─ Lorasia〜Shrine of the Flame ─

テラスでのあの刹那に覚えた鋭い胸の痛みも、己が血の全てが凍えたような錯覚も、厚い煉瓦の壁に守られた談話室に移るまでの間に、アレンは何とか振り払った。

気の所為だ、と黙殺した。

但、酷く大きな何かが胸に閊えたような感だけは中々去ってくれず、体の中心辺りがムカムカし、本当に気分も悪くなって、思わず、「気持ち悪い……」と洩らしてしまったけれども、強引にやり過ごした。

うっかり零した独り言をきっちり拾い上げたアーサーとローザに、やっぱり具合が何処か、と突っ込まれたが、それも、甘い物を食べ過ぎた所為だ、と誤魔化した。

途端、二人が不満そうに洩らした、お菓子なんて一口も食べなかったくせに……、とのブチブチも、聞こえなかったことにして。

何とか彼んとか頬に笑みを刷き、あからさまに物言いた気なジト目を向けてくる二人を責っ付いて、アレンは、無理矢理、己達の旅程をどうするかに話題を戻した。

彼の頑な態度の前に、アーサーもローザもやがては諦め、以降、三人は表面上のみ恙無く、相談に勤しむ。

そうして彼等は、ローレシアを発ったら、世界各地の祠廻りから始めてみよう、と決めた。

ローレシアの南の祠は、彼等の曾祖父が拵えた物──要するに、勇者ロトの時代の物ではないと判っているので、先ずローラの門へ行き、やはりアレフが拵えた──しかも、道楽の為にかも知れない──旅の扉を伝って、ロトの兜を手に入れるべく聖なる祠を訪れた際に廻った『祠?』や、ルプガナの北やベラヌールの北にある祠を訪ね直そう、と。

ベラヌールを発つ際、ハーゴンの邪悪な手が伸ばされた街で休息など取れない、の一念で、ルーラの為の契約印を置く手間さえ惜しんでしまったので、ローラの門から、と言う一手間を掛けなくてはいけないし、船も、リリザの港に待たさせておかなくてはならないけれど、そんなあれやこれやは、どうとでもなる些細なことなので、明日の朝には、ローラの門目指してローレシアを発つのも決まった。

思いの他、三人がテラスで過ごした時間は長く、直ちに王城を発ったとしても、ローレシアからリリザへ向かう間に、夜を迎えてしまいそうだったので。

故に、もう一晩だけ、彼等はローレシア王城に留まり。

────その夜、アレンは、明け方近くになっても寝付けなかった。

この夜が終われば、又、生まれ育った『我が家』から遠く離れる。今度こそ、この城にもこの部屋にも、ハーゴンを討ち取るまで戻らぬだろうから、ゆっくり休みたい。…………と、心底から思ったのに、昼間の出来事が気になって、どうしても。

……自分は、一体、アーサーが語った想像の、ローザがしていた話の、何に引っ掛かりを覚えたのだろう。

別段、二人は、黙って聞いているだけで胸が痛むような会話をしていた訳でもないのに。

だが、自分は、あの時確かに何かを思った。

冷や水を浴びせられた心地になる何か。

「……あ。そうだ…………。あれは…………」

──柔らかくて太陽の香りがする、なのに眠れぬ寝台の中で丸まり、闇の中、薄目を開けて、あの刹那を思い返していたアレンは、そこまで考えた時、ふと、一つだけ思い当たった。

『それ』が何なのかは、唸るまで考えてみても判らなくて、朧げな形すら取ってはくれないけれど、あの瞬間、己が感じたことの『一つ』は、恐怖だ、と。

今は形さえ見えない何かを、怖い……、と思ったのだ、と。

…………そう、感じたのは恐怖。

己に流れる血の一滴一滴、凍えた程の。

昇る朝日よりも一足だけ早く夜明けを告げる小鳥達の、小さく高い合唱が聴こえ始める頃まで眠れなかったアレンは、迎えたその日、目一杯寝不足の顔をしていた。

出立を告げに行った母妃にも、父王にも宰相にも、一様に怪訝そうにされたばかりか、大丈夫なのかと心配された程で、アーサーやローザに至っては、心配されるを通り越し、「そこまで寝不足になるくらい何かが気になっているなら、打ち明けてくれればいいのに、水臭い」と、盛大に臍を曲げられた。

でも、アレンには、詫びることと曖昧に笑んで誤魔化すことしか出来ず、故に、アーサーとローザは益々臍を曲げ、ルーラで向かったローレシア港で彼等を待っていた外洋船に乗り込んだ頃には、二人共に『ご立腹状態』だった。

アーサーには、

「もう、アレンなんか知りません」

と言われ、ローザにも、

「アレンの心配なんかしてあげない」

と言われたが。

「二人共、御免……」

としか、彼には告げられなかった。

だから、二人は口を揃えて、「アレンの馬鹿ーーー!」と怒鳴るなり、船が港より出航するや否や、それぞれ船室に籠ってしまったけれども。

半日近くが過ぎ、リリザ近郊の港が見えてきた頃には、共に頭が冷えたのか、引っ込んでいた船室から出て来て、何時も通りの顔をして、何時も通りの態度で接してきたので、以降はアレンも、アーサーもローザも、昨日から引き摺っている喧嘩の種にもなった『事』には一切触れずに振る舞って、船を降り、一度ひとたび、リリザの街へ向かった。

以前に訪れた際と何一つも変わっていなかったリリザに一泊し、去年、アレンとアーサーの二人で辿った街道を、今度はローザも共に、しかも前回より格段に早く往った三人は、訪れたローラの門より旅の扉を潜った。

ベラヌールまで伝令に赴いてくれた、例のローレシア兵も使った筈の旅の扉。

まるで床に設えられた水鏡の如くに、ゆらゆらと揺れる扉同様、彼等自身も、体の輪郭毎ゆらゆらと揺すられているような感を覚える扉を潜ったら、既にそこはベラヌールの北の祠で、三人は、早速、荷物の中から取り出した山彦の笛を鳴らしてみた。

ベラヌールの北の祠の建造年代を、ローレシアでは調べられなかった為、大した手間でなし、と頼ってみた山彦の笛は、毎度の、ぽぴ、と言う間抜けな音だけを返してきたので、彼等は今度は、三つもの旅の扉を有するその祠から、次の祠へ向かった。

小さな祠の奥側に、ポンポンポンと、行儀良く並ぶ三つの旅の扉の、中央の扉を伝って行った先は、聖なる祠に繋がる、どうしたって、「祠?」と疑いたくなる『祠?』だった。

聖なる祠は、二度に亘り勇者達に『虹の雫』を授け、当代は、ついこの間までロトの兜が封印されていた場所なだけあって、廃墟寸前のような雰囲気は兎も角、誰の目にも祠としか映らぬし、ベラヌールやルプガナの祠は、旅の扉を守る為だけに存在している祠なのが明白なのだが、そこは、存在理由が謎過ぎて、二度目に訪れたその時も、アレン達は、「祠……なのかな……?」と首を捻った。

アレンにとっては今尚真に業腹なことに、竜王の曾孫から譲られた不可思議な世界地図は、ザハンの北西にぽつんと浮かぶ小島に『祠?』があると示している。

島は小さ過ぎ、又、調べるまでもなく、人家は疎か、『祠?』以外に何も無いのが一目瞭然で、単なる中継地点に過ぎないにしても、こんな所に旅の扉を据えておく意味など無いから、旅の扉の為だけの祠とも思えぬし、何より、『祠?』は、祠として成立していない。

何かを祀っている祭壇がある訳でもなく、かつては『そう』だったと言う名残りも窺えず、ルプガナやベラヌールの祠のような守人もいない。

粗末としか言えない小振りの建物で、同じく粗末な石床に、旅の扉が三つ、並んでいるだけ。

故に、幾ら何でも……、と思いつつ、首を捻りながらも、一応……、と。

彼等は、期待など一つもせずに、山彦の笛を奏でてみた。

「………………え」

──……と。

半ばいい加減に吹いてみた山彦の笛は、デルコンダルの時と同じく綺麗な音色を響かせ、且つ、反響させ。

嘘……、とアレンは絶句した。絶句するしかなかった。