─ Rondarkia Road ─

暫しの別れを告げた外洋船よりベラヌールに戻ったアレン達は、先日のあの教会より、ロンダルキアへ続く旅の扉を伝った。

命の紋章を探しに向かった時同様、緑溢れる広野や毒沼を越え、しっかり荷物を背負い直してから、口開いたままだった洞窟の入り口を潜って、焚かれ続けている所々の篝火が通路や床を照らし出している内部を、ソロソロと進んだ。

結果だけを見れば、『それ』に嵌ったお陰で思いの他早く命の紋章を見付けられた、と言えなくもないけれども、前回で落とし穴には懲りたので、彼等の歩みは、自然、足許の床や地面の安定を確かめながらの遅々としたものになり、捗々はかばかしさからは程遠かった。

だと言うのに、上階へ続いている風な階段の一つを目前に、再び、三人は揃ってずっぽり落とし穴に嵌った。

わー、とか、きゃー、とか、叫びを放った時には既に遅く、今度も地下の湿った土の上に転がる羽目になり、仲良く憮然とした顔になった彼等は、もそもそ身を起こす。

「又、引っ掛かった……」

「この洞窟、どれだけ落とし穴があるんでしょうねえ……」

「全くもう……。何とかならないのかしら」

「踏み抜かずに落とし穴を見付けるのは、案外難しいからなあ。……って、ん? あれは何だろう」

「お墓……みたいですね」

「え、こんな所に?」

地面に叩き付けられた際に痛めてしまった所を癒してから、泥を払って立ち上がり、ブチブチ言いつつ辺りを見回せば、墓のような物が直ぐそこにあるのが見えた。

前回落ちた時には気付かなかった、ひっそりと並ぶ石達は、その殆どが崩れてしまっていたが、僅かだけ形を留めている物があり、表面の厚い埃や泥を拭ってみたら、刻まれた、人の名らしき文字が浮かんだ。

「やっぱり、お墓ですね」

「……あ、あれか? 志半ばにして行き倒れてしまった巡礼者の墓」

「それは判らないけれど、かなり古い物のようね。ロンダルキアの祠は、そんなに昔から巡礼地だったのかしら」

「うーん……。刻まれている文字が、もっとはっきりしていれば何か判るでしょうけれど、流石に、この風化具合では。但、昔、この地を旅していた巡礼者の墓、と言うのは、違う気がします」

「……何だろうな。気にする程じゃない、些細なことなのかも知れないけれど、少し、引っ掛かる」

墓石の列を見掛けたのが、ロンダルキアではない何処かの洞窟内だったら、彼等も、そういうこともあるのだろう、で済ませたのだろうけれど、『ここ』に、と言うのがどうにも違和感で、訝しんだ三人は、もっと能く調べてみようと、墓の一つに近付く。

「わぁぁぁっっっ!!」

と、半ば以上が崩れてしまっていたその墓石は、彼等が触れようとした直前、ガラリと音立てて倒れ、影から、がむしゃらに両手を振り回す中年の男が飛び出て来た。

「えっっ!? ちょ……、おい! 落ち着け!」

「…………あ、あああ……人間か……。脅かさないで下さいよ……」

一瞬、魔物が潜んでいたと誤解し得物を構えたアレンは、切っ先を振り上げる寸前で相手が人だと気付き、飛び出て来た男を抑え込む風に制して、眼前にいるのは人だと悟った男も、その場にへたり込む。

「それは、こちらの科白だ……。──それよりも、こんな所で何を?」

「すみません、ハーゴン達に見付かったかと思って……」

「ハーゴン!?」

「ええ。もう少しで邪神の生け贄にされそうな処を、やっと逃げて来たんです……」

驚きの所為か、安堵の所為か、腰を抜かしたらしい男へアレンが問い掛けたら、彼は、聞き捨てならぬことを言った。

「あの。その話を、もう少し詳しく聞かせて貰えませんか?」

「……それは構いませんが…………。……こんな所で?」

「いえ、外で。僕達はリレミトの術が使役出来るので、ここからでも出られるんです。──アレン、ローザ、いいですよね?」

「ああ。勿論」

「ええ。一旦、出ましょう」

人なのに違いはないが、ハーゴンの許から逃げて来たのだと告げた、邪神教団とどんな関わりを持っているか判らない男の二の腕を、逃さぬようにアーサーはさり気なく掴んで、アレンもローザも、男を挟み込む位置取りをして、ここから連れ出してくれるなら、話くらい幾らでも、と言わんばかりの顔になった彼と共に、三人は、リレミトで以て外へ出た。

予想外も予想外だが……、と思いながら、先程抜けて来たばかりの草原の片隅にて野営を張って、アレン達と男の四人は、焚いた火を囲んだ。

「何からお話しすればいいやら、とは思いますが……。────実は、お恥ずかしながら、私は、邪神教団の信者なんです。…………いえ、先日まで、信者だったんです」

薪代わりに集めてきた大振りの枝に腰下ろした男は、その直後、注がれる三人の視線から逃れるように俯き、ぽつぽつ、自身のことを語り始める。

────何処の、とまでは白状しなかったが、男は、と或る街で細やかな商売を営んでいた商人だった。

だが、一年程前、仕事上の躓きが続いてしまい、あれよと言う間に、店を手放さざるを得なくなるまで追い込まれた。

長年、働き詰めに働いて、やっと持った店まで借金の形に取られ、自暴自棄になっていた彼は、飲んだくれていた安酒場で邪神教団の信徒だと名乗った男に話し掛けられ、親身になって──所詮、振りだったのだろうけれど──話を聞いてくれた男の誘いに乗り、教団に入信した。

生来、親兄弟と縁が薄く、仕事ばかりにかまけて中年になっても家庭を持たず、友人だと思っていた周囲の者達も、改めて振り返ってみたら商売で繋がっていただけの者達ばかりだった彼を、心底から思って留めようとしてくれた者は皆無で、なればこそ、彼は唯々、邪教にのめり込んでいった。

死や滅びこそが人の幸福に繋がり、神の御許にて永遠に続く幸せなだけの日々を得る為にも、尊き死を自ら進んで受け入れるべきだ、との邪教の教えは、何も彼もを失った彼にとっては、酷く魅力的だったから。

それこそが、この世の真であり幸だ、とも感じられたから。

…………恐らく、その頃の彼は、死に場所を求めていたのだろう。

幸福で尊くて、この世の真である死が、一日も早く自身に齎されるようにと、熱心に異形の神を崇めた彼は、放っておいてもより一層邪教に傾倒していくだろうと見做されたのか、教団の者達によって、ロンダルキアの高い嶺の向こうに導かれた。

……やはり、それは、その頃──と言っても、ほんの半月程前だ──の彼にとっては、大変な栄誉だった。

教団の教祖であり、己が崇める神に仕える大神官ハーゴンに拝謁出来るなど、最高の誉れだと鼻が高かった。

だが、連れて行かれたハーゴンの神殿には、己と同じく導かれた者が何人もいて、彼は少しだけ落胆した。

直後には、神殿に集められた信者達は邪神の生け贄にされるのだとも知った彼は、今度は戦慄した。

彼が、ハーゴンや教団に求めていたのは、安らかな死──否、全てを失くしてしまった人生からの『逃げ場』であって、結局の処、彼には、邪神の生け贄となる運命を黙って受け入れるだけの『覚悟』は無く、命からがらハーゴンの神殿より脱出して、荒野を彷徨い続けながらもロンダルキアの麓を目指し。

「成程……」

────そうして、この洞窟に逃げ込んだのだ、と打ち明けの最後に告げた男に、アレンは、抑揚なく言った。

「…………私もそうでしたし、神殿に集められた人間の信者達の殆どが、邪神の生け贄とされるのを受け入れられませんでした。私達は唯、自分が楽になりたかっただけで、死や滅びこそが最も尊いとも、死は喜びだとも、心底から信じていた訳ではなかったんだと思います。……だから、私達は結託し、ハーゴンの神殿から逃げ出しました」

何故、彼の声から抑揚が消え掛けたのか、恐らく、かつては商人だったと言う男には判らぬだろうが、更なる気拙さは感じたのだろう。

男は、それまで以上に面を伏せて、小さな声を絞った。