「アレン!」
甘い吐息に鼻孔をくすぐられ、咄嗟にロトの盾で顔を庇ったアレンを、後先考えずに飛び出したローザが、盾毎彼を抱き抱えて更に庇った。
「……ロー、ザ……っ。下がれ…………っ」
「お願い、眠らないでっ! 気をしっかり持ってっ!」
共に甘い息を浴びてしまい、ふらり……、と身を傾がせたが、彼女は血が滲むまで唇の端を噛み締め、パン! と音が鳴った程の力で彼の頬を張る。
「アレン! お願い、お願い……っ!!」
「…………大丈、夫……っ。……有り難う、ローザ! アーサー、ローザを頼む!!」
「はい! ──ローザ。君もしっかりして下さい、しっかりして、ローザ!」
抗いはしたけれども、何時しか床に片膝付いてしまっていたアレンは、痛い叱咤のお陰で眠り掛けていた意識を何とか引き摺り戻し、そっと床に座らせた彼女をアーサーに託して、改めてハーゴン目掛けて突っ込んで。
────そこから先は、彼とハーゴンとの打ち合いだった。
イオナズンも操る、人で言うなら術者の一面を持ちながら、ハーゴンは杖を操る術にも長けていて、アレンの剣技を捌いて見せもした。
だが、技量も持久力もアレンが勝ったか、徐々に疾さを増していった稲妻の剣に、とうとう、ハーゴンは追い込まれた。
…………それは、ムーンブルク王都を滅ぼし、世界を破滅に導かんとした邪神教団大神官が、最期の時を迎えつつあるのを意味しており。
「ハーゴンっっっ!!!」
この一撃で終いだと、アレンは、稲妻の剣をハーゴンの首に叩き付ける。
「お、おのれ…………」
雷光を纏った稲妻の剣に首筋を掻き切られたハーゴンは、動きを留め、カランと長い杖を手から零して呟き────。
…………けれど。
「……私を倒しても、最早、世界を救えまい……!」
死に向かいながら、この上無く満足気な笑みを浮かべた大神官は、してやったり、と囁く。
「何……?」
「我が破壊の神シドーよ! 今ここに! 生け贄を捧ぐ! ──そうだ、これこそが私の望み!! 魔族に仇為すロトの末裔共に討たれたこの身を、我等が神に捧げることこそ! 悍ましいロトの末裔共よ、我が血肉を以て招きし神の餌となれ! 破壊の神の力となれ! お前達が、お前達の血が、我等が神と共に世界を滅ぼすべく!!」
そうして、ハーゴンは絶叫を迸らせつつ、高く上げた両腕を広げ、邪神の祭壇へ身を投げ出すようにし、彼等の神の御印に凭れて息絶えた。
「破壊の神、シドーだと……?」
「そうか……! ハーゴンの真の望みは、ここに僕達を誘き寄せて生け贄に捧げることじゃ無かったんですっ。真逆だったんですっ。ロンダルキアの洞窟で行き会ったあの彼が聞き齧った通り、邪神は、自身の信者の命を求める神で、だから、邪神に捧げられる最後の贄は、ハーゴン自身だったんですっ。彼は、僕達に倒されることで邪神への最後の贄となって、召喚術を完成させたんですっ。僕達は、まんまとそれに引っ掛かって、生け贄を破壊の神シドーに捧げる役目まで果たしてしまったんですっっ」
「そんな……。では、私達が邪神を招いてしまったことになるの……!?」
「……はい。残念ながら。……それ処か。ペルポイの牢の彼が言っていたみたいに。ハーゴンを贄としてシドーに捧げてしまった、ロトの血を引く僕達は、シドーの供物にもされたんです。あの老人は、生け贄、と言う意味で、僕達をシドーの供物に、と聞かされていたんでしょうが、本当は、召喚の為の生け贄でなく、シドーの力の糧となる、餌、と言う意味での供物だったんです」
「………………だったら……、どうすればいいの……?」
「…………判りません……」
ハーゴンの叫び、その死に様、それより、邪神の名とハーゴンの真の企みを知ったアーサーも叫び、ローザは、雷の杖を握り締める手を震わせながら蒼褪める。
「アーサー。ローザ。治癒の術を。それが終わったら、祈りの指輪で魔力の補いを。壊れても構わない。やってくれ」
が、一度
「アレン、まさか……。……相手は神ですよ? 破壊を司る邪神でも、僕達にとっては魔物でも、神と名乗っているモノなんですよ?」
「そんなことをして、何になると言うの……?」
「……アレク様も、アレフ様も。人の身で、人には倒せぬ筈の、世界の敵だった大魔王に喧嘩を売った勇者は、神にも喧嘩が売れる、と仰られた。大魔王ゾーマも竜王も。神と程度は同じだと。……ハーゴンは、邪教の大神官ではあったが大魔王とは言えないんだろうな。でも、奴も、確かに世界の敵だった。────僕達だって、その世界の敵に、正体も能く知らないまま喧嘩を売ったんだ。アレク様やアレフ様のように、神にだって喧嘩は売れる筈だ。況してや相手は、人だろうと魔物だろうと見境無く、自らを信じる者を生け贄として求める、僕達からしてみれば魔物でしかない邪神。…………戦う。戦って、勝てばいい。諦めない。絶対に、何があろうと、何が相手だろうと諦めない。三人で挑めば、きっと何とかなる。今日まで、そしてここまで、三人で戦って来たのだから」
────もう間もなく、破壊の神が降臨する。
……そうと知り、アーサーとローザは天を仰ぐ風になったけれど、彼は、二人を励ますように言葉を続け。
「どの道、もう後は無いなら。戦おう。三人で戦って、勝とう。……そうして。三人一緒に、帰ろう」
「…………はいっ。一緒に帰りましょうねっ」
「…………ええっ。三人一緒にっ」
蒼褪めた冷たい頬に、色と温もりを取り戻したアーサーとローザは、治癒の魔法を唱え、指輪に祈りを捧げる。
これが最後の戦いだと信じていたハーゴンとの一戦で、術を使役し続けた二人の魔力は疲弊していたのか、完全に力を補った代わりに、祈りの指輪は二つとも壊れ、サラ……と砂の如く崩れ去った。
「あ。壊れちゃいましたね」
「後は無いのですもの、いっそ、壊れて良かったのかも知れないわ」
「背水の陣、って奴ですか?」
「そうよ。やれることをやるだけの方が、すっきりしない? それに、街に戻って福引きで当てれば、又、手に入る物でしょ?」
そもそもから脆いとは言え、祈りの指輪が壊れてしまったのは少しばかり不吉だったが、祈りの指輪も、この運命の中での使命を果たしたのだと思えば、とアーサーとローザは軽く言い合い、
「あれ……? ……あ、抜ける」
急にカタカタと小さく鳴り出したロトの剣を、何だ? と掴んだアレンは、さっきは拒絶されたのに……、と訝しみつつ鞘より抜いた。
「ロトの剣には、ハーゴンの真の狙いが判っていたのかも知れませんね」
「ああ……。きっと、ロトの剣は、駄目だ、と言いたかったのね。このままハーゴンを討ったら、シドーが降臨してしまうと、知っていたのでしょう」
「だからって、抜刀すら拒否されると、僕としては困るんだが……。……まあ、いいか。抜けたし」
「ですねー」
「けれど、今度はロトの剣も活躍してくれるのではなくて? 破壊の神は、伝説の剣の相手に相応しいでしょうから」
ハーゴンの思惑に勘付いて、訴えの代わりに拒絶を見せたと言うなら、伝説の剣の『賢さ』に敬服はするが……、と三人が語り合った直後。
「だな。────さて……。そろそろ、か?」
「ええ。それっぽいです」
「……いよいよね…………」
ガラ…………、と音を立てて、祭壇の間の床が崩れ始めた。
破壊の神シドーの降臨を告げる風に。