final fantasy VI 『平和な日々 穏やかな時』
このお話は。
『Duende』の、キリ番カウンター『34567』を踏んで下さった、『白殊皎』さんに捧げます。
リクエスト、どうも有り難うございました。
聴く者によっては心地よい、聴く者によっては耳障り、そんな飛空艇のエンジン音が良く響く、宵の口のファルコンのメンテナンスルームに、セッツァーが籠っていた。
作業をするには邪魔な、長い銀の髪を、本当に適当に纏めて、厚い皮の手袋をし、工具を握り。
室内の、高い温度がもたらす汗を、うっすらと額に浮かべながら、大切な『相棒』との『語らい』に、没頭していたから。
「何だ、未だやってたんだ。余り根を詰めたりしないで、少し休んだら?」
声を掛けられるまで、彼は、真新しいタオルと、冷たい紅茶の入ったグラスを携えて、メンテナンスルームの扉を開けたエドガーの存在に、気付けなかったが。
「……根を詰めるなとか休めとか。よりにもよって、お前から云われるのは、心外だぞ」
掛けられた声に驚く事もなく振り返って、セッツァーは、手の中の工具を傍らに置き──と云うよりは放り出し──、乱暴に、油に塗れた手袋を脱ぐと、柔らかい、笑みを湛えた。
「大きなお世話…って?」
自らを顧みる事を余りしない人間に、そう云う方面の忠告を云われる筋合いはないと、そう揶揄して来た相手に、大仰に肩を竦めてみせながらも、エドガーは手にしたタオルで甲斐甲斐しく、セッツァーの額に浮いた汗の玉を拭ってやる。
「そうは云ってない。俺の心配をしてくれるんなら、俺自身の事よりも、てめえを労る事の方に重きを置けって云ってるだけだ。そうしてくれた方が、よっぽど、俺の心労は減るぞ」
顔の上で動かされる布地のこそばゆさに片目を瞑りながら、『忠告』に、三倍以上の『忠告』を、セッツァーは返した。
「はいはい。……全く。君がそんなに口煩い男だとは、思ってもみなかったよ、私は。本当に、過保護なんだから。疲れてないかなって、一寸、君の心配をしただけなのに、今云われずとも良いお小言を喰らうとはね」
汗を拭い終えたタオルを、足下に落として、少しばかりしかめっ面を、エドガーは作ったけれど。
「過保護な俺は、嫌か? お前が説教が大嫌いだってのも、充分承知してるがな。……お前を、大切にしたいだけだ」
グラスの紅茶が溢れる、と、相手が慌てるのも意に介さず、タオルを放した手を取って、メンテナンスルーム、と云う場所には余りそぐわない、何処か魅惑的な笑みを拵え、セッツァーは、彼を抱き寄せて…………────。
──その頃。
宵の口の、ファルコンのロビーの片隅。
「……もしかして。又?」
煎れたての、そう、エドガーが、メンテナンスルームに運んで行ったアイス・ティと出所は同じ、暖かい紅茶が入ったカップを取り上げ首を巡らせ、メンテナンスルームの方角を見遣りながら、ぽつり、セリスが云った。
「……さあ。そうなんじゃないの?」
マッシュが煎れ、配り歩いたそのティを、やはり飲みながら、ティナが首を傾げた。
「飽きもせず?」
その隣で、ロックが胡座を掻いて、天井を見上げ。
「そう。飽きもせず」
漸く、自身で煎れた茶に口を付けられる様になったマッシュは、立ったまま、同じくメンテナンスルームの方角を、振り返る。
「懲りるって事、知らないのかしらね」
「懲りるって云うか……そもそも、さあ……」
「そうそう。……そもそも、ねえ……」
「ばれてないと、思ってるから……」
──そうして、彼等は、一様に、全くの同じ動作で、揃いのカップの中の、同じ紅茶を一口、飲むと。
一斉に、ゲンナリ、項垂れた。
ここはファルコン。
世界を救う冒険へと旅立った、御一行様の、まあ、云ってみれば、基地(ベース)。
一年前、魔大陸が浮上したあの刹那、ブラックジャックが裂け、大地に放り出され、一度は散り散りになった彼等だったが、生き別れになってしまった仲間達との再会を果し、 今、又、こうして集う場所を得、ケフカを倒すべく、再び、旅の空に御一行様はいる。
散り散りになってしまった友と、飛空艇のロビーで顔を突き合わせ、のんびり茶など嗜める今日(こんにち)になるまでに、シリアスに語れば様々な艱難辛苦がなかった訳ではないが、それはそれ、所詮、過ぎ去った日々の出来事でしかなく。
現在は、冒険の旅の方も順調で、もう一寸踏ん張れば、宿敵ケフカさんも倒せそう、てな楽観的──と例えて良いのかは、又別問題の様な気もするが……兎に角、楽観的な雰囲気さえ、ファルコンの中には漂っている今日この頃、宿願が叶いそうな、平和が直ぐそこに見えそうな、穏やかー……な気配は、決して悪い事ではないのだと、集った者達も、思わない訳では──外野的には、そんなに楽観的で良いのかね、君達、と突っ込みたくなるのは、まあ、脇に除けておいて──ないのだが。
そんな脳天気な御一行様達でさえ、大丈夫なのか? と首を捻りたくなる痛い『現実』が一つ、今、飛空艇の中にはあった。
もう、多くを語らずとも、その、痛い現実が何なのかは、お判り頂けるだろう。
……そう、現在メンテナンスルームに籠っているお二方、が、脳天気な御一行様達でさえ唸らせる、『痛い現実』を生み出している当人達であり、彼等のやる事なす事、が、痛い現実そのもの、だ。
──この、冒険の旅が未だ序盤だった頃。
高名なオペラ歌手を、馬鹿馬鹿しくも派手派手しく、攫いに行く、と宣言ぶちかまして、なのに、「嫁さんにする」とまで云ってのけた相手を『間違えて』……まあ、当事者を庇うなら『嵌められた』が故にセリスを攫い、すったもんだの挙げ句、御一行様のメンバーにセッツァーが加わった時の事だ。
如何に王様、と云えど、祖国の現実は、砂漠の小国、てな事実を忘れていたんだか隠したかったんだか、協力してくれるならば、望む物は何でも……と空賊相手にハッタリかましたエドガーと、金だぁ? ふざけた事云ってんなよ、と、気分を損ねたセッツァーは。
一見穏やかに、『睨み合った』瞬間。
……どうやら……性別の問題、身分の差、己達の現状、そんな、ありとあらゆる障害を、一瞬に乗り越え、その……『ふぉーる・いん・らぶ』する、と云う体験を、同時に体験したらしく。
──そう、もっと簡単且つ正確に表現するならば、要するに、一目惚れ、をしてしまった彼等。
今日まで、『周囲の誰にも、ばれない様に』、『密やかに、忍ぶ恋 』、とやらを育み。
恋人、と云う関係を、築き上げて来たのだが。
当人達は完璧に、自分達の関係を、仲間達にも隠し遂せているつもりらしいが……証拠隠滅はパーフェクト、と思い込めているのは、セッツァーとエドガーの二人だけ、でしかなく。
「……恋愛なんて、当事者の問題だから、口挟むつもりはないけどさあ……」
呆れた様な口振りで、ロックがぽつり、洩らした。
「まあ、ね。でも、あれだけ『派手』にやっておいて、ばれてないって信じる神経は、一寸理解出来ないわぁ……」
独り言に似た呟きに、セリスが同意した。
「『派手』って云うなよ……。弟の俺は、居心地悪くなるだろっ。仲がいいのは好い事だろうけどさっ……けどさぁぁぁっ!」
マッシュは、うっすらと目許に涙すら溜めて、心底嫌そー……に、もう一度、メンテナンスルームの方を、振り返った。
「……あ。何か、壁に当たった音が……」
マッシュにつられて、ファルコンの一角に視線を流したティナが、耳聡く、何かが何かにぶつかる様な『不協和音』を聴き止める。
「子供達の教育上、物凄く良くない気がするわ……。彼等が部屋に籠って何してるのかって、この間、ガウやリルムに聴かれて、困ってたじゃない、カイエンもストラゴスも」
「でも、さあ……まあ………ほら、あいつら、所謂そう云う関係になってから、それ程時間経ってない内に、離れ離れになっちゃったろう? ある程度は、仕方ないんじゃ……とも思うけど、さ……」
「そりゃ、ね……」
「でも、やり過ぎは……」
「マッシュ……。その表現は、ストレート過ぎると思うの……」
──だから、当人達には秘密でも、周囲にとっては公然な、彼等の『アツアツラブラブイチャイチャ』な関係は、こんな事で悩めるなんて、平和って何だろう……と思える様な、痛い現実、に外ならなかった。
ま、それでも。
単なる『痛い現実』、でしかないならば、とりたてて問題はない、と。
全ての事に、見て見ぬ振りをしていようと、仲間達は誰も彼も、臭いものには蓋、の精神で、それまでの旅を『恙無く』送っていた……のだが。
「だってっ! だって、まさか、そんな事ってっっ!」
──この人が泣くなんて。
ハンカチ握り締めて、大粒の涙を眦に溜めて、声詰まらせながら、愚痴云うなんて。
……と。
その日、マッシュは、自分が使わせて貰っているファルコンのキャビンに、転がる様に押し入って来た途端、さめざめと泣き出した兄に、途方に暮れつつ。
「あの……。あの、さ……兄貴。何が遇ったのか知らないけど……。そのぅ……さ…。えっと……」
そんなのって酷い、とか何とか喚くエドガーを、どうにか宥めようと努力『は』していた。
何が遇ったのかは未だ判らないが、ここまでエドガーが喚き立てる理由なぞ、マッシュには簡単に想像が付く。
どうせ、セッツァーと喧嘩したとか、そんな次元の事だろう。
だから、あのギャンブラーに、兄が何を云われたか、何をしでかされたのかは判らずとも、気の所為だ、とか、何かの間違いだよ、とか、セッツァーが兄貴を哀しませる様な事、する筈がないだろう、とか……在り来たりだが効果はあるだろう台詞を、どちらかと云えば朴念仁なマッシュと云えど、幾らだって思い浮かべる事は出来る、が。
だがしかし。
問題は、どうやって、身も世もなく泣き崩れる大の男、御歳27才、職業・国王陛下、な彼を慰めたらいいのか、ではなくて。
どうやって、セッツァーとの恋仲を、こちらが知っていると悟らせずに、傍迷惑な号泣を納めるか、に焦点は絞られるから。
マッシュは、眩暈すら覚えた。
「あの、さ……その……。兄貴が泣く程の…一体、何があった訳?」
だが、延々そうしていても、兄の涙が枯れる事はなさそうなので、意を決して彼は、恐る恐る、事情を聞き出し始めた。
「それ、は……。その……」
途端。
ぴたり、この世の終焉を迎えたかの如くな、エドガーの嗚咽は止まる。
「それ、は……ええっと……。だから、その……。何と云えばいいか……」
そしてぶつぶつ言いながら、顔の色を赤くし、青くし、百面相を繰り広げ。
「誰にも言わないで…くれる……かい?」
握り締めたハンカチを口許に当て、スン……と大きく涙を啜ると彼は、上目遣いで弟を見た。
「勿論。俺が、兄貴の秘密をばらしたりする訳がないだろう?」
こくこくこく、と、この状況から逃れられるなら、と、マッシュは何度も深く、頷く。
「……なら…告白するけれど……。その……。好きな人……が…私にはいて……。いち、おう……恋人同士、の様な関係、で……」
弟の頷きを受け、エドガーはモゴモゴ、好きな相手であり恋人である相手を誤魔化しつつ、語り始めた。
「それで?」
向こうから、関係の全てを語ってくれるなら、何も問題はないと、兄が言い出した事に、若干目を輝かせて──幾ら何でも、きらきらと輝く程の眼差しを向けるのも、どうかと思うが──、マッシュは耳を傾けた。
「その人、が……えーっと……。何て言えばいいのかな……。うん……有り体に言えば、浮気、の様な事、を……」
すれば、己が音にした現実が、又、ぐっっっさりと胸に刺さったのか。
浮気、と云う一言を言うや否や、エドガーが又、さめざめと泣き出したから。
「……ああ、もうっ……」
浮気? 浮気って、セッツァーが、何処の誰と、この状況下でどうやって浮気をするんだ、大体、傍から見てたって、顔の締まりは何処やった? って云う程、セッツァーの奴、兄貴にベタ惚れだってのに……。
──長椅子の上で、崩れんばかりの体勢を取ってしまった兄に、そう云いたくなったのをグッッと我慢して……我慢して…が、我慢したはいいが、さりとて、ではどうすればいいのやら……と、天井を見上げ。
マッシュは、深い深い溜息を付いた。
ドッカンっ!! ……と、破壊するのか? と思える程、それはそれは激しく扉を開け放って、ファルコンのロビーに姿を現したセッツァーに。
その場に居合わせたセリス、ロック、ティナ、カイエン、の四人が、顔を見合わせた。
「……どうかしたでござるか、セッツァー殿」
扉一枚と云えど、大切な相棒の一部であるので、滅多な事では粗雑な扱いをしない飛空艇乗りが、その大切な相棒に八つ当たった事実と、仲間達の縋る眼差しを受けて、場の年長者であるカイエンが、セッツァーへと水を向ける。
「どうしたもこうしたも、あるかっ!」
と、間髪入れず、噛み付く様な、苛立ちも露な怒鳴り声が彼からは返され。
人々は、首を竦め。
「…っとに……。そんなんじゃねえって、何度も云ってやったってのにっっ。あの馬鹿はっっ!!」
周囲の訝し気な態度にも気付かず、独り言と云うには余りにも巨大なボリュームの『独り言』を、セッツァーは吐き出した。
「………っと、何か遇ったの? セッツァー」
かろうじて、『エドガーと』、と云う部分を飲み込み、ティナが、事情を聴いてあげない事もない、と云う風に、そおっと声を掛けた。
「何か?」
「あの……その……誰かと…何か……遇ったのかなって……」
ジロッと、意識はしていない──故に恐ろしい、鋭い眼光を向けられて、彼女は身を縮こめる。
「遇った……。まあ、な……。遇ったって言えねえ事も…ねえ、が……。──誤解っつーか、認識の行き違いっつーか……」
「誰と?」
が、それでも、ティナに問われた事にぶつぶつ、セッツァーは答え。
間髪入れず、セリスが突っ込みを入れた。
「……いや……誰とって……それ、は…だな……。取り立てて、云う程の事じゃねえんだが……」
──最初の、扉を蹴り開けた時の勢いは何処へやら。
さらりと入れられた突っ込みに彼は、言葉を詰まらせる。
どうせ、些細な事でエドガーと喧嘩でもしたんだろう、それ以外に彼がこうなる原因なぞ、ある訳がない、と、不審げだった周囲の眼差しが、冷めたそれへと移り変わったのにも気付かず。
御歳27才、職業欄には『元空賊』、てな箔のある肩書きさえ書けるギャンブラーは。
「結局は、些細な事で、別に云い募る程の事でもねえし……。まあ、誤解さえ解けばいいんだし……。俺の方も言い過ぎたのかも知れないし……。一寸、遊びに出た酒場の女に、世辞を云っただけなんだ……そしたら、酔った女に抱き付かれた程度の事で……その……な……。だからって、泣き出さなくてもいいと、俺は思うんだが……」
誰も、そんな事まで聴いてない、と云いたくなる様な『言い訳』を、ぶつぶつぶつぶつぶつぶつ、云い募り始めた。
「……何だ。『誰かさん』に、誤解でもされたっての? 酒場の女といちゃついてて、恋人に泣かれたんだ? ……へー、知らなかったなあ、セッツァーに恋人がいただなんてー」
耳に届いた低い言い訳に、ぴくり、片眉を持ち上げ、ロックがわざとらしい一言を告げた。
「…あ……ああ…まあ、いないって訳、じゃ……。──いいだろうが、俺にだって、人並み程度の、様々な事情ってのはあるんだっ」
「まあまあ。……セッツァー殿、そう憤らずに。誤解なら誤解、言い過ぎたなら言い過ぎた、で、エ…………えーと、お相手を泣かせてしまったのなら、素直に謝って来られたら如何でござるか?」
ロックの台詞に、一度は落ち着いた逆鱗を再び振り翳しそうになったセッツァーを、カイエンが慌てて諭した。
「誤解したのは向こうの勝手だってのに、どうしてそこで俺が謝らなきゃならねえんだ」
「でも、か……じゃない、彼女を、泣かせちゃったんでしょう? セッツァー」
泣かせるのは良くない事よと、ティナは云った。
「そりゃ、まあ……な……」
「いいじゃないの、貴方が引いてあげなさいよ。お互い、意地っ張りな性分なんだから。どっちかが折れないと、話進まないわよ」
彼女の言葉に、うんうん、とセリスが頷いて。
「お互い?」
「あ、いや、その……。ほら、セッツァーの恋人って云うならきっと、きっぱり物を云う、多少意地っ張りな感じの女性かなと思ったって、そう云う事だろう? セリス」
「そ、そうそう。そうなのよ、貴方も、そう思うわよね、ロックっっ」
「謝ってみせるのは、男の矜持に関わる様な事ではないと、拙者は思うでござるよ。あちらとて、武士道に良く似た、騎士の………いや…その……」
「だ、だからっ。騎士道も武士道も、兎に角…その……恋人を宥める為に、謝るのは駄目な事だなんて、云ってないしって事よね? ねっ、カイエンっっ。セッツァーだって、そんな事、悔しいだなんて、思わないでしょっ?」
──語れば語る程、ボロが出て来てしまう自分達の台詞が、セッツァーの神経を逆撫でぬ内に、これ以上、彼等の傍迷惑な痴話喧嘩が大きくなる前に…と。
「謝ってこいっ」
四人は、セッツァーをロビーから叩き出した。
何の気配を察したのか、マッシュが突然立ち上がって、出て行ってしまったから。
一人、弟のキャビンに取り残されたまま、やっぱり、さめざめ、エドガーが泣き濡れていたら。
ノックの音もなく、静かに扉が開いた。
「マ……──」
暫し姿を消した弟が戻って来たのかと、振り返ったエドガーの、涙で曇る瞳に映ったのは、セッツァー。
「……何か、用……?」
だから彼は俯いて、何とか声に張りを持たせ、止まらない涙を堪えた。
「…………悪かった。言い過ぎた。もう二度と、俺のやる事に口を出すな、なんて、云わないから。お前に誤解される様な事も、もう二度と、しないから。頼むから、もう、泣き止んでくれ」
苛々と、銀の髪を掻き上げながら、俯いた人に近付き、それでも彼としては最大限殊勝に、セッツァーは云った。
「…私をっ。……私を泣かせるような事をする君が、悪いんじゃないか……っ」
近付いて来た恋人が伸ばした腕が肩先に触れて、びくりとエドガーは、逃げんばかりに身を捩る。
「……だから、悪かったって、云ってるだろう。もう……困らせたりしないから……」
見ようによっては拒絶とも取れるその仕種に、表情を歪める程困惑し、それでもセッツァーは、逃げる体を引き寄せ、抱き留め、耳元に唇を寄せた。
「知らなかったんだ。お前がそんなにも、涙脆いなんて。泣き虫だなんて……思ってもみなかったんだ。…一寸、酒場の女に世辞を云った程度の事が、そんなにもお前を傷付けるなんて、思いもしなかった。──悪かった。これからは、気を付けるから。だから……泣き止んで……──」
恋人を抱き締めた腕に甘い力を込め、耳朶を掠める優しい響きを彼が放てば、泣き濡れた人は、詰る様な上目遣いをし、がそれでも、涙を止め。
「馬鹿だなって、自分でも判ってるんだ……。たった、あれだけの事で、こんな騒ぎをする必要なんてないし……あんなのは、酒場では良くある、当たり前の風景だって……理解してるつもりなのだけど……。あの風景の中に、自分がいた事だってあるのに……。どうしても、耐えられない程っ……嫌だったんだ……。その当たり前の光景の中に、君がいる事がっ……」
「……そうか…」
「だから……すまない…。私も、言い過ぎたと……思ってる……。浮気だ何だって……騒いで…御免…」
閉じ込められた胸の中に、エドガーは濡れた頬を押し付けた。
「良かったー……。セッツァーがここ追い出される前に、部屋、出て。何となく、いやー……な予感、したんだよな……」
一方、その頃。
虫の知らせに従って、兄を放り出し、逃走を計ったマッシュと。
セッツァーをロビーから追い出した四人の、計五名は。
二人の女性が用意し煎れたドマの茶に、一時の心の平安を求めていた。
「……ギリギリ、だったわねー……。エドガーが泣いてる処に、セッツァーが顔出して……そこに居合わせたら…居心地悪いわよねええええ…………」
間に合って良かったと、心底ホッとした表情を浮かべたマッシュの云う事に、ズズズズ……と、熱い茶を啜りつつ、セリスが同意を示した。
「居心地悪いなんてもんじゃないよ……。で、何だって? 結局、喧嘩の原因は、セッツァーとパブの女の、些細なやり取りが発端だって?」
年寄りじみた安堵の息を吐いたのも束の間、セッツァーの『言い訳』を聴き留めた四人に、痴話喧嘩の真相を語られたマッシュは、げっそり、打ちひしがれた。
彼だけでなく。仲間達も、哀愁漂うその背中に、その姿勢に、倣い。
「馬鹿馬鹿しい……」
「恋する乙女は、繊細なのよ」
「……エドガーは、乙女じゃないって……。気持ち悪い事云うなよ……」
「見てくれがでっかいだけじゃないの。やってる事は乙女よ。お・と・めっ」
「…やだ……。セリス……。私、カタリーナみたいに、恋人見詰めて頬染めてるエドガーなんて、想像出来ない……」
「それ云うなら、セッツァーだって一緒。自分と差してガタイの変わらない兄貴見詰めて、鼻の下伸ばしてる顔見掛けるの、俺、もうやだ……」
「いや、でも……まあ……。恋心に、乙女も青年も、余り隔たりはないでござろうし……。恋愛なぞ、麻疹の様な物でござるから……」
「そりゃ、乙女だろうと青年だろうと、恋愛感情に隔たりなんてないだろうけどさあ……。連中の場合、何時でも何処でも『隔たり』ないから、困るんじゃん、こっちは」
ズビズビと熱い茶を啜りながらボソボソと交わした自分達の発言に、彼等は一層の虚脱感を感じた。
「……今頃、『仲直り』、してるのかしら……」
茶請けの甘い蒸かし菓子に手を伸ばしながら、ティナが云った。
「仲直り、ね……。仲直り……してるんじゃないの? それはそれは、この上もなく、仲良く」
トポトポと云う音を立てながら、茶の替わりを、セリスは煎れた。
「…………マッシュ、今晩、俺の部屋で、飲む?」
『仲直り』が朝まで掛かりそうだと踏んで、同情の眼差しを注ぎつつ、ロックはマッシュを見た。
「俺…サウスフィガロに、帰ろっかな……」
はあ……と、シクシク痛み出した胃を、マッシュは押さえる。
「ファルコンの壁を、これ以上厚くする訳には……行かぬでござろうなあ……」
そんなマッシュを労りながら、カイエンは、好奇心旺盛な年頃の、二人の子供に思いを馳せて、瞑目した。
──平和とは、良いもの。望むべき事。
それは、人々の、共通認識の一つだ……と思う。
その、数多の人々が願う『平和』、それを世界にもたらす為に、こうして天駆ける日々を送る自分達が、こんな事で悩める事実、それも又、平和の一つで。
シリアスな側面から見たら、戦いに明け暮れるばかりの生活の中、『楚々』と──何処が楚々なのだろう──、一組の恋人達が、愛を育めるのは、望ましいとは思う、が。
「ねーねー。エドガーとセッツァーはー? あの二人、又、部屋に籠って何かしてるのー?」
──ファルコンのロビー。
『痛い現実』がもたらす現状に、大人達が茶を嗜みつつ脱力していたら。
今日も元気なお子様、リルムが、ガウと共にひょっこり、姿を見せた。
「いや、そう言う訳じゃ、ないと思う……ぞ……?」
天真爛漫──と云うよりは、天衣無縫──な彼女の一言に、顔を引き攣らせながら、ロックが答えた。
「んもー……。一寸、お願いしたい事があったのになっ。何かって云うと、あの二人、すーぐ一緒に消えちゃうんだからっ。あ、そう云えば、さっき、マッシュのキャビンの方にセッツァー、行ったよねっ。マッシュの部屋に居るんだ? ……直接行って、お願いしてこよっっ」
籠って何かしている訳じゃないのなら、一体何をしているのだ、と、ムスッとリルムは頬を膨らませ。
『何でもないなら』、直接部屋に行けばいいかと、彼女は踵を返した。
「ガウ、行こっ」
「うんっ」
笑んだリルムに腕を引かれ、ガウも、大人達に背を向ける。
「……えっっ。い、行くなっっ。行っちゃマズイっっっ! リルム、ガウ、駄目っっ!」
手の中の茶碗を放り出して、マッシュは身を乗り出し、二人に手を伸ばした。
「どうしてー? いいじゃない。何かしてるって云うんじゃ、ないんでしょ?」
が、その腕を、無邪気なお子様達は、するりと抜けて。
「駄目ったら、駄目なのよおおおおおっっっっっ!!」
「お願いだから、待って、二人共っっ!」
セリスとティナの絶叫が、追い縋る中。
子供達は、キャビンへと降りてしまった。
「リルム殿、ガウ殿っっっ。そんな事を知るのは未だ先でっっっ!」
訳の判らない叫びを放って、カイエンが立ち上がる。
残りの四名も、又、それに倣い、子供達を追い掛け…………────。
やがて。
「何が遇ったか知らんが、騒がしい連中だな……」
ファルコンの操舵を握りつつも、どうして、こいつとの組み合わせに当たってしまったんだと云わんばかりの仏頂面を拵え、隣のストラゴスをチラチラ見遣りながら、ロビーにての騒ぎを微かに聴き留めたシャドウと。
「なーーーーんにも喋ろうともせず、不機嫌そうな顔を崩さん誰かさんよりは、多少賑やかな方が、人間らしいと云うものじゃゾイ」
杖に凭れつつ、そんなアサシンに嫌味を放ったストラゴスの元にまで、階下から、怒号の様な大騒ぎが轟いて来たのは、それから暫く後の事、だった。
──そう。
繰り返そう。
シリアスな側面から見たら、戦いに明け暮れるばかりの生活の中、『楚々』と──何処が楚々なのだろう──、一組の恋人達が、愛を育めるのは、望ましいとは思う、が。
冒険の旅に勤しむ御一行様が、馬鹿馬鹿しい騒ぎに興じられるのは確かに、めでたい事なのかも知れない、が。
こんなドタバタ劇をもたらすものが、『平和』なら。
平和とは一体、何ぞや。
キリ番をゲットして下さった、白殊皎さんのリクエストにお答えして。
『周囲に公認で、ラブラブなセツエド』、なお話を、海野は書かせて戴きました。
公認、と云いますか……公認になった、と云いますか……。自他共に認める関係に、ならざるを得ないラストだった、と云いますか……。
じゃ、若干、お下品なラストで御免なさい(汗)。
子供達の教育上良く無いお二方で御免なさい(笑)。気に入って戴けましたでしょうか、皎さん。