「ほうほうほう…………。こんな所で、忌々しい勇者共の血を引く若造達に、お目に掛れるとは思わなんだ」

ぎょろりとした両の眼をカッと見開き、老人は瞬きもせずに、アレン、アーサー、ローザを見比べた。

「…………神父殿。この街に潜り込んだ邪神教団の信徒と言うのは、この老人か?」

薄暗いそこでもはっきりと判る、ねっとりと絡み付くような視線を寄越す彼に、アレンは微かにだけ眉を顰め、老人でなく、神父へと眼差しを向ける。

「はい。殿下の仰せの通りで……」

「今、貴様が相手を務めなくてはならんのは、神父ではなく儂じゃ。態度や口の利き方に気を付けんか、愚かな勇者共の末裔のくせしおって」

「態度や口の利き方を改めるべきは、お前だろう。…………で? 何か、言いたいことでもあるのか」

無視されたのが気に障ったのだろう老人は、両手で掴んだ鉄格子をガシャガシャとうるさく揺らし、彼の、『愚かな勇者共』の一言にムッとしたアレンは、冷ややかな目で老人を見詰め返した。

「ああ、あるとも。心して聞け。……大神官ハーゴン様は、ロンダルキアの深き山々の彼方におられる。そして、邪神の像を持つ者だけが、ハーゴン様への──ロンダルキアへの道を開くことが出来る」

「…………そうか。でも、だから何だ? お前の戯れ言を、信じろとでも言うのか。それとも、礼でも期待しているのか。邪神教団の信徒であるお前が、僕達をハーゴンの許へと導いてみせるなど有り得ない」

「……そうだ、と言ったら?」

瞳見開いたままの老人の告白を、耳を貸す暇すら惜しい、と彼を冷たく見据え続けるアレンが切って捨てれば、老人は、ニタ…………、と不気味な嗤いを牢の薄明かりに晒した。

「何…………?」

「貴様達程、我等が、そしてハーゴン様が崇める神に捧げる生け贄として、相応しい者共などおらん。忌々しく憎らしい勇者共の血こそ、最高の供物じゃ。──貴様達のその足で、ハーゴン様の許へ向かうがいい。そうして、神の供物となるがいい。馬鹿な生け贄共が、自ら進んで供物となるべく祭壇に立つなど、この上無い、最高の見せ物じゃ! ハーゴン様も、我等が神も、それはそれはお喜びになられるじゃろうて!」

薄気味悪い、何処か狂気めいた嗤いを浮かべた老人は、又、鉄格子を激しく揺らしながらケタケタと高笑いしつつ叫び、一層瞳を見開いて、格子の隙間からアレン達へと両手を伸ばした。

「きゃっ!」

「うわっ」

「いい加減にしろ」

突き出された骨と皮だけの手は、ローザとアーサーに触れそうになり、骸骨の如くな二本の腕と二人の間に立ちはだかったアレンは、その背に隠した二人を庇いながらも、はっきりとした怒りの色を頬に浮かべ、老人へ得物を構えたが。

「殺せ殺せ! 殺したければ、今直ぐここで儂を殺せ! 死と滅びこそ、この世で最も尊きものと、ハーゴン様は説いておられる。死も、滅びも、儂等にとっては有り難いだけじゃ。……尤も? ご立派な勇者様の血を引く末裔には、牢に繋がれた何の力もない年寄りを刺し殺すなぞ、出来はせんだろうがな!」

「貴様…………っ」

その痩せた喉元に鋭く尖った刃が迫っても老人は高笑いを止めず、ロトの盾に覆われた左手の拳をアレンは固く握り締め、

「…………アーサー。ローザ。行こう」

一度、肩で息をすると、二人を促し、嗤い続ける彼に背を向けた。

牢を出た途端、神父や長老達に、あの老人の振る舞いや暴言を己達が仕出かしたそれであるかのように長々と詫びられたり、ラゴスの引き起こした騒動が収まるのを待ったり、ルークのことで神父と内密の話をしたり、としている内に、その日も日没を迎えてしまい、アレン達は、ペルポイにてもう一夜を過ごす羽目になった。

仕方無いからと、再度、宿屋代わりの酒場で厄介になるべく教会を出て行こうとした彼等を、結構な勢いで引き止めた神父が、「せめてものお詫びとお礼に、今宵はここで!」と言って聞かなかったので、ペルポイ二日目の夜は教会の世話になることにもなり。

「…………どうしたんだ、二人共」

──教会には浴室があったので、食事を振る舞って貰った後、ローザ、アーサー、アレンの順に湯も使わせて貰って、最後に湯浴みを終えたアレンが、先に案内されていた、狭い寝台が幾つか並んでいる以外には何も無い簡素な部屋へ戻ったら、何時も通り、三人並んで眠れるよう『即席巨大寝台』制作に勤しみつつも、アーサーもローザも、何処となく暗い顔をしていた。

「何か遭ったのか?」

「…………貴方が湯浴みに行って直ぐ、アーサーも私も、昼間のことを思い出してしまったの。あんな話、忘れようと自分に言い聞かせていたのだけれど……やっぱり、上手くいかなくて…………」

「僕もです。気にしてみても……、と考えるようにしてたんですけど。思うようには……」

ついさっきまで、二人共に変わりはなかったのに、何故、急に……? と洗い立ての黒髪を拭いながら、アレンが、アーサーとローザの顔を順番に覗き込めば、二人は、昼間の出来事を、うっかり語り合ってしまった所為で、と打ち明けてきて、

「……ああ、あの老人の…………」

あの話か……、とアレンも頬に僅かの翳りを刷いた。

「お父様やお母様や城の皆や、街の人達が殺されて、ムーンブルク王都が滅ぼされてしまったのも、皆々、ハーゴンが、崇める神の為の生け贄にしたからなのかしら……、って。アーサーや私が呪われたのも、彼等にとっては、私達が供物でしかないからなのかしら……、って。そう思ったら、物凄く悔しくなって、泣きたくもなってしまって…………っ」

「…………それに。僕達は、今直ぐには無理でも、何時か必ず、ムーンブルクの仇を討つ為にも、僕達の祖国や、魔物に怯える沢山の人達の為にも、ハーゴンを討とうと旅を続けているのに。そんな僕達の旅も、彼等には、生け贄が自ら出向いて来るだけのことにしかならないのかな……、とも思ってしまったんですよね……。僕達がしているこの旅は、何なんだろう……って。そんなことまで…………」

交互に己達を見遣るアレンの顔色も、微かとは言え暗く染まったのを見て、ローザとアーサーは、堪え切れない風に、抱えてしまったモノを吐き出す。

「愚痴になるから、言わないでおこうと思ったけれど、僕も、似たようなことは考えた」

作り上げられたばかりの『巨大即席寝台』の、壁側を小さく占めているローザと、通路側を同じく小さく占めているアーサーの、丁度真ん中に腰下ろして、アレンも思いを吐露した。

「忌々しいと思った。もしも、あいつの話が本当なら、僕達がハーゴンの許に辿り着く為の道標如き、どれだけくれてやっても、あいつらにとっては痛くも痒くもない処か、却って好都合で、ハーゴンの前に僕達が立つのは、寧ろ、あいつらの望む処でしかない。…………本当に、忌々しいと思う。彼等が崇める神への供物、そんなことの為に、ムーンブルク王都は滅ぼされて、二人は呪われて、この街の人達も、世界も、ハーゴンや魔物達に脅かされてばかりで。……許せるとか、許せないとか言う話ですらない。…………でも。例え僕達が、あいつらには只の供物でしかないとしても、黙って生け贄にされるつもりなんかない。僕達の負けが決まっている訳じゃない。……やってみなくちゃ判らないだろう? 僕達は、供物になりに行こうとしてるんじゃない。ハーゴンを討ちに行くんだ」

昼間、牢にてあの老人が喚き立てたことは、忌々しさや、悔しさや、怒りを掻き立ててくるばかりでなく、何をどう足掻こうと、自分達ではハーゴンには敵わぬのかも知れぬとの、不安以上の何かを三人の中に齎していたが、アレンは敢えて、その『不安以上の何か』には目を瞑った。

行ける所までは行こうと決めたのだし、行ける所まで行ってみるより他、己達に出来ることはないのだから、と。

「……そうですよね…………。……ええ。やってみなくちゃ判りませんよね。ハーゴンに勝てばいいんですよね」

「……………………そう……ね。私達は、ハーゴンを討ちに行くのよ。お父様やお母様や、ムーンブルクの皆の仇を討つ為にも、世界の為にも」

身の内に湧いた不安や恐れを覆い隠し、彼が両脇の二人へ微笑みを向けてやれば、アーサーもローザも、自らに言い聞かせる風に呟き、彼へと微笑み返した。

「ああ。────さあ、もう寝よう。明日こそ、ここを発ってローレシアに向かわないとな」

その刹那の二人の笑みは、アレンには痛々しいそれに見えて、胸が詰まったけれど。

彼は唯、眠ろう、とだけ言った。

灯りを落として、揃って毛布に包まって、励ましの言葉を探す代わりに、何時も通り二人の枕代わりを務めながら、『枕』に寄り添って眠ろうとするアーサーとローザの肩を、何時もよりも少しだけ強く抱いた。