又も、穏やかなだけの海を進む船の上で、楽しく名残惜しい海上生活を数日続けたアレン達は、港町ルプガナに辿り着いた。
……これで、長らく世話になった外洋船とも、船乗り達ともお別れ。
入港した船より、三人と船長以下乗組員達は揃って下りて、波止場の片隅で抱擁を交わし合って、迎えた別れに泣き出してしまったローザを総掛かりで慰め、ロト三国の港が他国の外洋船の受け入れを始めたら、又、逢えることもあるだろうからと、何時の日かの再会を誓い、三人と船乗り達は別れた。
そこから、船を返しに来たと伝えるべく向かった高台の館で、船主の老人と孫娘に厚い礼を伝え、少々長く話し込んでから二人と別れて館も辞して、
「…………あ!」
「アーサー? どうしたんだ、忘れ物か何かか?」
「一つ、思い出したことが。竜ちゃんの所に行くのを、すっかり忘れてしまっていましたね……」
明日までは港町を楽しもうと決め、宿屋に向かっていた途中、急に声張り上げたアーサーが、竜ちゃんの所に行き損ねた! と騒ぎ出した。
「ああ、そうだったわ! アレン、貴方、竜王の曾孫にロト様の手記を預けたままじゃないの。でも、船は返してしまったし……」
「……あーーー………………。あれ、な」
「どうします? ラダトームまでならルーラで飛べますから、あの街までは行ってみますか? 対岸に行く程度なら、船は幾らでも見付かるでしょうし、行こうと思えば徒歩でも行けますから」
「アレン、どうするの?」
そう言えば! とローザも大声を出し、竜王の曾孫には会いたくないが、先祖の手記だけは取り返さないと、と言い始めて、しかし、アレンだけは気乗りしない風になる。
「んー……。今は、うん。……その内にで、いいんじゃないかな。一先ず、忘れておこう」
実の処、アレンは、竜の王のことも、彼に預けたままのアレクの手記のことも失念していたのでは無く、敢えて口を噤んでいただけで、『今』、あの回顧録を受け取りに行くつもりなど更々無い彼は、曖昧な笑みで誤摩化すように言った。
「え? だけど……」
「じゃあ、どうするんです?」
「……一度、国に戻ってからにしようと思ってたんだ。竜王の曾孫のことは父上達にも告げてあるから、あれが、勇者ロトの回顧録を隠し持っていたから返して貰いに行く、とか何とか言えば、大っぴらに城を抜け出せる機会が、少なくとも一度は拵えられるな、と思って」
「あーー……。成程」
「確かに、その手は使えるわね」
「うん。上手いことやれば、それを口実に、アーサーもローザも国を空けられるだろう?」
「じゃあ、この件に関してはその内に。落ち着いた頃に、どうするか決めましょうか」
「ええ。そうしましょう」
だから、何故、そんなにも竜王城へ行くのを彼は渋るのかと、ローザもアーサーも不思議がったが、アレンが理由を告げたら、納得、と幾度も頷いた。
城を抜け出す口実に取っておきたいから、との『理由』も、誤魔化しとは気付かず。
「ねえ、ラダトームと言えば。ほら、あの武器屋の二階に匿われていた、ラルス二十世としか思えなかった、あの方。……放っておいていいのかしら?」
「あ、そっちは本当に忘れていたな。……ラダトーム王なあ…………。アレフガルドの者達も、ハーゴンが討たれたのは察しただろうから、もう、城に戻っていてもおかしくないとは思うが」
「隠れる理由も、逃げ回る理由も消えましたものね。…………放っておきましょうか。下手に対面したら、腹立たしい思いをさせられるかも知れませんし、僕達を利用されても困りますから」
「……そうだな。じゃ、そこは放置で」
そうして、自分達の間に幾度目かの嘘を忍ばせてしまったアレンと、そうとは知らぬ二人は、ラダトームには寄らなくてもいいかー、と軽い調子で語らいつつ、丁度辿り着いた宿屋に入った。
ルプガナの宿で一泊した翌日。
その日も活気溢れる街を思い思いに散策し、一寸した買い物をしたりもしてから、港町を発った三人は、ルプガナ北の祠を目指して草原を行き出した。
陽射しは良くて、風も良くて、行く手を阻むモノもいない、緑の草木を眺めながら街道を辿るだけの旅は、彼等の口も足取りも甚く軽くし、お陰で、僅か四日程度でルプガナの祠が見えてきた。
草原を越えていた間も、森の中を抜けていた間も、山道を越えた時も、日没後、野宿する為に熾した火を囲んでいた時も、引っ切り無しに喋り続けていたので、その僅か四日の時が、本来の倍以上の速さで過ぎ去ってしまったように感じ、もう着いちゃったの? と名残惜し気にしつつも、彼等は、旅人の扉を踏む。
ルプガナ北の祠から炎の祠へ、炎の祠からベラヌール北の祠へ、ベラヌール北の祠からムーンブルク西の祠へ、と各地の祠を繋ぐ旅の扉を辿り続けて、夕刻頃に着いた西の祠で一晩の宿を拝借し、翌朝、司祭に水や食糧を分けて貰ってから再び発ち。
────それより、数日後。
ローザの父母や臣下達や、王都の人々の仇を討ったと、今は亡き者達に報告する為に、三人はムーンブルクの都に立ち寄った。
……王都は、約二年前と同じ様を未だに晒し続けており、流石に、ムーンブルクの都が近付くに連れ口数を少なくし、足取りも若干重くしていた三人は、かつて、王都の正門が聳えていたそこに、無言で立ち尽くす。
「…………行きましょう」
だが、滅ぼされてしまった故郷の都に真っ直ぐ顔を向けたローザは、留めてしまった足を再び進め始め、アレンとアーサーも続き、世界から魔物の脅威が去った今も、爛れや臭気を漂わせる王都の中を抜けて、
「……お父様。お母様。只今、戻りました」
王城の入り口──だった所──で、先ずは帰還を告げた彼女は、王子二人を引き連れる風に、玉座の間に向かった。
──玉座の間の光景も、アレンとアーサーが訪れた日のままで。
君主の為の座の前に、ゆらゆらと揺れる炎──蠢く人魂が浮いている様も変わらず。
「お父様…………?」
大分以前、ムーンブルク王城の玉座の間で、亡き王の魂よりの訴えを聞いた、とアレンやアーサーから聞かされたことがあったローザは、蠢くそれに近付き語り掛ける。
『…………儂、は……ムーンブルク王……──世で……。儂は……。……儂に……話し掛けるのは、誰だ……?』
「お父様! 私です! ローザです、お父様!」
『……気の所為か、懐かしい声が聞こえるような……。しかし、そんな筈は……』
「いいえ! 私ですっっ。ローレシアのアレン殿下、サマルトリアのアーサー殿下と共に、ハーゴンを討ち取って参りました……っ。お父様や、お母様や、皆の、ムーンブルクの仇を取って、ローザは戻って参りました、お父様!」
『ま、まさか……!?』
少年達が訪れた際は、アーサーが祈りの言葉を紡いでも切れ切れの声しか伝えてこなかったムーンブルク王の魂は、愛娘の声には、はっきり応え、剰え、ハーゴンを討ち取ったと、仇を取ったと、彼女が告げた直後には、生前の姿を三人の前に甦らせた。
『見える……! 見えるぞ! 其方はローザ!』
「お父様っっ!」
『おお……、おお……。そのような立派な姿になって……。……ローザ。其方達の働きは、魂となった儂にも感じることが出来た。本当に良くやったな…………』
「はいっ。お父様…………っ」
ムーンブルク王のその姿は、幽体としか呼べぬ、幻だったけれど。
その時、父娘は、確かに互いを抱き締め合った。