ハーゴン達とて、見破られ済みの罠を再び仕掛けるような愚行は犯さぬだろうとは思ったが、念の為、ルビスの守りを掲げながら石扉を潜った神殿内は、甚く底冷えがした。

ロンダルキアそのものが極寒の大地故にではなく、明らかに別の理由で。

床も壁も天井も、所々に窺える色煉瓦の残骸らしき物の他は、土よりも濃い煤けた色の石で埋め尽くされており、それらも、残骸と化しつつある色煉瓦のようにあちらこちらが崩れ始めていて、ハーゴンの神殿は、その巨大さも相俟って、様々な意味で不気味な恐ろしい廃墟の如くだった。

此度は幻惑に翻弄させずに済んだことに安堵し、漸く真実の意味で辿り着けた神殿内の様相には、らしいと思いながらも眉顰めたアレン達は、息を殺しソロソロと進めたばかりの足を、一度ひとたび留める。

人の気配は固より、魔物の気配も余りしない、シンと静まり返ったそこのあちこちに、火の玉──霊魂と思しきモノが浮かび漂っていた。

「これは……。もしかして、邪神達の召喚の為に、生け贄に捧げられてしまった者達の魂か?」

「恐らく。しかも、哀れなことに、あの霊魂達からは、怨念も、この世や生への未練も感じられません……」

「アーサー、それはどういうことなの? 人魂みたいなものは、信仰を持たない者には視え辛くて、それでも人の目に映る場合は、その人魂が抱える恨みや未練が強いからなのでしょう? アレンは、ルビス様に目を触れられたから、その限りじゃないにしても、私だって、貴方程は信心深くは……」

「だから、哀れなんです。恨みも未練も残さずに逝かれた方は、この世を彷徨ったりしません。ですが彼等は、ああして存在していて、耳を澄ませると、あの幻の中で行き会った人々が言っていたのと、そっくり同じ科白を呟いているのが判るんです。……要するに。あれは、生け贄にされた挙げ句、恨みも未練も取り上げられて、あの幻を創り上げる道具にされてしまった霊魂達なんです。多分ですが……、彼等は、あの世の門を潜ることも出来ずに、永遠、この世を彷徨うしかないかと…………」

ゆらゆらと宙を漂う幾つもの火の玉を見詰め、この神殿の中でも、少なくともあの数だけ、邪神達の生け贄に捧げられてしまった者達がいたのだろうか、と呟いたアレンとローザに、アーサーは、沈痛な面持ちで感じ取れた事柄を語り、

「…………惨いな」

「そうね……」

「……ハーゴンを倒せたら、あの霊魂達の運命も変わるかも知れないと、祈りましょう」

遣り切れなさ気に緩く首を振った三人は、留めてしまった足を動かし、漂い続ける霊魂達の間を縫って、神殿地階の奥へ進んだ。

────石床達同様に脆くなっていた、主に悪魔族達を象った不気味な模様や胸像で装飾された壁伝いに真っ直ぐ行けば、やがて、玉座らしき物が現れた。

ハーゴンの為に設えられたのかも知れない玉座の周囲にも、一際大きな人魂が二つ、ふわり、ふわりと浮かんでおり、「もしかしたら、あの内の何方かが、あの幻の中での父上役を務めさせられたのかも」と、頭の片隅で僅かだけ考えたアレンが、その脇をすり抜けようとした瞬間。

『ケケケ! 騙されていれば良いものを! 見破ってしまうとは、可哀想な奴等よ!』

甲高い人外のモノの声が響いて、玉座を取り巻く人魂──と思っていたモノが、ゆらっと強くぶれた直後、薄く黄色掛かった毛で全身を覆った、赤い羽持つ魔物が二匹、出現した。

「シルバーデビル……じゃないな」

「デビルロードよ。シルバーデビルよりも更に上位の悪魔獣族っ」

「デビ────。……! 確か、デビルロードはメガンテを使う筈です!!」

二匹の魔物は、ロンダルキア雪原を跋扈していたシルバーデビルの同族で、見た目は能く似ているが凶悪さは段違いだと、ローザはルカナンを、アーサーはマホトーンを、それぞれ唱え始める。

『可哀想に! 可哀想に! ケケケケケ!!』

「騙されていれば良かった、か。お前達も、あの幻惑に一役買ったのか?」

鋭く硬い爪を得物に、猿そっくりな長い前脚を振り回す、高笑いを止めないデビルロード達を、ロトの剣に手を掛けたアレンは見据えた。

……何も彼もが幻だったと判った今も、そうと知らず、父王に化けていたナニカに刃を向けたあの刹那を思い出す度、吐き気がした。

アレを、父王では無いと見抜けず殺そうとしてしまった己も、いまだ腹立たしく感じていたし、自分にあのような真似をさせたハーゴンや魔物達に対する怒りも、消え去ってはいなかった。

故に彼は、嘲笑い続ける眼前の二匹の魔物に冷え切った眼差しを呉れ、

──精霊よ、マホトーン!」

──精霊よ、ルカナン!」

アーサーとローザが相次いで魔術の詠唱を終えると同時にロトの剣を抜き去り、神速としか言えぬ疾さで、真横に振った。

「…………え……」

「あっ……」

切っ先が霞む程に鋭く振るわれた剣の一撃のみで、二匹の内の一匹の首と胴が生き別れになり、ゴトン……、と音立てて石床に転がった魔物の首へ、つい視線を向けてしまったアーサーとローザは、思わず動きを止める。

『メ……メガンテ!!』

「効かないと思うが?」

何が起こったか判らぬ内に、仲間の首が飛んだのに慌てふためいたのだろう、もう一匹のデビルロードが、マホトーンに呪文を封じ込められたのも失念し、大声でメガンテを唱えようとするのを何処までも冷ややかに見遣って、アレンは再び、ロトの剣を振るった。

「アレン……?」

「一体、何が…………」

二度目のそれは、驚愕を顔全体に浮かべた魔物の額から後頭部に掛けてを割り、二匹目も剣の一閃のみで倒した彼へ、アーサーもローザも、戸惑ったような目を向けた。

「……すまない。驚かせたかな」

「ええ、まあ……。驚きはしたんですけども、アレンにじゃなくて、ロトの剣に……」

「それが、ロトの剣の本当の力……?」

「多分。あの幻の中での出来事の、何を以てロトの剣が僕を認めたのかは謎だけど、アレク様とアレフ様が仰っていたように、振るって──いや、抜いてみたら判った。『昔』とは違って、とても『意志』の強い剣にはなってしまったが、今のロトの剣は、伝説通りの剣だ。ひょっとしたら、伝説以上かも知れない。……まあ、今のは、僕も怒りに任せた処があったから、その所為かも知れないけどな」

先程デビルロードが見せた驚愕に能く似た色も混ざった眼差しを寄越す二人に、「ロトの剣が『伝説』に戻ったのと、後はまあ、火事場の馬鹿力?」と、微苦笑をしたアレンは肩を竦めてみせる。

「あ、成程……。……やっぱりアレン、怒ってたんですね、あれに」

「うん。憤れば憤る程、ハーゴンの思う壷かも知れないと判っても、流石に、あれは許せない」

「それが当然よ。私も、ムーンブルクは只の失火で、と言われた時には我を忘れたもの。冷静にならなければと、今は判っているけれど。…………それにしても、物凄いわね、ロトの剣……」

「ああ。お陰で、多少は色々が楽になりそうだ」

一瞬、驚愕と戸惑いが入り混じった彼等の眼差しは、『己自身』へ向けられたものだと彼は誤解し掛けたが、アーサーの視線もローザの視線も、自身でなくロトの剣へと向けられており、何となし安堵して、アレンは魔物の血を拭った剣を鞘に納めた。

「この土壇場になって、ロトの剣の諸々が何とかなるなんて想像もしてませんでしたけど、有り難いことですもんねー。凄過ぎるのがナニですけど」

「そうよ。有り難いことなのですもの、ロトの剣の何がどうだろうと構わないわ。ハーゴンを倒せるなら、それで」

「言えてる。ハーゴンを倒せるなら、何がどうでもいい。──さて、と。先に進んでみよう」

一度ひとたび、伝説の剣の輝きが消えたからか、それとも、覚えた驚きが去ったからか、アーサーとローザは一転声を弾ませ、三人は、神殿内部の探索を再開した。