─ Samaltria ─

数日後には再びこの街に戻るのだからと、外洋船はベラヌールの港に残したまま、その日の午後、アレン達はサマルトリアに飛んだ。

久し振りに訪れた彼の王都は、例年より早い初雪を迎え終えていて、王都から見て真東に聳える、ローレシア王国との国境線の役も担っている高い山の頂は、薄らと白くなっていた。

────サマルトリア王都は、ローレシア大陸北部地方の内陸に築かれた街だが、他国の者達の想像よりは遥かに雪も少なく、そこで生まれ育ったアーサーに言わせれば、

「暖かいとは言えませんけど、本当の真冬にでもならない限り、そんなに寒くはならないですよ」

と相成るが、ローレシアやムーンブルクで生まれ育ったアレンやローザに言わせれば、

「寒い……」

と呟かずにいられぬ冷え込み具合で、王城に入った途端、アーサーは、我が家に戻ったが故の安堵の息を無意識に吐き、アレンとローザは、外の寒さを忘れさせてくれる城内の暖かさに、やはり無意識に安堵の息を吐いた。

「えっ? あ、あれ? アーサー殿下? 何時、お戻りで?」

「先触れも無しにとは、何か火急の事態でも……?」

──先日、急遽ローレシアを訪れた時のように、報せも無し、ひょっこりと顔出した三人に、王城の者達は焦り、何か遭ったのではないかと少々慌てもして、サマルトリア王も、彼等と対面するや否や、怪訝そうな目をした。

「これは、アレン殿、ローザ殿。善くぞ参られた。アーサーも、無事で何よりだ。──処で、其方達。此度は、何の為にサマルトリアに?」

「大したことではありませんから、父上、どうぞ御心配なく。城に出入りの細工職人達に、一寸頼みたいことがあっただけなんです」

「おお、そうか。それだけのことならば良いのだ。うむ。良かった、良かった」

玉座の間へ挨拶にやって来た息子達へ言葉を掛けるなり、急く風に問うてきた王へ、穏やかな笑みを浮かべたアーサーが、些細なことで戻っただけだから、と告げれば、安堵した風になった彼の父王は、息子に大層能く似た笑みを返す。

「ご無沙汰致しておりましたのに、お騒がせしてしまいまして申し訳なく存じます、陛下」

「ご迷惑をお掛け致します。お許し下さいませ、国王陛下」

再会した途端、父子の『ほのぼの親子会話』が始まってしまった所為で、お約束の口上も述べられなかったアレンとローザは、そこでやっと、サマルトリア王へ話し掛けることに成功したが、

「何の。騒がしくもなければ迷惑でもない。寧ろ、其方達の無事な顔が見られて、儂は嬉しく思う」

アーサーヘ向けていた笑みを、王は、アレンとローザへ向け直して制した。

「ハーゴン討伐を志し、長の旅を続けている其方達は、余りのんびりとしていられぬだろうが、特にいているのではないなら、職人達への頼み事とやらが終わるまで、ゆっくりしていくといい。其方達とて、たまには休まんとな」

「はい、父上。有り難うございます」

「お心遣い、痛み入ります」

「有り難うございます、陛下」

「いやいや。…………もしも、ハーゴンや魔物共が世界を脅かし始めたのが、もっと早かったなら、其方達のように旅立っていたのは、儂や、ローレシア王や、亡きムーンブルク王だったろうから。それを思うと、其方達を休ませてやることくらいはさせて欲しいと、思う気持ちも確かにあるのだ。……ローレシアの『あれ』と、ムーンブルクの『あれ』は、顔付き合わす度にやり合うのを、秘かな楽しみにしていたくらいの喧嘩友達だったから。もしかしたら、来る日も来る日も、幼子以下の口喧嘩ばかりをする彼奴らと、毎度のように彼奴らの仲裁に入っては喧嘩に巻き込まれる儂とで、異国の空の下を歩いていたのかも知れないと、アーサーが旅立ってしまってより、幾度となく思った。…………もう十二年以上も前のローレシア建国祭でやってしまった、馬鹿馬鹿しい毎度の喧嘩を、何年も引き摺ったりせずに。彼奴らの尻でも何でも叩いて、何時ものように仲直りをさせて。昔のままの付き合いを続けていれ────。……ああ、すまんな。埒も無いことを聞かせてしまったらしい。では又、後程にな」

そうして、サマルトリア国王は瞼を閉じながら、しみじみとした声で何かを思い出しつつ独り言の如く呟き、が、知らぬ間に言わずとも良かった想いを洩らしてしまったと気付いたのか、言葉半ばで語りを止めて、玉座より立ち上がった。

アーサーの父なだけあって、穏やかな性根をしているらしいサマルトリア国王も、思うことは様々にある風なのを思い掛けず垣間見てしまって後、玉座の間を辞した三人を、アーサーの妹姫のリリアーナが待ち構えていた。

サマルトリアに立ち寄る度、お茶を共に……、とねだってくる姫は、今回も同じおねだりをしてきて、アレンとローザは二つ返事で、アーサーだけが、「仕方無いなあ……」と呆れたように苦笑しつつ、彼女のおねだりを受け入れたので、それより数刻、彼等は、リリアーナ姫の自室で正真正銘『優雅な茶の一時ひととき』を送った。

一年数ヶ月前、アーサーが、妹にだけは、と一人ででもムーンブルクへ向かうとの決意を旅立ちの直前に打ち明けた時、彼女は、自分も一緒に連れて行ってくれと言って聞かなかったそうで、今でも、兄達に付いて行けるものなら、と心密かに思っているらしい──無論、それは叶わぬ願いであると弁えてもいる──彼女は、やはり此度も、曰く『兄上達の冒険話』を聞きたがり、あれからこんな所を訪れたとか、訪れたそこでこんな出来事があったとか、求められるまま、代わる代わる三人が話してやっている内に、もう間もなく晩餐の席が……、と恐縮しながらの女官達に声掛けられる刻限になってしまって、アーサーを妹姫の自室に残し、アレンとローザは席を立った。

「ねえ、アレン。前に訪れた時にも感じたのだけれど、アーサーは、リリアーナ姫の前でだけ、少し態度が変わると思わない?」

「…………ローザも、そう思うか? じゃあ、僕の気の所為じゃなかったんだな」

呼びに来た女官達に連れられ、客間へ続く廊下を辿り出した二人は、小声でこそこそと、『優雅な茶の一時ひととき』の最中に見せ付けられた、アーサーの妹姫への態度に付いて語り合う。

「ええ。何て言えばいいのかしら、彼ってば、リリアーナ姫と話している時は、こう……少し過剰な感じで、兄は自分、妹はお前、みたいに振る舞うな、って」

「ああ、うん。判る。年上振りたいと言うか。そんな感じだ。……兄と妹の関係と言うのは、ああなりがちなんだろうか。僕には、兄弟姉妹がいないから、能く判らないんだ」

「それは、私も。私も一人っ子だから、そういうことは能く判らないの。だから、アーサーと姫のやり取りは、一寸不思議で興味深いの。私も、お兄様がいたら……、なんて夢見たことがあるから、あの二人が少し羨ましいのかも知れなくて、それで、こんなことを思うのね、きっと」

「僕も、兄弟が欲しかったな。せめて弟がいれは、一緒に遊んだり、剣の稽古を共に出来ると、思ったこともあったっけ」

「でも、こればかりは仕方無いわよね。無い物ねだりですもの」

「……言えてる。子は授かり物とも言うし、アーサーとリリアーナ姫も、実の兄妹ではないし」

「そうねぇ……。神様に祈るしか出来ないことね。……その内に、お願いしてみようかしら。何時の日か、何方かと結ばれた時には、子を沢山授けて下さい、って」

「うん。子供は多い方────……いや、あー…………」

「アレン?」

「あ、あああ。何でもない。……それじゃ、ローザ、又後で」

兄と妹、と言う関係は、あんな風なのが一般的なのだろうか、と互い一人っ子のアレンとローザは悩み、悩んでいる内に話が逸れて、自分は子供が沢山欲しい、と言い出したローザに同意し掛けた直後、咄嗟に『要らぬ夢』を思い描いてしまったアレンは、ほんのりとだけ頬を染め、折良く辿り着いた客間の中へ逃げた。

そんな具合に時を過ごし、夜をも迎えてしまった翌日、アーサーは、アレンから預かったラーの鏡の破片達を手に、一人で、呼んだ城出入りの職人達へ会いに行ってしまった。

が、アレンは、装飾や細工関係は疎いし無興味だから、破損の心配をせぬように拵えてくれればそれでいい、と端から思っていたし、ローザは、サマルトリアの職人との交渉は、サマルトリア王太子のアーサーに一任すべきだろうと考えたらしく、全て、彼の好きにさせて────それより、過ぎること数日。

待つ以外することがなかった三人の許に、どうやら、王太子殿下直々に、特別に急ぎの仕事で、と頼まれたらしい飾り職人達より、依頼の品が出来上がった、と報せが入った。