─ Spirit Shrine〜Beranoor ─
確かに、島──陸地に建てられた、一見は何の変哲もない、古びているだけの祠へ入った筈なのに、訪れた精霊の祠は、まるで海の中に造られているかのようだった。
左右の壁も、前後の壁も、滝の如く流れる清廉な水に覆われていて、天井も、海底から水面を見上げた時のように揺らめいていて、一体何で出来ているのかも判らなかった。
白い大理石で覆われた床は所々が四角く切り取れており、やはり、青い水が覗いていた。
在る物は地下へ続く階段のみで、何を光源としているのか、何処から光が射し込んでいるのか、想像も出来ぬのに目映いそこから、三人は下へと下りてみた。
が、行けども行けども、どれだけ下れども、姿見せたのは、極端に狭いだけで造りは地階の間と全く変わらぬ小部屋のみで、流石に、終点の存在を疑い始めた頃。
長く深かった道は終わり、それまでと同じく水の流れに囲まれた、床の其処彼処にも水を湛える、大きな祭壇の間に彼等は着いた。
無言のまま、神の印に囲まれた祭壇の中央まで進めば、途端、宙に五つの火が灯って彼等を取り巻き、三人が目を瞠った時、何処からともなく、美しい声が聞こえた。
『私は、大地の精霊ルビス。──お前達は、ロトの子孫達ですね。……では、遥か昔、勇者ロトと交わした約束を、果たすことにしましょう。私の守りを、お前達に与えます』
…………姿は見せずに、人などとは明らかに違う『夢のように遠いモノ』としか例えられぬ気配で祭壇の間を満たした『何か』の声は、ルビス、と名乗った。
大地の精霊ルビス、と。
そうして、勇者ロトと交わした約束を果たす、とも言った。
その言葉──お告げ、と言った方が正しいのかも知れない言葉通り、ルビスが、私の守りを、と語ると同時に、又、ポッと宙の一点が輝き、キラキラと光る首飾りが現れた。
ロトの剣やロトの印を飾っている紅玉と同じらしい、が、あれらよりは小さい赤い石を据えた菱形の金細工を三つと、小さな紅玉よりも更に小さい碧石を据えた、やはり菱形の金細工を二つ、それに、逆巻く海の飛沫のような意匠の飾りを精巧に繋ぎ合わせてある、ルビスに与えられし守りと言うよりは、甚く高価な装飾品と言った方が相応しいだろう『お守り』へ、アレンは手を伸ばした。
金鎖を掴んだ所為で、振り子のようにゆらゆらと揺れた精霊ルビスの守りを見詰め、彼は正直、こんな物が一体何の役に立つのかと、内心で疑う。
だが、心持ち上げた面で宙を見据えてみても、ルビスは何も語ってはくれず。
「…………精霊ルビス。一つだけ、教えて欲しい。僕達の──ロトの血の道行きは、本当に運命なのか。運命以外の、何物でもないのか」
宙を見据えた眼差しを一層厳しくしたアレンは、はっきりと、能く通る声で精霊神へ問うた。
けれども、やはり、ルビスよりの答えは無く、
「……沈黙が答えか」
ポツリと彼が呟いた時、何かが、ツン、と彼の額を強く突いた。
「え?」
次いで、何かは腰の辺りにも触れて、
「アレン?」
「どうしたの?」
「何かに触れられた。と言うか、突かれた?」
「……え、ルビス様に? 突っ突かれたんですか? …………ルビス様に?」
「判らないけれど……、そんな悪戯めいたこと、精霊がするか?」
「でも……ここにいらっしゃるのは、ルビス様だけでなくて?」
何だ? とアレンは盛大に悩み、訳を知ったアーサーとローザも、釣られた風に首を捻る。
「…………いい。取り敢えず、気にするのは止めておく。後が恐そうだから」
「……そうね」
「僕も、あんまり深く考えたくないです」
でも。
何が何だか判らないながらも、忘れてしまった方が自分達の心が健やかであり続けられる気がする、と半ば本能で感じ取った三人は、はは……っと誤魔化し笑いを浮かべ合い、
「ローザ」
誤魔化し笑いに取って代わった溜息が消えるのを待ち、アレンは、ルビスの守りをローザの首に下げた。
「え? アレン?」
「……ああ、うん。善く似合う」
「本当に。ローザに似合いますねー」
「…………どうして、これを私に?」
「そういう品は、女性が身に着けるのが一番だと思ったから。ローザに似合うだろうとも思ったし」
「ですねー。僕やアレンには……と言うよりも、男には一寸かなー、と。とっても綺麗ですよ、ローザ」
「そう……? なら、お言葉に甘えて」
名を呼ばれるや否や、するりと抱き込む風にされて、先ずきょとんとし、次いで焦り、最後に、ルビスから賜ったばかりの守りを、アレンが己に掛けてくれたのだと気付いたローザは激しく戸惑ったけれど、そうした当のアレンも、見守っていたアーサーも、口々に似合うと言いつつ、男にそれはー……、とボソボソ訴えもしたので、彼女は、ちょっぴりだけ、少年達──主にアレン──を複雑な色を湛えた瞳で以て見詰めてから、嬉し気な手付きで、胸許を飾ったルビスの守りに触れた。
「さて、戻るか。これで心置き無く、あの洞窟に挑める」
「ええ。──じゃ、ベラヌールですね」
「あ、ロトの剣のことは、どうするの?」
「色々、考えてはみたけれど、どうしようもない気がする」
「そう言えば、アレン。あれ以来、例の夢は見てないんですか?」
「うん。見てないんだ。もう、見ないんじゃないかなあ、あの夢は」
それを合図に、目的達成、いざベラヌールに! と三人は来た道を引き返し始める。
────あの刹那、アレンがルビスへ問い掛けたことは、敢えて、誰も口にしなかった。
ロンダルキアへの洞窟を抜けたら、後はもう、ハーゴンがいる邪神教団の本拠へ乗り込むだけだからと、何が要るとか要らないとか、何をどれだけ持っていけば良いかとか、飛んだベラヌールの宿に部屋を取って直ぐさま、アレン達は、ああでもないの、こうでもないのと相談を開始した。
とても白熱した相談は、夕餉の最中も夕餉を終えても打ち止めにならず、一旦中断し、それぞれ湯浴みを済ませてから再開しようと言うことになって、ローザは女性用の浴室に、アーサーは男性用の浴室に、それぞれ向かった。
客室を出る直前のアーサーに、「狭いですけど、たまには一緒に入りませんか?」と誘われたが、『裸の付き合い』が基本なマイラ村名物の温泉でもあるまいし、男二人で肩寄せ合いつつ湯浴みしてどうするんだ、とアレンは苦笑と共に断りを入れ、一人残った部屋の片隅で、自身の荷物の整理に勤しみ出す。
例えば薬草のような品は、共有で使っている荷物入れに突っ込んであるが、小さな鍵達だったり私物だったりは、ローレシアを飛び出した時から使い続けている腰の革鞄に纏めて入れてあるので、頻繁に整頓しているつもりだけれども、ロンダルキアに向かうのだから、もっときちんとしておかないと、と鞄を引っ繰り返し、突っ込んである何も彼もを、彼は寝台の上に広げた。
改めて確かめてみたら、思っていたよりも数多い品が転がり出てきて、思わず苦笑してしまったくらい、持ち歩く必要などこれっぽっちも無かった品や、存在さえ失念していた品が幾つも顔を覗かせており、
「これは、何だったっけ?」
あーあ、と少しだけ自分で自分に呆れながら、アレンは、鞄の底の底に仕舞い込まれていた品を取り上げる。
……それは、何かを丁重に包んだ、若干黄ばみ始めた厚い布で、乗せた掌の上にて、中身を確かめてみようと開いてみたら、久し振りに日の目を見た『中身』は、キラッと室内の灯りを弾いた。
「あ、そうか……」
────大切に大切に、決して痛めぬよう仕舞われていた布地の中身は、ラーの鏡の破片達だった。
ローザに掛けられた呪いを解いてくれた、先祖達縁の。
あの日、緑の空き地で拾い集めた、幾つかの破片達。
「…………どうしようかな」
……その破片達の中から、上手くすれば小さな手鏡に設え直せるだろう最も大きいそれを右手で摘み上げて、アレンは、しみじみと見詰めた。