final fantasy VI
『La Sylphide』
前書きに代えて
甘い、筈、ですが。
この小説が『甘い』のか、と言われると………否、と答えた方が良いかも知れなく……。
──ええと……(汗)。
そんな小説です。
間違いなく、賭け値なく、短編です。今回は。
私の、小説と云うものに於ける、長編・短編の定義が、大幅に狂っていようとも、短編。
『ベリーベリー』ショートストーリーです。
あ、そうだ。
この小説の設定は、何時ものお二人さんです。
では、どうぞ。
La Sylphide一ラ・シルフィード。
赤くて柔らかい、ビロードの布で覆われた、豪奢な椅子の肘掛けに、ゆるりと頬杖を付いて。
さりげなく、オペラグラスを覗き込めば。
オペラ座の舞台は、良く、見えた。
ジドールの南にあるオペラハウス。
久し振りに訪れたここでの、今宵の演目は、オペラではない。
バレエ、だ。
ロマンティック・バレエ。
荘厳な音楽と共に、美しいプリマドンナが、華麗な技で舞う、踊りの芸術。
今宵のプリマドンナは、又格別に美しく。
格別に、腕前が良く。
舞台は、申し分のないそれだったが。
内心では、少しつまらないな、と思いながら、エドガー・ロニ・フィガロは、舞台を見つめていた。
今宵の演目が、オペラなら良かったのに。
そして、『マリアとドラクゥ』だったら、もっと良かったのに。
そう、思いながら。
けれど、そんな想いを、あからさまに顔に出す訳にはいかない。
今、自分は、フィガロの国王として、正式にジドールを訪れている身で。
今夜、ここに自分を招待したのは、本当だったら婚姻を結んでいる筈だった、ジドールの姫君なのだから。
だから、彼は。
些細な期待外れを胸の中に仕舞い込み。
「ほら、エドガー様……」
…と、楽しそうに舞台を指さす年若い姫君に、零れんばかりの笑みを向けた。
私達の婚姻は、成される事は有りませんでしたけれども。
せめて、こうやって、一緒に舞台を楽しむくらいの仲ではいましょう。
──そう云った、姫君の為に。
舞台の上では。
美しいプリマンドンナが、絶妙なポワント(爪先立ち)を、披露していた。
貴賓の為のボックス席で、何の感慨も示さずに、エドガーはそれを見ていた。
彼は余り、バレエに興味などない。
こんな風に招待された時に、外交上の礼儀を欠かさずに済む程度の事は、知っているけれども。
だから。
真剣に舞台に見入る振りをして、彼は、オペラグラスを少しだけ、舞台から逸らした。
そうすれば、対面にあるボックス席の客達が、丸いオペラグラスの中に映し出されて。
舞台とは関係なく、繰り広げられている人間模様が、手に取るように判ったから。
そうやって、この長い舞台の暇潰しをした方が、余程面白い、と。
一つ一つ、隣席の姫君に気付かれぬ様に、彼は、ボックス席の客達を眺めていった。
──その、彼の手が。
止まった。
丁度、貴賓席の向かいにある、一つのボックス席を映し出した瞳の中に。
こんな場所に相応しい、けれど何時と同じ漆黒色の衣装を纏った、良く知る男の姿が飛び込んで来から。
こちらと同じ様に、隣席に、一人の貴婦人を従えて。
──偶然の邂逅に。
エドガーは、驚きと、くすぐったさと、居心地の悪さと。
そして、僅かな苛立ちを覚える。
驚きと、くすぐったさと、居心地の悪さは。
オペラグラスの向こうにいる、彼──そう、恋人であるセッツァー・ギャビアーニに、偶然出会えた事と、その偶然のもたらす甘さと、恋人の目の前に、女人を連れて現れてしまった故の想いの結晶。
僅かな苛立ちは。
向こうがやはり、恋人である自分の前に、女人を連れて登場した事への想い。
自分には自分の都合がある様に、彼には彼の都合があるのだろうが。
偶然に見掛けて、愉快になれる様な恋人の姿では、決してなかった。
だから彼は、少しだけ口許を歪めて。
オペラグラスの中にいる、セッツァーを睨み付けた。
気付く筈などないと、知っていながら。
視線に、彼が気付く筈など、ない。
……と。
けれど、そんな彼の苛立ちは。
オペラグラスで、周囲には気付かれないのをいい事に、思う存分恋人を睨み付けた瞬間に、掻き消えた。
セッツァーが、連れの女性に、『笑み』を浮かべていたから。
自分以外の人間には、男女を問わず、叩き売りであるかの様に、簡単に見せる、薄い、上っ面だけの笑みを浮かべていたから。
尤も、セッツァーが浮かべるその『笑み』が、上辺だけのものである事に気付く人間は、早々、いないけれども。
故に、エドガーは、ほっと、安堵の息を吐いた。
恋人も、自分と同じ様に、病むに病まれぬ事情を抱えて、ここでこうしているのだと、気付いたから。
それは。
手にした瞬間に、儚く消える、愛の物語だった。
結婚を控えた一人の男の。
もう間もなく婚姻を交わすと云うのに、彼は。
森の妖精に愛されてしまって。
妖精の、魅惑的な踊りに、心奪われてしまった。
思いを遂げる人の事など、忘れて。
何も彼も、忘れて。
恋人の事も、忘れて。
男は、現し世の人を省みず、妖精の魅力に溺れた。
どうしても、手に入れたかった。
妖精を。
だから、彼は。
魔法のショールを、妖精に掛けた。
そうすれば、妖精がその手に入ると、魔法使いに教えられた。
けれど、そんな男に与えられる運命は、『皮肉』。
ショールに触れた妖精は。
魔法使いの呪いの所為で、薄羽を地に落とし、生命をも落とした。
現し世の恋人を捨てた、その男は。
絶望の内に、一人立ち尽くした。
目の前を、現し世の恋人と、その恋人を本当に愛していた男の婚礼の列が、通り過ぎる中で。
舞台の上で繰り広げられる物語は。
そんな、物語だった。
北の国の森に住む、幻想の世界の妖精と。
現し世の世界の男の話。
──物語は。
淡々と、舞台の上で続いていた。
恋人を見つめ続ける、エドガーを余所に。
そんな恋人の視線に気付かず、隣の婦人と談笑を続けるセッツァーを余所に。
踊りだけで、観衆に伝えられる儚い愛の物語が。
佳境に向かった。
ジドールの姫君も、セッツァーの連れの貴婦人も。
愛の踊りを繰り広げる舞台に、視線を意識を、釘付けにされていた。
エドガーのオペラグラスの中で。
セッツァーも、又、舞台に興味を示したのだろう、傍らのオペラグラスを取り上げていた。
舞台に見入ろうとしないのは、エドガーだけだった。
バレエだけでなく、セッツァーと云う男、唯一人を見つめ続けるエドガーに気付く者もいなかった。
誰にも、気付かれぬ様に。
エドガーは、オペラグラスを、そっと脇に置いた。
彼の仕種に、気付く者は、やはり誰もいない。
──舞台の上、で。
踊り子が、胸に片手を当てた。
マイム(身振り手振りだけの演技)の始まりだった。
だから、エドガーも、紺碧の眼差しで、セッツァーを見つめて。
小さく胸に片手を当てた。
踊り子は。
掌を上向けて、相手に差し出した。
エドガーも、又。
セッツァーへと向けて、そっと、上向けた手を差し出す。
舞台の上では踊り子が。
両手を包み込む様に、胸の上に置いた。
そして、エドガーもやはり。
小さく小さく、両手を包み込む様に、胸の上へ。
──美しい音楽の音色に合わせて。
美しい踊り子のマイムに合わせて。
エドガーは、セッツァー唯一人を見つめながら。
気付かぬ人へと、マイムを送った。
──胸に当てた片手の意味は、『私』。
上向け、差し出した手は、『貴方』。
両手を包み込む様に、心の臓の位置へと当てる仕種は、『愛しています』。
私は 貴方を 愛しています────。
このオペラ座に今宵居合わせた、全ての人が。
舞台の踊りに気を取られている内に。
彼は、踊り子のマイムに合わせて、偶然の邂逅を果たした、唯一人の恋人に、そう、声無き告白をした。
私は、貴方を、愛しています。
と。
今宵のプリマ達に、惜しげもなく捧げられた、拍手や喝采の消えて暫し後。
帰路に着く人々で混み出したオペラ座のロビーに、エドガーは、ジドールの姫君や近習(きんじゅう)達と共に、姿を現した。
興奮が冷めやらぬのか、先程の舞台の事を、上気した頬で語る姫君に、一々耳を傾けつつ。
彼を知り、頭を垂れて来る人々に挨拶を返しつつ。
ゆっくりと、だが確実に、エドガーは歩を、出口へと進めていた。
姫君のお喋りが、途中から激しくなって、あのマイム以降、余り恋人の方を盗み見る事は出来なかったから、彼は少し、舞台がはけた後のセッツァーの事が気になる。
階段を降りる姫君に、紳士然と手を差し伸べながら、ロビーに集まった人込みの中に、さりげなく、視線を走らせた。
背の高い、希有な銀の色した髪の恋人は。
やはり、あの貴婦人を連れて、ロビーの太い柱の影で、何事かを、囁き合っていた。
──君が、私に気付く事はなかったね。
恋人のそんな姿に、くすり、心の中でだけ、エドガーは笑う。
誰にも……恋人にも気付かれなかったあのマイムが、秘密の悪戯の様に思えて、少しだけ、楽しかった。
「エドガー様?どうなさったの?」
くすっと、声を忍ばせて笑ったエドガーに、姫君が、訝しんで、名を呼んだ。
「ああ。…何でも有りませんよ、レディ。さあ、参りましょうか」
忍び笑いを誤魔化し、階段を降りる彼女に差し出して、未だ繋がれたままの手もそのままに、彼は出口へと向う。
向かいながら、最後に、もう一度だけ、と、エドガーは、セッツァーを振り返った。
──計った様に。
刹那、柱の影で、密談をしていたセッツァーが、エドガーを見やった。
真っ直ぐな紫紺の瞳に射抜かれた。
……気付いていたのか、と、思う間もなく。
ふっ……と、零れたセッツァーの、心からの笑みに、エドガーは瞬間、周りの全てを忘れた。
刹那、恋人以外の全てが掻き消えた、世界の中で。
エドガーは、セッツァーの手が、ゆるりと動き出すのを、見る。
片手が、胸に置かれ。
上向かれた掌が、自分を指さし。
包み込む様な両手が、心の臓の位置に置かれるのを。
──そんなマイムを、エドガーに示して、銀の髪の人は。
微笑みを、一層深めると。
右手の人指し指と中指を伸ばして高く上げ、左手を、胸に当てた。
愛を、誓う、と。
そんな意味のマイムをも示して、セッツァーは。
何事も無かったかの様に、柱の影に置き去りにした貴婦人との囁き合いを再開する。
「あの……。エドガー様?」
恋人の仕種に、心奪われていたエドガーは、姫君の、困った様な声音に、現実に引き戻された。
「……申し訳有りません。一寸……友人によく似た者が、居たので。さあ、今度こそ、本当に、参りましょう」
心配する様な眼差しで見上げて来る姫君に、優しくそう告げ。
彼女の手を引いたまま、エドガーはオペラハウスの扉を潜った。
END
後書きに代えて
うーん。
何か、少々、消化不良な気もしますが……。
La Sylphide一ラ・シルフィード。如何でしたでしょうか。
ロマンティック・バレエの代表作、 La Sylphide一ラ・シルフィードをモチーフに、書いてみたのですが……。当人としては、一寸(ごにょごにょ)。
言葉ではない、愛の告白って奴を、書いてみようかなーと……と言いますか……正直に白状するなら、『私は貴方を愛しています』と云うマイムを、エドガーにやらせてみたかっただけ。
そして、『愛を誓う』と云うマイムを、セッツァーにやらせてみたかっただけなんです。
書いた動機は、それ。
早朝、バレエの事を一寸調べていた時に、思いついたネタです。
何方かと言えば、行間から汲み取って欲しい事が多い作品かも(書き直そうかな、とか考えている癖に、管理人、偉そうです……)。
因みに、私はバレエの世界は、不勉強で、良く判らないのです(涙)。
ですので、あのマイムを、 La Sylphideの、どの部分で行うのか、判りません。
許して下さいまし。下調べ不足のまま、書いてしまった……。
(バレエって、白鳥の湖、とか、ジゼル、とかしか知らない………)。
何か、私って…長編体質なのかな……(独り言)。