駆けられるだけ駆けて、アレンが宿に戻った時、未だ朝日は昇り切っておらず、アーサーもローザも眠っていた。

そっと開いた扉の隙間から客室の中を窺い、二人が休んだままなのを確かめたアレンは、今さっき起きたような顔をして、今度は宿の裏庭に向かい、日課の早朝鍛錬を済ませてから改めて部屋に戻った。

「おはようございます、アレン。もう、具合はいいみたいですね。日課の鍛錬が出来たくらいですもんね。──じゃあ、僕も毎朝の奴に行ってきますね」

その頃には、アーサーはもう目覚めていたが、別段何かを疑っている風も見せず、穏やかに笑みつつ言いながら、戻って来た彼と入れ替わりに部屋を出て行った。

「アレン、おはよう。貴方もアーサーも、本当に朝が早いわねえ……。処で、具合は?」

その暫く後に起き出してきたローザも、アーサーと似たような態度を取ったので、良かった、抜け出したのはバレてない、とアレンは、ホッと胸を撫で下ろし。朝食も、支度も終えた三人は、水の紋章を探しに、ムーンペタの街中へと繰り出した。

旅人の行き交う『人と人とが出会う街』の朝は早く、既に、往来の行き来は真昼の如くだったので、人目を気にしながら山彦の笛を鳴らし続け、音色を頼りに三人は通りを行った。

笛の音は、街の中央部にある大きな池のある辺りで最も強く響き、

「水の紋章だけに、池の中、と言うことはないです……よね?」

「沼浚いの次は、池浚いか……?」

ふと、ラーの鏡を求めて毒沼を浚った時のことを思い出してしまったアーサーとアレンは、揃って思わず顔顰めたが。

「絶対に、そんなことはない、とは言い切れないけれど。──実はね、あの池の下には、教会の横手の小屋と、池の中州を繋いでいる地下道が通っているの。地下道の中央──丁度池の真下辺りには、牢もあるわ。地下道も牢屋も、この街が出来た時に造られた物だそうだけど、地下道は、井戸代わりでもある池の管理をする為に、牢は、辺境に近くて旅人の行き来も多いこの街には、どうしても出るならず者を捕らえた際の為に、今でも使われている筈よ。だから、そこから探してみない?」

ローザは、池浚いに挑む前に、池の下を通る地下通路や、そこにある牢獄を調べよう、と。

「判った。じゃあ、地下道から始めよう。──それにしても、やはり辺境が近いと、苦労もあるし、治安の問題も生まれるんだな。……僕が言うのは差し出がましいが、なのに、ムーンペタに王国に有事が起こった際の対処に当たる機関が置かれていると言うのは、少々あれじゃないか?」

「………………ああ。あれね、嘘なの。……御免なさい」

「は? 嘘!?」

「ええ。今だから言えるけれど。……だって、ムーンペタには、国家機密でもあるそういう機関があって、後のことはそちらに任せてきたから問題など一つもない、くらい言わなかったから、アレンもアーサーも、本当には私を旅に連れて行ってくれなかったでしょう? 三人で、と約束はしてくれたけれど、どうせ、後になれば二人共口を揃えて、一刻も早く即位した方が、とか何とか言い出すに決まってる、と思ったのだもの。だから、それらしい嘘を言ったの。国家機密だからと言い訳すれば、余り突っ込まれずに済むじゃない?」

「えええー…………。ローザ、それってどうなんですか……?」

「あ、でも、信頼出来る方に後を任せたのは本当よ。私が十五になるまで魔術の教師をして下さっていた方が、ムーンペタの近くの村で隠居生活を為さっているの。ムーンブルクでも数少ない賢者でもある方で、お父様の信頼も厚かったわ。人物としても尊敬出来るし、退官されてからも、お父様や大臣達に助言を求められていたしね。……そういう訳で、その方に後をお願いしたの。己を棚に上げて先生を妬む者もいたけれど、大臣達も、国政に関わっていた有力貴族達も、皆、王都に住んでいたから……。……もう、先生に兎や角言う者もいないし。何より、誰かが碌でもないことを企んだとしても、敵いっこない賢者様なのだもの」

故に、じゃあ、先ずはそこから、と決めた三人は、アレンやアーサーと一緒に旅立つと言い張ったローザが、その際に吐いた嘘に関する告白を軸に語らいながら、教会へと足先を向けた。

少年達が、「まさか、あの話が嘘だとは思わなかった、やられた……」と同時に天を仰いだ時には、彼等の視界に教会の屋根が映って、

「ローザ…………」

「あら、アレン。どうかして? 今更、どうこう言った処で始まらない話ではないかしら?」

「確かに、今更は今更なんだが……。全く、君は…………」

「…………怒った?」

「……いいや。────うん、もう、本当に過ぎたことだし、怒ってなんかいない。……だろう? アーサー」

「ええ。やられた、とは思いましたけど。最後まで、三人で旅をするんだって、決めてますしね」

「………………有り難う、二人共」

所詮は、もう過去になったこと。始まりの中に嘘が混ざっていた処で、三人肩を並べて最後まで旅をするのに変わりはない、と彼等は、見えてきた教会の屋根を目印に、角を曲がった。

銀の鍵、金の鍵、それに牢獄の鍵、と三つもの魔法具を手に入れている彼等に、地下道の入り口でもある小屋の扉の解錠は容易く、無人だった小屋の机の上に置かれていた燭台を一つ失敬してから、三人は、ジメリとした湿気が鬱陶しい地下の道を伝った。

燭台の灯りだけを頼りに、再び山彦の笛を奏でながら行けば、目的の物は牢獄の中にあるらしいと知れ、「どれ……」と、通路から鉄格子越しに燭台を翳してみたら、至る所が苔生している暗い牢の片隅に、小さめな影が二つ程蠢いているのが見えて、三人は戸惑う。

「魔物……?」

「多分。見た感じも気配も、悪魔族みたいですし」

「でも、何故? どうして、こんな所まで魔物が──。……あ。もしかして、ここに紋章が隠されているからかしら。大灯台の時みたいに、私達の邪魔をしようと、街の人達の目まで掠めて潜り込んだ、と言うこと?」

「そういうことだろうな。山彦の笛も、牢の中に紋章が、と教えてきていることだし。…………少し考えれば想像出来た成り行きで、何の苦労もなく紋章が手に入れられるのは却って不気味だから、これくらいが丁度良いんだろうと思って、励もう」

「そうですね。試練と思って挑みましょうか」

「確かに、一つも苦労せずに、唯、紋章を拾い歩くだけと言うのも、後が怖そうよね」

何でこんな所に、悪魔族らしき魔物が……、と揃って顔を顰めてから、「ああ、でも、当然と言えば当然かな?」と思い直した彼等は、それぞれの得物を構え、直ちに戦い始められるように整えてから、牢屋の鍵を開け放った。

鉄格子を潜って直ぐの所に携えてきた燭台を据え、そろりと奥へ進めば、片隅で蠢いていた二つの影が、一瞬のみ動きを止め、直後、一斉に三人へ襲い掛かって来た。

「あっ! ベビルよ! グレムリンよりも位の高い悪魔族の!」

「ベビルも炎の息を吐く筈です、気を付けて!」

ゆらゆらと揺れる燭台の薄い火のみでも、襲い来た魔物達の正体は悟れ、ローザは雷の杖を掲げて雷光を呼び出しつつ叫び、アーサーも同じく叫びながら、ベビル達が吐く炎の息を打ち消そうとベギラマを唱えた。

「判った!」

牢内を明るく熱く照らし出した炎の息とベギラマがぶつかり合う脇を擦り抜け、雷光に打たれたベビルを、アレンは斬り付ける。

「キィッッ」

雷の杖に打たれ、ドラゴンキラーに斬られ、としたベビルは甲高く鳴き、激しく尻尾を振った。

「ベホイミ……? ──マホトーン!」

上へ下へ、右へ左へ、と暴れた尾は治癒の光を生んで、悪魔族も、知能や位が高いものは治癒魔法まで操るのかと、ムッとした風になったアーサーは、魔封じを唱えてベビル達の術を抑え込み、

「悪魔族がベホイミって、少し生意気よね」

「同感です。悪魔族が、命を司る精霊達の恩恵にあやかろうなんて、自称・司祭としては気に食わないです」

「…………ローザ。アーサー。真面目にやれ……?」

戦いながらも文句を垂れたローザとアーサーを、アレンは、ドラゴンキラーを操りつつ横目で睨んだ。