻ってしまい、もう一人の、三人にも見覚えがあった女性には、御免よ、と頭を下げられて、何が何やら……、と訝しみながら、アレンも会釈を返した。

「あの……、あの方が、何か?」

「…………実はね。前に兄さん達が島に来た直ぐ後に、漁に出てた島の男達の船が魔物に襲われて、海の藻屑になっちまった……、って報せが入ってね。それ以来、あの、一寸おかしくなっちまったのさ。心が壊れちまったって言うかね…………。……そりゃ、自分の亭主や息子や親のことだからさ、村の女達皆、無事に漁を終えて帰って来て欲しいって願ってたし、信じてもいたけど。こんなご時世だし、遠洋まで幾月も漁に出てりゃ、そんなことだってある……、なんて覚悟は、あたし達の誰もが持ってて。でも、あの娘には、その覚悟がなかったみたいでさ。恋人のルークは還って来ないって、受け入れられない……んだろうね。……だから、毎日毎日、ここに突っ立って、海眺めながら、ルークの帰りを待ってるんだよ…………」

彼女とは、一寸辻褄の合わない立ち話をしただけなのに、何故、このお女将さんは詫びてくるのだろう、とアレンの横からアーサーが問えば、中年女性は、溜息付き付き事情を打ち明けてくれ、

「そうだったんですか…………。……辛い……ですね」

「……まあね。────でも。何時までも泣いてたって、何時までも顔背けてたって、男達は戻っちゃ来ないんだ。あたしの亭主も。だけどさ、あたし達は生きてるだろう? …………泣いたって始まらない。顔背けてたって、今日の腹は膨れない。だったら、笑って働いた方がいいって、何時か、あの娘にも判る日が来るよ」

沈痛な面持ちになったアーサーへ、彼女は鮮やかな笑みを見せてから、踵を返した。

「………………この島の女性は、本当に強いわね……」

しっかりとした足取りで砂浜より去って行く彼女の背を見送りながら、ぽつり、ローザは呟く。

「確かに、強い……ですね。強いし、地に足が付いた人生を送られてるんでしょうね」

「泣いても始まらない。顔を背けても今日の腹は膨れない、か……。……あの覚悟の程は、見習うべきなんだろう。……けど…………、僕には、あんな風に笑いながら、あんな風なことが言えるようになれる自信は無い、かな……」

しみじみとした響きを持っていた彼女の独り言にアーサーは頷き、アレンは、この島の女達同様、或る日突然、大切な人達を数多奪われてしまったローザの横顔を盗み見つつ、一つ、大きく息を吐いた。

「僕にも、そんな自信はありません。これっぽっちも。……ですけど。明日、何が起こってもいいように。後悔しないように。…………そうやって毎日を過ごしていたら、何時か、あのお女将さんみたいになれる気もします」

「……アーサーの言う通りかも知れないわ。毎日、精一杯頑張ることは私達にも出来るでしょうし、それしか、私達には出来ないもの」

「そうだな。──なあ、二人共。そろそろ、食事にしないか」

未だ未だ自分は至らない……、と首を振りながら、僕は…………、と洩らした、何事に於いても己だけを責めがちなアレンを横目で窺ったアーサーは、ちょっぴりだけ顔を顰め、考え方を変えればいいと思うと告げて、ローザも、自分達は自分達に出来ることをすればいい、と彼を励ましたが、アレンは曖昧に笑んで、話を変えた。

────もしも。

……もしも、或る日突然、アーサーやローザや国の両親を失ってしまったら、自分は、ひたすらに嘆き悲しむしか出来ないかも知れない。

今回は、アーサーに掛けられた呪いを解けたけれど、もう一度、彼が呪われるようなことがあったら。

もう一度、ローザが呪われるようなことがあったら。

その果て、二人が命を落とすようなことになったら。

ハーゴンや魔物達に屠られるようなことになったら。

自分は、何も彼も──己自身さえも失ったような、そんな様を晒すかも知れない。

…………そのような日を迎えずに済ます為には、ローザの言う通り、出来ることを精一杯するしかないのだろう。

嘆き悲しむだけの後悔を味わいたくなければ、アーサーの言う通り、悔やまぬように生きるしかないのだろう。

でも、そんなこと、本当に自分に出来るのだろうか。

心の奥の奥にある何処かで、『伝説の勇者の末裔』に相応しいアーサーを羨んで、同じく、『伝説の勇者の末裔』に相応しいローザも羨んで。

自分は所詮、『出来損ないの勇者の末裔』でしかないのだと、己で己を蔑んで。

それでも、アーサーへ、そしてローザへ、分け隔てなく情を注ごうとして。

そのくせ、やはり心の何処かでローザを想い。

だと言うのに、彼女への想いに蓋をしようとしている自分は。

想いを抱えてしまった己を見遣るアーサーの目を気にして、ローザ自身の目も気にして、そんな想いなんて、なかったことにしようと足掻いている自分には、毅然とした人生など、毅然とした日々など、到底、送れない気がしてならない。

何時の日か、後悔と惨めさだけに晒される瞬間を迎えるしか、自分には…………────

「あ、そうですね。もうお昼過ぎてますし」

「私も賛成。……やっぱり、お腹は空くものね」

「……ああ。僕も、お腹が空いた……かな」

────食事に、と告げた途端、そうしよう、と口々に言ったアーサーとローザに、どうしたって腹は減ると、今度は『きちんとした』笑みを向けながらも。

アレンは、そんなことを考えていた。