「あの……。え、と…………。……うん。話は、明日でいいとして……、でも、その、御免……」
『習慣』通り、己の両腕の付け根を枕にし、今宵二度目の眠りに向かおうとするアーサーとローザは直ぐに瞼を閉ざしてしまい、が、寝る処ではなくなってしまったアレンは、一応、再度の詫びを告げてから、燭台の火を落としても、暖炉で燃え続ける薪の火が己達の枕辺を赤く照らし出す中、長らく二人の横顔を見比べていた。
二人共に目を瞑っているだけで、寝てなどいないのは判り、けれど、眠ろうとする態を装う彼等の身は何処となく冷えていて、申し訳なさが募った彼は、二人の肩に廻した両腕に力を込め、それぞれを抱き寄せた。
「………………アレン」
「……ん?」
「ローザも僕も、アレンが一人きりでしていたことを、怒っている訳じゃないんですよ」
「……そうか。なら……、それを、僕が二人に内緒にしていたことに、腹を立ててる?」
「それは、正解だけれど、正解じゃないわ」
すれば、もぞり、とアーサーがアレンの方へ寝返りを打ち、ローザも、同じく彼の方へともぞりと寝返り、
「…………? ええと……、二人からしてみれば、僕は案外秘密主義な処があるから、それで、と言う意味……かな」
彼等が小声で話し始めたことの意味が能く理解出来なかったアレンは、秘かに首を捻る。
「えっ。アレン、自分が秘密主義だって言う自覚があったんですか?」
「驚きだわ……。その辺りのことは、貴方は全て無自覚だと思っていたのに」
「い、いや、そういう訳じゃなくて。……と言うか、自分が秘密主義だなんて自覚、ある訳が無いだろう……。只、何となく、二人の言い分からそういうことなのかな、と思っただけなんだが……」
「……成程。じゃあ、やっぱり自覚無いんですね。良かった。……良かった、と言うのも、安心しちゃうのも変ですけど。──そうですよ。アレンは、ローザや僕に言わせれば、物凄い秘密主義だから怒ってるんです」
「もう、アレンも判っているでしょうけど。貴方が、私達を上手く言い包めて、一人きりで、あんな凶暴な魔物相手に『鍛錬』していたのは私達にはバレていて、でも、それを兎や角言うつもりはないのよ。……それは勿論、山程文句を言ってみたくはあるけれど、それに関しては、貴方は上辺の詫び以上はしてくれないと、判っているつもり。アーサーや私には肝の潰れるようなことでも、貴方にしてみれば、無茶でも無謀でもないんだ、って。さっき、祭壇の間で守人の彼と話していた時に言っていたみたいに、貴方にとっては、守りたいと思った私達を守り通す為に必要な行いでしかなくて、私達に何を言われても、心底から詫びる気は無いのでしょう……?」
「二人共………………。僕と彼のやり取りを、聞いていたのか……。────ああ。二人にどれだけ詰られても、この数日、僕がしていたことに関して、心底からは詫びられない。…………すまない、とは思ってた。僕は、アーサーもローザも騙していることになるのかも知れない、とも思った。でも、例え一時、二人を裏切ることになっても、僕に出来るのは、僕に辿れる路は、あれしかないと思った。……守人の彼が言っていたように、二人を信じていない訳じゃない。…………信じてる。二人のことは、誰よりも信じてる。僕にとって、『あれ』は、二人を信じているとかいないとか、そういう次元の話じゃないんだ。それが傲慢なのだと言われれば返す言葉は無いし、否定する気も無いけれど。僕に出来るのは、もう、あんなことしかなくて…………」
──それよりも続いたアーサーとローザの話から、二人は、この祠を訪れてよりの『己の秘密』を全て知っていて、こうなるまで打ち明けようともしなかったことに腹を立てているのだと考えたアレンは、正直に、この数日間抱えていた想いを吐露したけれど。
「んー……。…………そういうこと……でもないんですよ、アレン。とどのつまり、僕達が腹を立てている──正しくは、腹を立てることになったのは。この祠に着いてからのことにじゃなくって、今回のことを切っ掛けに、結局、君は、こうして二年近くも共にの旅を続けてきたのに、その胸の中だったり腹の中だったりに抱えている幾つもの想いを、殆ど、僕達には打ち明けてくれない、と気付いてしまったからなんです」
「えっ…………? そんなつもりは、本当に無いが……? 出来る限り二人には相談してきたつもりだし、想っていることや、想っていたことも、色々、打ち明けたつもりだけれど……」
「そうかしら? 能く思い出してみて、アレン。確かに貴方の言う通り、貴方なりに私達には相談してくれたし、想いや考えを打ち明けもしてくれたけれど、貴方が自分から、そうしてくれたことがあって? ムーンブルクの西方砂漠での時も。竜王の曾孫に再度の対面を求めに行った時も。私達が白状を迫ったから渋々打ち明けただけで、貴方から口火を切ったことなんて一度だって無かった」
アーサーもローザも、そうじゃない、と一斉に首を振った。
「そう……だったかな…………」
「そうよ。……私に言わせれば、今回はアーサーにも非があるわ。アーサーが、メガンテのことを内緒にしていたのが切っ掛けだもの。だから、貴方だけを責めようとは思わない。今回のことに関してはね。……だけれど、アレン。貴方は何時だって、何かある度、自分だけで全てを背負おうとして、こちらから水を向けない限り、私達には気持ち一つ聞かせてくれなかった。私やアーサーが、辛いだの嫌だのと弱音を吐いた時も、何も言わず、唯、私達を庇って、支えて、でも、貴方の気持ちを教えてはくれなかった。……貴方だって、辛いことはあったでしょう? 辛いと感じることが、あった筈よ……?」
「君を捜していた間にローザに叱られたから言う訳じゃありませんが、メガンテのことに関しては、僕も悪かったと思ってます。……御免なさい。でも、僕にだって言い分はあるんですよ? ローザの言う通り、僕も、この旅に出てから今まで、アレンから、辛いとか、嫌だとか言う言葉を、冗談以外で聞いた憶えがありません。何時だって君は前だけを向いていて、僕やローザを引っ張って連れて行ってくれて。でも、本心は中々打ち明けてくれなくて。…………そりゃあ、色んな人に暢気者って言われちゃう僕だって思い詰めます。アレンが、自分に辿れる路はそれしかないと思い詰めたみたいに、僕だって、僕に取れる路は、いざと言う時には自分を……、と言うそれしかないかも知れない、って。アレンは本当は、僕達には何も期待してないのかも知れないから、って」
「アーサー……。そんなこと、ある筈無いのに…………」
「……アレン、君がそれを言いますか? 僕達を守り通そうとする必要なんか無いんだと言えば、一人だけで魔物相手の鍛錬なんて、と言えば、君は、考えを改めましたか? …………アレン。ローザや僕の目には、アレンは今でも、『伝説の勇者様』に見えるんです。僕達なんかいなくても、何処までも一人きりで行けてしまう人なんじゃないか、と。……君は、僕達に背中しか見せてくれません。こんな風に言うと、アレンは、自分の背中を守って欲しいから、背中を預けているから、と言うんでしょうけど。…………時々でいいんです。全部を、なんて求めませんから。アレンが僕達に背ばかりを晒すのは、僕達に背を預けているからだと、言葉で聞かせて下さい。少しだけ、僕達に、自分から『本当』を打ち明けて下さい。辛い時は辛いと、言って下さい。……それだけなんです」
…………だから、そうじゃなくて……、と。
その後も、ローザもアーサーも、より一層アレンに縋り付きつつ、何時しか小言でなく訴えに変わった想いをぶつけてきて、
「……言える訳……無いだろう………………」
両隣の二人を抱え込みながら、アレンは面を歪めた。
「アレン……」
「アレン、貴方は──」
「──言える訳無い…………。……この旅に出てから。知らなくていいことを知ってしまったんだと思う。気付かなくていいことにも気付いてしまったんだと思う。見なくても良かったものだって。沢山、見てしまったんだと思う。……でも。辛いなんて思ったことなんか、一度だって無かった。そんな自覚、これっぽっちも無かった。今夜、こんな風になるまで。守人の彼にあんな話を聞かされるまで。うんざりしたことは幾度もあったけれど、辛いと思ったことも、嫌だと思ったことも無かった。…………気付かなかったのだから、言える訳が無い。辛かったことも、辛いと思ったことも、本当は、沢山沢山あったのかも知れない、なんて。言える筈無い。知らなかったんだから……。判らなかったんだから…………。辛いことも嫌なことも無いのだから、僕は、前だけを向いていればいいんだと。前を向いて行くしかないんだと。ずっと、心からそう思って…………。僕の想うことなんて、瑣末で下らなくて、二人に打ち明けるまでもないことだとも思って……。………………御免。御免、二人共……。本当に、すまなかった…………」
────そうして、彼は。
ギュッとアーサーとローザを強く抱き込んだまま、涙混じりになった声を何とか押し殺した。