「こちらこそ、御無沙汰しております、先生。お変わりありませんか? 去年、ムーンペタを発った際には、無理をお願いしまして……」

「何の、何の。他ならぬ姫様の達ての願い。幾らでもお引き受け致しましょうて。この老体でも、姫様やムーンブルクのお役に立てるなら、どのようなことでも」

「有り難うございます、先生。そう仰って頂けて、忝く思いますわ。……処で、その後は?」

「ご心配召されるな。このムーンペタ始め、各地の街や村の者達も、姫様のお気持ちは痛い程判っておりますし、姫様が、陛下や王妃殿下や、王都の皆の敵討ちを果たしてお戻りになる日を、心待ちにもしておりますぞ。街々や村々の長達を集めての王都復興の為の画しも、既に進んでおりまする故に」

「そうですか……。良かった…………」

ローザが語っていた通り、『世界一の魔法使いの国』でも数少ない賢者なだけはあるのか、気配すら、三人の誰にも悟らせぬまま中州に姿現した老人と、彼へ走り寄ったローザは暫し二人だけで語らい、

「それはそうと。ローザ様。そちらの方々は、ローレシアとサマルトリアの王太子殿下とお見受けしましたが、如何かな?」

やがて彼は、アレンとアーサーへ向き直った。

「ええ。ローレシアのアレン殿下と、サマルトリアのアーサー殿下です」

「名乗りもせずに、失礼した、賢者殿。私は、アレン・ロト・ローレシアと申す者」

「私は、アーサー・ロト・サマルトリアと申します。初めてお目に掛ります、賢者様」

「これはこれは……。恐れ入ります、両殿下。両殿下共、我等が姫をお守り下さっているご様子。心より感謝致しますぞ」

「……いや。出来る限り、とは思っているが、至らぬことばかりで、ローザ殿下には却ってご苦労をお掛けしてしまっているかと……」

「それに、殿下は、術師として立派に戦っておられますよ」

「いやいや、ご謙遜を。────処で。儂が、殿下方の御前に参上致しましたのは、皆様にお伝えすべきことがある故になのです」

好々爺の笑みを湛えて見詰めてくる『賢者様』に、どうしてか少しばかりの緊張を覚えつつアレンとアーサーが名乗れば、彼は一層笑みを深め、三人に伝えたいことがある、と言い出す。

「何を?」

「殿下方は、旅の最中に、紋章の噂を耳にされはしませなんだか? 精霊神ルビス様の加護が賜われると言い伝わる、五つの紋章の噂を」

「え……? ええ。先生の仰る通り、私達は今正に、五つの紋章を集めている最中ですけれど……。先生は、どうして、紋章の話をご存知なのです?」

「それはな、姫様。遥か以前、それを、このムーンブルクに伝えた方がおるからです。尤も、今となっては知る者は儂一人じゃろう話で、儂とて、今よりは未だ若かった頃に、陛下と共に王城の図書室に籠って、古の頃からあの城に伝わっていた文献を読み漁れたからこそ知れたことですがな」

徐に彼が語り始めたのは、三人が探し歩いている五つの紋章のことで、如何にしてそれを知ったのか、と驚いたローザに、彼は、話の出所も教えた。

「文献? お父様とお読みになられた……?」

「文献……と言っていいのか、とは思いますがのう……。……勇者ロトが、大魔王ゾーマを討ち果たして暫くが経った頃。当時のムーンブルク国王に嫁がれた王妃殿下の日記の中に、些少だけ綴られておったのです。勇者ロトに、何時の日かの恩返しを誓ったルビス様が、その証として五つの紋章を与えた、と。ロトは、その紋章を世界各地に隠したらしい、とも、紋章達はロトの血を引く者にしか集められぬ、とも」

「成程。賢者殿はそれを読まれて、紋章のことを。……しかし、何故、当時のムーンブルク王妃が、勇者ロトがルビス神より五つの紋章を授かったと知っていて、更には、それを日記なぞに綴ったんだ?」

「ええ……。私も、それは不思議……」

「…………ああ。このことは、ローザ様にもお伝えしてはおりませなんだな。──あくまでも、陛下と儂が目を通してみた件の日記に、そうと匂わす記載があった、と言う程度の話でしかありませぬが、当時のムーンブルク王妃は、勇者ロトと共に旅した、女賢者だったらしいのですな」

次いで彼は、もう数十年は前になる若かりし日、ローザの父王と共に読んでみた、勇者ロトが生きていた当時のムーンブルク王妃の日記に綴られていた内容を語り、「当時の王妃の日記……?」と訝し気になった三人へ、一寸した衝撃の打ち明けもした。

「えっ!? 勇者ロトの仲間だった賢者様が、ムーンブルク王妃になったんですか?」

「ですから、あくまでも、らしい、と言う話で。……ですが、儂が殿下方にお伝えしたいのは、そのことではなく。──日記には、こうも書かれておりました。『広い海の何処かに、精霊の祠がある。五つの紋章を集めしロトの末裔ならば、その場にて、精霊を呼び出すことが叶う』と。……先月のことでしたか、在りし日、陛下と共に目を通したあの日記のことを、不意に思い出したのです。あれに綴られていた全てが真ならば、何とかして、この話を姫様にお伝えせねばならぬと思い、その為の手立てを探しに、このムーンペタまで赴いた処、たまたま、姫様がお戻りになられていると知りましたので、こうして」

だが、彼の話は未だ続き、漸く本題に入り、

「広い海の何処か、か…………」

「広い海……。外洋、よね……。でも……」

「外洋、と言うだけでは。うーん……」

又一つ、五つの紋章に関する手掛かりは増えたが、漠然とし過ぎている手掛かりだな……、と三人は唸る。

「……でも。──有り難うございました、先生。五つの紋章も、精霊の祠も、何としてでも探し出します」

「はい。吉報をお待ちしております、姫様。そして、無事のお帰りを」

けれど、ローザは直ぐさま、面持ちを毅然としたそれに塗り替え、きっぱりと師である彼に告げて、彼女の師は、にこり、と笑むと、ルーラを唱え何処へと去った。

「それにしても…………。当時のムーンブルク王妃が、勇者ロトの仲間だったかも知れないとは……」

「かも知れない、でしかなくても、驚きですよねえ……。しかも、女賢者様でしょう? …………あ、でも。それって、凄く有り得ることかもですよ。勇者ロトと旅をしたばかりか、共に大魔王ゾーマを討ち果たした偉大な女賢者様なら、当時に生きていた誰よりも、『世界一の魔法使いの国』の王妃様に相応しかったんじゃありませんか? それに、だとするなら、当時のムーンブルク王家が建立した風の塔や雷の塔に、勇者ロトが関わるのも容易ですし。ひょっとしたら、仲間だったロトの頼みを聞き届けた王妃様が、ロトの為に二つの塔を造ったのかも知れませんし、雷の杖をムーンブルクに伝えたのは、ロトじゃなくて、その王妃様だったのかも知れませんよ」

「ああ、有り得なくはないな」

「そうね。私の御先祖様のお一人に対して、少し、嫌な想像をしてしまいそうにもなるけれど……」

「……ま、まあ、そこの処は兎も角。水の紋章も手に入ったし、五つの紋章を揃えたら、海の何処かにある精霊の祠へ行けばいいのも判ったから。宿に戻って休まないか。明日には、ムーンペタを発つだろう?」

「ええ、そうしましょう。未だ未だ、やることは一杯ありますもんねっ」

賢者の彼が消えた直後、彼がわざわざ伝えに来てくれた話よりも、当時のムーンブルク王妃が……、の話の方が遥かに衝撃だった、と三人は思わずの勢いで話し出し、もし、アーサーが言った通りだったなら、自分の御先祖様の一人は、賢者でありながら激しく打算的な人物だったのだろうか……、とローザは悩み始め、「拙い、余計なことを思わせてしまった」と慌てたアレンとアーサーは、捲し立てる風に言って彼女を急き立て、今宵も厄介になる予定の宿に帰った。