「え…………?」

「大丈夫。もう大丈夫」

「安心しなさい。私達がいる」

誰……? とアレンがノロノロと面を持ち上げれば、彼を抱き締めた者は宥め励まし、もう一人も、傍らに添い優しく背を撫でてくれた。

「ロト様……? 曾お祖父様……?」

故に、彼は目を瞠る。

虚ろになった瞳で見遣ったそこにいた者達は、一月以上も前、ベラヌールの宿でラーの鏡の破片に映った、その夜の夢の中で逢った、伝説の二人の勇者の姿をしていた。

抱き締めてくれているのは、『始祖』アレクで、背を撫でてくれているのは、曾祖父アレフだった。

この刹那までは、声はすれども姿は見えず、姿が見えても声は届かぬ、そんな彼等だったのに。

「…………ここ、は……あの世……?」

疾うの昔に天に召された筈の先祖達を目の当たりにし、アレンは当然とも言える呟きを洩らし、

「違う、違う。ここは、あの世なんかじゃないし、アレンは、れっきとした生者のままだよ。ちゃんと生きてる。俺とアレフは、疾っくの昔に死んだ人間だけどね」

「私達は、死を迎えると共に、言ってみれば精霊のようなモノと化して、この世界に溶けてしまった存在。故に、死者ではあるけれども亡霊では無い」

そうじゃない、とアレクもアレフも笑った。

「あー……。アレフ? そう言えば聞こえはいいけど、もっと、はっきり言おうよ。俺達は、死に損ない、ってさ」

「アレク……。貴方は、又、そのような言い草をされて……」

「だって、本当のことだから。────俺達は、死に損ないだ。死んだのに、精霊と化して世界に溶けた程、この世に、俺達の血を引く子孫達に、沢山の想いを残してしまった、想いも願いも引き摺ってしまった、死に損なったモノ。……あー、みっともないったら」

「…………まあ、そうですね。否定は出来ません。みっともない、と言うのも」

「だろう? ……あ、アレン。だからって、怖がらなくてもいいよ。化けて出た、って訳でも無いしさ」

「アレク。その言い方は、却ってアレンが怯えます。私の可愛い可愛い曾孫を、混乱させないで下さいませんか」

「そんな、酷い。俺にとってだって、アレンは、可愛い可愛い子孫なのに。勿論、アレフ、君も」

「何時頂いても、そのお言葉は光栄ですが。私のローラの真似も止めて下さい」

笑いながら、伝説の二人の勇者は、悪友同士の会話に似たやり取りを始め、

「あ、の…………。ロト様……? 曾お祖父様……?」

唖然としつつも、辿々しく、アレンは二人を呼ぶ。

「ん? ……あ、そうだ、アレン。俺は、ロト様、じゃなくて、アレク、と呼ばれたいかな。ロトは、俺の名前じゃない」

「何だい? ──私も、曾お祖父様ではなく、アレフと呼ばれたいな。確かに私は、お前の曾祖父だけれども」

「……で、でしたら、その……。アレク……様。ア、アレフ様。あの……先程までのことは、本当に、幻なのですか……? この場所も……?」

「あ、やっぱり、『様』は付いちゃうのか……。残念。呼び捨てがいいのに。──この場所は、幻だけど幻じゃない。君達が、ローレシア城だと思っていた所で起きたことは、何も彼も幻惑だけどね」

「では、城の皆がおかしかったのも、父上も……? 僕は、父上に剣を向けずに済んだのですか……?」

「お前が、何方の意味で、剣を向けずに済んだ、と言っているのかは兎も角だが。アレン、お前は父を殺してなどいないし、殺そうとしてもいない」

「そう……ですか…………。良かった……。全て、幻が見せた偽りだったなら…………っっ」

そうして尚も、アレクとアレフへ辿々しい問い掛けを続けたアレンは、ローレシア王城でのことは何も彼もが幻だった、と確信した途端、口許を押さえて呻き、嘔吐し始めた。

「アレン。アレン……。大丈夫か? 堪えちゃ駄目だ、こんな時まで我慢しない」

「体と心の思う通りに、何も彼も、ありったけ吐き出してしまいなさい」

嘔吐えずきながらも耐えようとする彼の背中を、先祖達は二人掛かりでバンバン叩いて、そうされて漸く、アレンは胃の中が空になるまで吐き下し、やがて、苦し気な呻きも消えた。

「……っ、申し訳、ありません……。こんな、無様な…………」

ちょっぴり荒っぽい介抱をしてくれた先祖達に促されるに任せ、情けない様を晒してしまった己をアレンは恥じたが。

「何で、そこを気にするかな。アレンは、誰の血を一番受け継いじゃったんだろう」

「確実に、貴方と私です。尤も、アレンのこの質は、血でなく、我々が不甲斐無かった所為でしょうね」

切なそうな顔を拵えてより、揃って、羽織るマントの裾で以て彼の汚れてしまった口許や掌を拭った二人は、やはり揃って、そっと優しく頭を撫でた。

「…………いいんだ。アレン。何も気にしなくていい。────辛かったね。今日のことも、これまでのことも。とっても、辛かったろう……?」

「でも。今だけは、どんなことも忘れて構わないのだよ」

「そ、んなことは…………。辛いなんて……」

「アレン。本当は?」

「嘘はいけない」

「………………辛かった……です。楽しかったことも、嬉しかったことも、救われたこともありましたけれど……今日も、これまでも、辛かったことは、本当は沢山あって……。……アレク様。アレフ様…………っっ」

優しい手は、その実、彼の白状を求めるそれでもあり、アレンは本音を零すと、ムーンペタで見た夢の中でしたように、先祖達に縋り付いて泣いた。

子供みたいに声を上げて、大粒の涙を溢れさせて。

「……うん。それが、本音だね。けど、それでいいと思う。俺だって、冒険の旅の途中、辛いと思ったことは山程あったよ」

「私もだ。いい歳をして、一人、泣き喚いた時もあった。……泣いてしまいなさい。そうすれば、すっきりは出来る」

堰を切ったように、自分達に縋って泣き出した彼を、アレクとアレフは受け止めた。

そうして、泣き続ける末裔と、末裔をひたすら慰める先祖達は、白く霞む世界の直中に、長らく踞っていた。

泣いて、泣き続けて、声が嗄れ、涙も涸れた頃、やっと、アレンの頭は冷えた。

「あ、あああのっ。有り難うございました、アレク様、アレフ様。……で、その……。お二人は、どうして……? 何故、僕は、幻? から抜け出せない……? のでしょうか……」

途端、猛烈に恥じ入った彼は、バッと、慌てて起こした体を先祖達から引き離し、居た堪れなさ気に目を逸らしつつ、ぼそぼそと言った。

「んーーー……。何処から話せばいいやら。……ま、いいや。最初からいこうか。先ず、君達がハーゴンの神殿に乗り込んだ直後から、アレンがここに来るまでに起こったことは、皆、ハーゴンが創り上げた幻だった。ハーゴンが拵えたモノじゃないけど、俺達のこの姿も幻みたいなもの。幻って言うか、幽霊を視るのと同じ理屈だね、多分。けど、『ここ』は幻じゃない。精霊ルビスが君達に授けた守りが、ハーゴンの幻惑を解いたのを切っ掛けにして、俺達が、ここに君を引き摺り込んだんだ」

「お二人が? 僕を?」

「ああ。どうしても、お前に伝えたいことがあったから。……お前がローレシアを旅立って直ぐ、夢を通して語り掛けてみたけれど、中々上手くいかなくてね。半端な声しか届けられなかった。ルビスが、ラーの鏡の破片と、お前の目の双方に力を与えてくれたから、何時ぞやは姿を見せることが叶ったけれども、今度は、声が届かなくなってしまってね」

「そうだったんですか……。では、竜王の曾孫が言っていた通り、あの夢は、只の夢などではなく、真に、お二人が……」

「うん。夢も見せたし、竜の彼が言ってたみたいに、君にベッタリ張り付いてもいたんだけど、結局、こんな強引な形になっちゃったんだ。驚かせて御免。……但、言いたかないけど、それもこれも、神や精霊の所為みたいだ。邪魔されちゃったんじゃないかな、彼等に。アレンに姿を見せられるようになったのも、その精霊のルビスのお陰だけどさ、長いこと見て見ぬ振りしてたくせに、今更、温情与えられても感謝は出来ないなあ……。正直、腹立つ」

すれば先祖達は、何故か、ピシリと姿勢を正して行儀良く座り直したアレンの胸許辺りを代わる代わる指先で突きながら、神や精霊達への愚痴も入り混じった語りを始めた。