final fantasy VI@第三部
『パイロットの勤め』

 

前書きに代えて

 

 ある日、管理人がキャッチしたリクエストに基づく、小説です。
 お題は『身体検査、前夜』。設定は、本編第三部。
 Let's コメディ(笑)。
 お題のキーワードは、『キスをして……』(笑)。
 では、どうぞ。

 

 

 

 セントラルパーク前、三十一階建ての高層マンション。
 その、ペントハウスの一室のリンビングで。
 今、セッツァー・ギャビアーニ空軍大尉は、どうしようもない苛立ちと戦っていた。
 彼の恋人である、この国の国王、エドガー・ロニ・フィガロ二世陛下と、誠に久し振りの、甘い一晩の時を過ごしている最中である、と云うのにも拘らず、だ。
 苛々と、所在なげに、テーブルやソファの表面を、とんとんとんとん、指先で弾いてみたり。
 およそ、十分間隔置きに、壁の時計を見上げては、溜息を零してみたり。
 何とか、苛立ちを何処かへ逃がそうと、あからさまな態度に出しつつ。
 ──大丈夫か、君。物凄く挙動不審だぞ、と。
 思わず、背後から声を掛けてやりたくなるくらい、大尉殿は、それそれは、内なる戦いに励んでおられたのだが。
 リビングの壁掛け時計が、午後九時を少し廻った辺りから、午後十時を指し示すまでの約一時間に及んだ『戦い』に決着が付いたのか。
 ふっ……と、溜息なのか憤りなのか、中々にして判断の難しい息を吐き出して、彼は、ソファの背凭れに投げ出しておいた、ジャケットの懐から、銀色のシガレットケースを取り出して、唇の端に煙草を銜えた。
 ……どうも、鑑みるに大尉殿、この一時間の間、喫煙の欲求と戦っていたらしい。
 が、どうにも堪え切れなかったのだろう、銜えた煙草に何の躊躇いもなく、擦ったマッチの火を近付けたのだが。
 途端、同じ『ふっ……』でも、目的の違う吐息が、隣から吐かれ。
 灯ったばかりの小さな火は、瞬く間に掻き消され。
 銜えた煙草は、伸びてきた、しなやかで綺麗な指先に、取り上げられた。
「……駄目」
 煙草を取り上げたのは、当然と云えば当然なのだが、隣の座っていた大尉殿の恋人、エドガー陛下で。
 それはもう、どう見たって、陛下、目許が笑っていません、と小声で呟きたくなる程、恐美しい微笑みを湛えて、エドガーは、未だ火さえ点けられていなかった手の中のそれをくしゃりと握り潰すと、ぽいっとダストボックスに放り投げた。
「駄目って、お前……」
 愛しい人の所業に。
 セッツァーは、それはそれは不機嫌そうな声音を絞り出し、長い銀髪を掻きあげ、睨む様な一瞥をくれたが。
 そんな眼差しには微塵も動じず、エドガーは、テーブルの上のシガレットケースと、御丁寧に、マッチボックスまでを取り上げると、それを、己が愛猫の、この部屋での寝床の、クッションの下に仕舞ってしまう。
「エドガー……。何が気に入らないってんだ。俺が煙草を吸う事に、お前が今まで、文句を云った事なんざ、なかったろうが」
 散々っぱら──とは云っても、高々、一時間かそこいらの話だが──喫煙の欲求を我慢したのに、天敵であり、犬猿の仲である、恋人の猫の寝床に煙草一式を片付けられて、セッツァーは苛々と訴えた。
 だが。
「君、ねえ。私が、知らないとでも、思ってるのかい? 明日の事」
 目だけが笑っていない微笑みに、より一層の深みを増して、エドガーは言い放った。
「何を?」
 恋人の言い種に、内心では動揺しつつ、セッツァーは答える。
「ふうん。恍ける気なんだ。……明日、空軍の、君の所属する部隊のパイロットは、身体検査を受ける日なんだそうだね。君が黙っていても、私には、そう言う事を、ちゃーーー……んと教えてくれる、有り難い友人が、何人もいるのでね。……午後九時以降、飲酒は禁じられているそうだね。体調を整えてから、臨む様にとのお達しもあったんだって? 勿論、煙草も良くないとか。──駄目ったら駄目」
 しかし、エドガーは。
 掴んだ事実を淡々と述べ、だから今夜の喫煙は許さないと、宣告を告げた。
「お前な……。俺が一日に、何本煙草を吸うのか、知らない訳じゃあるまい? 今更だ、今更。今夜だけの禁煙をしてみた処で、何が変わるってんだ。いーだろーが、一本くらいっ。我慢はしてみた。が、もう、限界だ。これ以上耐える事の方が、体に悪い」
 ──こいつに、要らん事を吹き込んだのは、何処の馬鹿だ。
 ……胸の内だけで、何時の間にか、恋人が知り得ていた事実を伝えた人物に悪態を付き。
 セッツァーは、開き直った。
「…………。航空法施行規則第61条の2。第一種免許身体検査基準項目、3・循環器系の、3-1-5、備考、の欄。暗唱して欲しいかい。それでも足りなければ、操縦教育教本の、航空医学に関する項目の中から、低酸素症に関する件を、暗唱してもいいけど」
 けれども。
 恋人の開き直りを受けて。
 エドガーは、見事なまでに、『現実』をその場に呈し、やはり、瞳だけは鋭い光を湛えたまま、三度目の笑みを、セッツァーへと向けた。

 

 航空機関が発達した現代。
 まあ、国により、多少の差異はあれど。
 航空法や、航空医学、と云った分野に於けるある一定の基準は、世界的な共通認識の中で、枠組みが決められている。
 ここ、フィガロ国の空軍に於いても、その基準は世界基準と大差ない。
 その枠組みによれば。
 第一種パイロット免許──ま、頻繁に空を飛ぶ、ジャンボジェットクラスを操縦するパイロットの為の免許、と思って頂ければ宜しい。非常にいい加減な説明だが、それが真理だ──を保持する者には、年間ニ度の、身体検査が義務付けられている。
 この身体検査にパスした証明書を得られなければ、パイロットの免許そのものが、剥奪される。
 故に、鬱陶しかろうが、検査前夜は、午後九時過ぎから水一滴も口にする事が出来なかろうが、セッツァーも、軍人とは云えパイロットではあるので、身体検査と云う奴を、受けなければならないのだが。
 如何せん、この男には、堪え性──特に嗜好に対する──、と云うものが皆無なので。
 一応、努力をしてみた事『だけ』は認めてやるが、出来れば、検査の前日くらいは吸わない方がいい──と云うよりは本来、パイロットと云う職業に従事する者は、禁煙するのが望ましい──と云うお約束が、守れずにいた。
 今まで彼が受けてきた身体検査の度、医者達に、せめて日々の煙草の本数を減らせ、と口を酸っぱくして云われて来てはいるが、この男が、そんな忠告を、守れる筈もない。
 だがしかし。
 たかが煙草と云う嗜好品の問題で、空軍一のエースの、パイロット資格が白紙になった日には、空軍関係者にとってみれば、由々しき事態以外の何ものでもないので。
 ……余りに馬鹿馬鹿しい由々しき事態なのは、まあ、さておき。
 何処からどう、話が伝わってきたのかは、ま、謎、だが。
 今年は、様々な者の思惑の元、明日、空軍にて、パイロットの身体検査が行われます、と云う事実が、王弟マッシュの口を『借りて』、エドガーの耳にもたらされていた。
 その話を耳にしたエドガー自身に自覚があるのか否かは判らないが、要するに、お願いですから、身体検査を無事にパスさせる為に、『馬鹿なエースパイロットを見張ってて下さい』、と云う役目を、大尉殿の恋人は、国王陛下であるにも拘らず、振られたのである。

 

「大体ねえ。云ったら何だとは思うけれど。たかが嗜好品だよ? しかも、百害あって一利もない煙草だ。君に、完全な禁煙をさせる事は、私も、君の周囲も、諦めているのだし。でも君ね、一晩くらい、我慢出来ないのかい? 自制の効かない子供じゃあるまいし」
 ──だから。
 多分、お目付役を押し付けられた自覚は、一切ないだろうが。
 最愛の人の事を気遣い、『嬉々』として、エドガーは、己が晒した、航空法だの操縦教育教本だのに書かれている身体検査に関する事実に、沈黙したセッツァーに、そう畳み掛けた。
 止めろ、と云うつもりは更々ないし、今伝えた通り、この恋人に禁煙をさせる事など、端から無理だと思っているけれど。
 多少は健康と云う奴に気を使って欲しいから、と云う思いも、彼はない訳ではないから。
「……それは、判ってる。云われなくとも。だが、止められねえんだ、仕方ない。それに。今までの身体検査だって、パスして来たんだ、問題ないだろ?」
 しかし、しかし。
 そんなエドガーの思いに、セッツァーが食い下がったから。
「でもっ。駄目なものは駄目っ。駄目ったら駄目っっ。今夜だけは駄目だっ。いいねっ?」
 人の好意を無にする事を、と、それでも湛えていた微笑みさえも消して、理屈もへったくれもない一言と元に、鋭い眼光で、きつくきつく睨み付けると。
 陛下は、ぷいっとリビングを後にし、バスルームの方角へと消えた。
「駄目だ、と云われてもなあ……」
 恐らくは、就寝前のバスタイム、シャワーを浴びに行ったのだろうエドガーの後姿が消えるまでを見送りながら。
 子供の様に叱り飛ばされたセッツァーは、ぼつり、独り言を洩らした。
 要するに、最愛の恋人に何を云われようが、どう叱られてみようが。
 喫煙の欲求に、これ以上耐え忍ぶつもりは、大尉殿にはなく。
 エドガーの無言の命を、忠実に守るかの如く、シガレットケースとマッチボックスを下敷きにした寝床の上に、ちんまりと丸まった、白い猫の姿を見遣って。
「……あいつ、まーだ俺の事を、理解し切ってねえな」
 ジャケットの別ポケットから、封の切られていない煙草を一箱取り出し、一本銜え、彼は、チン……と、軽やかなオイルライターの蓋を弾く音をさせつつ、キッチンへと向かった。
 換気扇の下に立ち、スイッチを押すと、立ち上る紫煙も、吐き出すそれも、全て、ファンの向こう側へと消える様に計らいながら、彼は煙草を吸い出した。
 ──まるでお子様が、親御に隠れて煙草を吸っているかの様な構図だ。
 そうまでして煙草を吸いたいか、己には、エースパイロットと云う自覚はあるのか、と、少々問い掛けてみたかったりもしない訳ではないが。
 何者の嘆きも受け付けるつもりはない、そんな表情を湛え。
 エドガーが入浴から戻って来るまで、彼はキッチンの片隅で、紫煙を燻らせ続けていた。

 

 最大の威力で換気扇のファンを廻したから、恐らくキッチンに、煙草の匂いはしない。
 吸い殻は、隠し持っていた携帯灰皿に仕舞った。
 冷蔵庫からミルクを失敬して、口内をすすいだ──さすがに、セッツァーにも残る最後の良心が、ミルクを飲み干させる事だけは止めた──から、息も、ニコチン臭くはないだろう。
 証拠隠滅は完璧──と。
 シャワーを終え、エトガーがリビングに戻って来た時には既に、セッツァーは涼しい顔をして、ソファの上にふんぞり返っていた。
 何事もなかったかの様に、天井を見上げている風な恋人を、ちらり一瞥し。
 未だ、美しい金髪も何処か濡れそぼった風情のエドガーは、何を思ったのか思わせぶりな笑みを拵えると、そんなセッツァーの膝の上に座る。
「どうした?」
 しどけない仕種で、上気した両腕を己が首へと廻し、頬を寄せて来たエドガーの躰を訝しみながらもセッツァーは受け止めた。
「ん……? 何となく」
「おやおや……」
 急にどうかしたのかと、問い掛けてみても、他意はないよと恋人が云うから。
 どんな風の吹き回しなのやら、と思いつつも悪い気はしなくて、セッツァーはエドガーへと唇を寄せた。
 湯上がりの、暖かい躰を上機嫌で抱き締めて、彼は接吻(くちづけ)を濃厚なそれへと発展させたが。
「…………セッツァー」
 次の瞬間、トンと──否、本当はそんな可愛いものではない──膝の上の彼に、胸を押された。
「何だよ」
「やっぱり……。喫煙を我慢している割には、随分と落ち着いてると思ったんだ。……煙草、吸ったね? あれっっだけっ。私がっ。君の為を思って云ったのにっ」
 ──どうやら。
 エドガーがセッツァーの膝の上に、『わざわざ』乗り上げ。
 それはそれは珍しい、『誘う』様な態度を取ってみせたのは。
 接吻をしてみれば、セッツァーが煙草を吸ったか否かが、判断が付くと踏んだ上の事だったらしい。
 するり、座っていた膝の上から降りるとエドガーは、背凭れの上のジャケットの、ポケットと云うポケットを全て漁って、封を切られたばかりの煙草と、オイルライターを発見した。
 煙草も、ライターも、発見されると同時に、ダストボックス行きの運命を辿った事は、この際、記さずとも良いだろうか。
「お前……。いい加減にしろよ……。俺が煙草を吸ったかどうか、確かめる為にわざわざ、あんな態度取ったってか? 吸っちまったんだ、もう、いいだろう? 何が変わる訳でもないし」
 誰が悪いのか、この一連の出来事の原点は棚上げし。
 恋人の態度に、ぴきり、眉間に青筋を立てて、セッツァーが刺々しい声を出した。
「そう言う問題じゃないっっ」
「じゃあ、どう云う問題だってんだよ。九時過ぎに飯を喰った訳じゃない、酒を飲んだ訳じゃない。今まで……ああ、半年前の検査だってそうだ。一度足りとパス出来なかった事はねえんだよっっ。ぎゃあぎゃあぎゃあぎゃあ、云われる筋合いのこっちゃねえ。例え小言を云うのがお前だとしてもだっ」
「……セッツァー」
 そんな彼の喚きをひとしきり聞いてから。
 エドガーは一転、酷く冷静な声音で、恋人を呼んだ。
「何だ」
「人間ね……。何時までも、若くはないよ」
「若くないって、お前な。俺は未だ……──」
「──未だ、二十代だって、そう云いたいかい? でもね、どう足掻いてみたって、もうすぐ三十路だって事実は、変わらないんだよ? 半年前までは、それで良かったかも知れないけれど。今回は、どうだろうね。……今回、問題なかったとしても、半年後はどうだろうね。私とて、君と同い年だから、考えたくはないけれど。年と共にねえ……身体能力は、確実に低下するのが理と云うものだ」
「それは……まあ……」
「君、確か。出世して、安穏に暮らすつもりはないんだったね。何時までも、第一線のエースとして、いたいんじゃなかった? 喫煙の習慣のある人間は、その習慣を持たない者よりも、高々度に於ける作業時間が短い筈だと、私は記憶してるけど。……私を残して、死ぬ気かい、君は」
 ──淡々と、語り続けたエドガーは。
 説得──と云うよりは脅迫──の最後を、そうやって締めくくった。
 『私を残して死ぬ気か』
 ……その台詞は、セッツァーにしてみれば、伝家の宝刀を抜かれたに等しく。
「お前、それは論理の飛躍って云わねえか?」
 苛立った声は、ぶつぶつとした、勢いのないそれへと変わり。
「可能性がない訳じゃないだろう?」
「……分かった、俺が悪かった。検査が終わるまで我慢すりゃいいんだろっ」
 終いには、ガシガシと髪を掻き乱し、彼は、白旗を上げた。
「宜しい」
 一先ず、謝罪を引き出した事に満足を覚えたのか。
 エドガーはにっこりと微笑むと。
「体調を整えた方が良かったんだったね。じゃ、休もうか」
 リビングの壁掛け時計は、未だ、午後十一時前を指していると云うのに、宵っ張りの大尉殿を捕まえて、就寝を促した。

 

 正規パイロットになってから。
 日付けが変わる前にベッドに潜り込む事など、ナイトミッションが明けた後以外に、経験はない。
 何度、寝返りを打ってみても、事態は変わらない。
 ……だから、時計が午前零時を指そうかと云う頃。
 隣で微睡み始めた恋人に、セッツァーは『ちょっかい』を出し始めた。
 この時間から寝ろ、と云う事の方が間違ってるんだ、と、云わんばかりに。
 大体。
 今日、己がこの場所でこうしているのは、明日の身体検査に赴く為の、健康管理をされる為なぞではなく。
 最愛の者との、そりゃあ甘い一時を過ごす為だった筈なのだからして。
 明日と云う日に何があろうが、それが己の『お楽しみ』を妨げる理由にはならない、と云うのが、セッツァーの言い分だった。
 医者から申し渡されている様に、食事も控えた、アルコールも控えた。
 恋人に口煩く云われて、我慢なぞついぞした事のない、禁煙にもトライ中だ。
 ……別に、性生活を自粛しろ、と云われた覚えはない──多分それは、一般的には、体調を整えて、と云う申し渡しの部分に該当すると思うのだが、彼にそんな理屈は通用しない──のだし。
 だから、と。
 寝入りばなの、思考も、表情も、ぼんやりとして無防備なエドガーへと、己が内なる欲求に、誠素直な彼は、手を伸ばした。
 セッツァーにしてみれば、『とんでもない』魂胆を抱えていたからとは云え、湯上がりの姿で、膝の上に乗り上げて来た恋人の、色香漂う先程の姿は、未だ、脳裏にきちんとあるし。
 何をされても逆らう力は出ないだろうこの姿は腕の中にあるのだ、据え膳喰わぬは何とやら、である。
 ……尤も、その『据え膳』も、あくまで、せッツァーに取ってみれば、だが。
「エドガー。……起きろ」
 故に、彼は。
 呼べばそれでも身じろぐ恋人へ声を掛け、微塵も力の入らぬ両の手首を取って、夜着を脱がせ始めた。
「駄目だってば……。早く、寝ないと……。朝、早い……んだろう……?」
 何をされているのかは、一応判っているのだろう。
 言葉でだけ、エドガーは、恋人の行為に抗った。
 が。
 如何に高潔な陛下とて、人間ではあるし。
 恋人と、褥を共にしている訳だから。
 『そう言う欲求』が、多少なりともあったのか、何時もの『習慣』か。
 肌の上に降りて来た唇に逆らう事もなく、あまつさえ、両腕を、セッツァーの背(せな)に廻してしまった。
 そして、こうなって来ると、セッツァーにとってはシメたもの、機嫌は直るし、一晩限りの禁酒禁煙の苛立ちも──この男は、アルコール中毒及びニコチン中毒なのだろうか──何処かへと消えたから。
 恋人の躰を愛する事に、彼は、意識と想いの全てを傾けた。

 

 さて。
 そんな事があった、とある週末から、過ぎる事、二週間後のその日。
 砂漠の真ん中にある空軍基地の一室に、空軍一の問題児である大尉殿は呼び出しを喰らった。
 先日の、身体検査の事で、と云う直属上官の呼び出しを伝えに来た秘書の弁に首を傾げつつ、その上官の部屋に入室した途端、やけに冷たい視線を、デスクの向こうから浴びせられて彼は、益々、訝しみを深くした。
 今回の検査も。
 己の判断では、別段問題は感じなかった。
 何時もはブーブー言い出す医師の小言も、なかった。
 あの夜は、エドガーと愛し合った後、普段の己の就寝時間から鑑みたら、少々驚きの時間に眠る事も出来たから、目覚めは爽快だったし、身体の方もすこぶる調子が良かった。
 体力も問題ない、生活習慣病を患ってもいない、持病なども勿論、持ち合わせてはいない。
 なのに。
 どう考えてもこの雰囲気は、小言を喰らう前のそれだ……と。
「何か?」
 どうして自分がここに、しかも、身体検査の事で呼び立てられなければならないのか、合点がいかぬと云う声音で、セッツァーは上官の前に立った。
「毎度毎度の事で。云わずとも良く判っているとは思うし、君自身、いい加減嫌気もさしているとは思うが。……大尉」
 そんな彼に。
 上官は、深い溜息を付くと、話し出した。
「云いたくはないが。たかが、身体検査、だが。これにパスせんと、軍人と云えど、パイロット資格が剥奪される事は、君も充分認識しているだろう? 空軍としては、だ。下らん事で、先の一年戦争の英雄、軍一のエースパイロットを、失う訳にはいかんのだよ」
 怒鳴りたい気分を通り越して、呆れてしまっていると云った方がいいだろう上官の声と話は、そう続いたが。
「はあ……」
 だから何だ、と云わんばかりの受け答えを、セッツァーはした。
「…………はあ、ではないっ! 判っているのかねっっ!」
 その彼の態度は、上官の感情を、逆撫でしたらしい。
 落ち込んだ様な、具合の悪い様な声を一転、激しい怒鳴り声へと上官は変えた。
「失礼ですが、Sir.……その……何か、問題でも?」
 けれど、怒鳴り飛ばされてみても、セッツァーには何処までも、心当たりがなく。
 思わず、問い掛けてしまったから。
 げんなりと、肩を落として上官は、
「再検査、だ」
 と一言、告げた。
「は? 再検査、ですか?」
 その宣告に、益々セッツァーは、疑問を深めたが。
「今までっっ。君が、パイロットにあるまじき生活をしていてもっっ。摩訶不思議な事に、一度も引っ掛からなかった再検査に、今回は引っ掛かったのだっっ。いい加減にしてくれっっ。私は、ハイスクールの教師をしている訳ではないのだ。一々、君のプライベートに首を突っ込むつもりはないが。せめて、こういう事の前夜くらい、自粛出来んのかねっ、大尉っっ」
「あの…。仰られている意味が、良く……」
「…………。血液検査、心電図、問診、眼科検査、耳鼻科検査、精神科の検査、レントゲン、その他っ。全てに問題がないのにも拘らず。故に、君が何かの病を患っているとは考えられぬと云うのにっっ。尿検査の結果、タンパク質が検出されたそうだ」
「はあ。……それで?」
「それで? ではない……。医師達の話では、可能性は一つだそうだ……。大尉……。こういう検査の前日くらい、その……性生活の自粛は出来んのかね……。何処の誰かは知らんよ。君が恋人と仲睦まじいのは結構な事だが……。君と君の恋人との一夜の所為で、エースパイロットが資格を失うなどと云う恥を、空軍は晒す訳にはいかんのだ……。──明日っ、とっとと、再検査を受けてこいっっ! 今夜は基地に詰めたまえ。この敷地内から出る事はまかりならん。上官命令だ」
「…………。yes.sir……」
 何処までも、何処までも、云いたくなさそーー……な態度の上官が告げた真実に、セッツァーの抱えた疑問は晴れ。
 と同時に、今日の呼び出しの理由も意味も、己が立場も理解して、彼は。
 返す言葉もなく、少しだけ遠い目をして、命令に従う誓いの意味も込めた、敬礼を上官へと捧げた。

 

 翌日、彼が再検査を受けなければならなくなった事実と真相は。
 マッシュの口を『借りて』、半期に一度、空軍で行わるパイロットの為の身体検査の事を、エドガーの耳にもたらした、様々な人物達の再びの思惑によって、やはり、エドガーの元へと届けられた。
 己が恋人が、資格の為の再検査を受ける羽目に陥った一連の流れを、陛下がどう受け止めたのか、詳しい事は判らないが。
 無事、再検査をパスしたセッツァーが、それから数週間の間、慣れぬ禁酒禁煙にトライし、恋人が電話にも出てくれない、とパイロット仲間にぼやいていた事からも、想像には難くない。

 

END

 

 

後書きに代えて

 

 航空法施行規則第61条の2も。操縦教育教本と云うのも。本当に存在します(笑)。
 半期に一度の身体検査も、実施されてます(尤も、半期に一度の検査実施は、日本の場合で、海外はどうだったか忘れましたが)。
 パイロットさんは、禁酒禁煙が望ましいのです。健康管理がとおても大変なお仕事です(笑)。
 セッツァーさんみたいな生活をしていると、上空で、とんでもない事態になる事、請け合い。
 更に因みに。男性は、尿検査の前夜、そういう事(自家発電含む(爆笑))を致しますと、ホントにタンパク検出されます(笑)。
 それにしても、陛下。お膝の上に乗り上げて、その仕打ちは、罪です。再検査の責任の一端は、貴方にも、あるのですよー?(笑)

 宜しければ、感想など、お待ちしております。

 

 

 

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