「…………判った。もういい。つまらぬことばかりを問うて、申し訳なかった」
そのまま長らく、祠の祭壇の間には沈黙が続き、やがてアレンは、諦めた風に溜息を零してから、すまなかった、と緩く首を振った。
その沈黙こそが、彼の答えだと思ったから。
「……アレン・ロト・ローレシア」
「何だ?」
「ハーゴンや、邪教の信徒達が崇める異形の神は、三匹の魔物を僕としている。魔物と言うよりも、悪霊神と例えた方がより近いかも知れぬ、魔と神との境に位置する魔物達を」
だが、少しばかり俯き加減になって踵を返そうとした彼を守人は再び呼び止め、それまでのやり取りなど無かったことのように、ハーゴン達が祀る神に関して語らい始めた。
「……僕? 邪神の? ハーゴン……ではなく? と言うか…………いきなり、何を?」
突然、話をがらりと変えた挙げ句、至極当然と言わんばかりに語り続ける守人に、肩越しにだけ彼を振り返ったアレンは、一瞬、呆気に取られたが。
「伝えた通りだ。──創造主に逆らい罰せられた、巨人族の長アトラス。世界に災いを齎す風を司る、魔王バズズ。悪魔族の中でも最も穢れた魂を持つ、悪魔ベリアル。……その三匹の魔の者達を、邪教の神は従えている。ペルポイの者達が、ハーゴンの呪いや教団配下の魔物達に脅かされてきたのも、彼奴らが、教団の教えに目が眩んだ人々を生け贄として神に捧げるのも、全て、邪神のみならず、その僕たる魔物達をも召喚せんと企んだが為」
佇まいも、声の調子一つも変えず、守人は語りを続けた。
「邪神の僕の魔物達をこの世界に招く為に、ペルポイの人達や、教団の信者を……。……そうか。奴等にとっては神の内の、邪神の僕達の召喚は、教団信徒が望ましいと言うだけで、人であればいい、と言うことか……。だから、ペルポイの者やロンダルキアの洞窟で行き会った男が……。……あの彼がしていた話の真相は、そういうことだったのか……」
「そうだ。そして、ムーンブルク王都の者達も。彼の都が滅ぼされた『理由の一つ』は、その為だ。…………都合も良かったから」
「……都合…………? 都合だと……? 一体、何の!? 誰の、どんな都合が良かったとっ!?」
彼は、前触れも無しに何の話を始めたのだろう、と内心では酷く訝りつつも、小さな祭壇の間に響き続ける守人の話に耳を傾け続けていたら、ハーゴン達の『謎な行い』の一つが解け、されど、カッと、一瞬にして目の奥が熱くなったまでの怒りを覚えさせられた呟きも聞かされ、アレンは、半ば怒鳴り声を放った。
「…………っ……。────……守人殿。貴方は一体、何を知っている? 何故、こんな話を僕に聞かせた?」
しかし、その正体は精霊で間違いなかろう彼は再び口を閉ざし、沈黙を、怒りに任せてアレンが放った問いへの答えとした為、深く息をすることで自らを落ち着けてから、アレンは守人を見据えた。
「儂は、其方達の識らざることを識り、其方達の識ることを識らぬ。……それだけだ。其方が抱える数多の問いに、儂などが答えを与えることは到底能わぬ。何一つ、答えることは叶わぬ。……故に。その代わりに。その詫びに。邪神の僕たる魔物達の話を聞かせた。それを知ることは、少なくとも、其方達の本懐を全うする為の助けにはなるだろうから」
「何を、勝手なことを…………! ──────……っっ」
が、守人は、一方的な語りを続けて後、すっと瞼を閉ざし、「これで話は終いだ」と言わんばかりの態度を取ってみせ、だからアレンは、ギリ……っと噛み締めた奥歯を鳴らしたが。
唐突に、しかも勝手に始められ、同じく勝手に切り上げられてしまった、何処か曖昧で『その裏に隠された意味』も全ては汲めなかった守人の話そのものが、どうしてか、精霊である筈の彼の懺悔に聞こえて仕方無く、苦い顔して憤りを無理矢理飲み込んだアレンは、彼に背を向け、小さな祭壇の間を出て行った。
真夜中の、凍えるばかりの外へと。
硬くて重たい樫の木の扉を開け放ち、一歩踏み出るや否や、祠の建つ中州を取り巻く湖を渡る風も、その向こうに広がるロンダルキア平原を覆い続ける雪も、鈍く煌めく短剣に刺されたように感じる冷たさを、手加減なくアレンにぶつけてきた。
そんな、命さえ奪い兼ねない寒さの中、真夜中だと言うのに彼は、祠の傍近くに立つ樹氷の根元に踞り、両膝を抱える。
────ロンダルキア雪原へ続くあの洞窟の地下にて、邪教の信徒だった元商人の男と行き会った翌日、もう、色々を考えるのは止めようと決めた。
考えるのも悩むのも、もう止めよう、と自らに言い聞かせた。
邪神教団や、教団を率いるハーゴンが真実望んでいること、彼等の望みの果てにあるもの。……そんなことに付いて何時までも悩んでみた処で、答えなど出ない。
もしかしたら、ハーゴンを倒し遂せても、望む答え──否、『自分達が納得出来る答え』など、手に入れられないかも知れない。
約二年に亘り続けてきた己達の旅路の意義も、旅路そのものの意味も、ロトの血が齎す運命の真実も、ロトの血に課せられた運命の真実も。
自分達には、到底掴み得ない『答え』なのかも知れない。
所詮は、悩むだけ無駄なことで。知ろうと足掻いた処で、どうにもならぬことで。
何がどう在ろうと、『本当』が何処にあろうと、邪神教団大神官ハーゴンを討ち、破滅に瀕している世の為に、己達自身や己達の大切なモノの為に、世界を救うのだと言う自分達の目的が変わることはないのだから。
もう、行ける所まで行く、ではなく、行ける所まで行くしかないのだから。
考えるのも悩むのも、止めよう……、と決めた筈なのに。
理由も求めるのも、『求めたがる』のも、意味の無いことだと思い定めたのに。
「何が、『都合も良かったから』だ。ふざけるな……っ」
つい先程、祠の守人から聞かされた話は、彼のそんな決心を揺らがして余りあり、アレンは、怒りに任せて大地を覆う深雪を拳で殴った。
樹氷の根元や幹に身や背を預けたまま衝動に駆られてそんなことをしてしまった所為で、腕を振り下ろした拍子に肘が樹にぶつかってしまい、痛い、と顔を顰めた直後には、揺れた木の枝から頭頂目掛けて白い塊りが雪崩落ちてきて、
「ああ、もうっ!」
ドサリと音立てて降った雪を、彼は、苛々とした手付きで被っていたロトの兜毎払った。
ガントレットに覆われた両の指先は、そのまま、黒髪を掻き毟り始め。
「……ロト様や、曾お祖父様も、こんな想いをしたのかな…………」
やがて、ぱたりと力無く地面に落ちた彼の右手の指先は、腰に下げられた革鞄へと伸びる。
先日訪れたサマルトリアで手鏡に仕立て直して貰った、例のラーの鏡の破片を、アレンは今まで通り、その鞄の中に忍ばせ持ち歩いていた。
始めの内は、アーサーやローザに告げた通り、常に携えていれば、その内に、何故、精霊ルビスはラーの鏡の破片を通して、共に偉大な勇者だった先祖達の姿を視られるようにしたのか、とか、結局の処、勇者ロトや曾祖父は自分達に何を訴えようとしているのか、とか、どうしたら、自ら斬る相手を選んでいるとしか思えぬロトの剣を使い物に出来るか、と言った様々な事柄が見えてくるかも知れないから、と期待してのことだったけれど、ベラヌールの宿屋で『化けて出て』以来、鏡にも映らず、夢枕にも立ってくれぬ先祖達に思い馳せ続けてしまった所為なのか、次第に、手鏡版・ラーの鏡は、アレンにとって、お守りとも言える、心の拠り所とも言える、そんな物となっており。
だから、彼の手は、自然、鞄の中身を探り、上等の布袋に収まる小さな手鏡を引き出していた。
敢えてそうしようと思った訳ではなかったが、無意識の内に両手を覆う武具を取り去り、素手で、手触りの良い布袋を剥いだ手鏡を、そっ……となぞってみたけれど、手鏡が映し出したのは、磨かれた鏡面に付いてしまった指の痕越しに浮かぶ、自身の面のみだった。
踞った樹氷の根元まで届く、祠の壁面に幾つか設えられた窓より射し込む篝火が、その夜のその場を照らす唯一の光で、本当に辺りは暗く、なのに、鏡面に映る自らの面が何処か歪んでいる風なのがアレンには判って、思わず、彼は泣き出してしまいたい衝動に駆られる。
今の今まで、そんな自覚は無かったし、『そう』と思った覚えも無いけれど、もしかしたら自分は、この旅に出てから知った、そして経験した様々なことを──否、ひょっとしたら全てを、辛いと感じているのかも知れない、と思って。
本当は、何も彼もが辛くて、この旅路そのものが辛くて、僕は何時だって、泣き出してしまいたかったのかも知れない、握り続けてきた剣を、放り出してしまいたかったのかも知れない……、とすら思って。
小さな手鏡に映し出された面のように、その時、アレンの胸の中の何処かが、きゅっと音を立てて歪んだ。