final fantasy VI

『one minutes』

 

 このお話は。
 『Duende』の、キリ番カウンター『9999』を踏んで下さった、『瑛璃』さんに捧げます。
 リクエスト、どうも有り難うございました。

 

 

 

 

 その店の前は。
 当世の流行りなのか、店内が良く見渡せるよう、表一面がガラス張りだった。
 だからまるで、出来の悪い鏡の前に立った様に、ぼんやりと、立ち止まった己の姿が映って。
 虚像の中、映り込んだ、薄いフードに覆い隠された己が金の前髪を、ちょいちょい……と、エドガー・ロニ・フィガロは、手櫛で直した。
 しっかりとフードを被り直して彼は。
 カチコチと、胸元から聞こえる、本当だったら聞こえる筈のない、懐中時計の秒針が刻む、ささやかな催促の音に促される様に、又、歩き出した。

 

 そう、彼は今。
 マッシュやロック達の言葉を借りれば、『お手々繋いでのデート』と揶揄したくなる様な邂逅に、その待ち合わせの場所に、出向く途中だった。
 ──砂漠の国の城でなく。
 迎えに来た飛空艇に誘われ、訪れる地でもなく。
 別々の手段で向かった、この賑やかな港町で、逢瀬をしよう、と云う運びになったのは、まあ、色々な偶然が折り重なっての事。
 何時も通り、城を訪れるから、と恋人がくれた書状の中に、したためられていたその日、自分はこの街にいなくてはならなかった。
 だから、後ろ髪を引かれながら、断わりを入れた。
 さすれば、恋人は。
 都合よく、自分もその街に所用があるから、いっそ、出先で落ち合おう、と、誠魅力的な申し出を綴った手紙を、もう一度送って来た。
 時間を決めて、場所を決めて。
 それぞれが、それぞれの足で待ち合わせに赴く、『逢い引き』をしよう、と、恋人は。
 ──そんな、魅力的な申し出を、エドガーに断る事など出来はしなかったから。
 忙しい合間を縫って、何とか時間を作って、従者の目を掠めて。
 彼は今、恋人との待ち合わせの場所に向かっている。

 

 落ち合う場所は。
 船乗り達御用達の、船員宿舎、とでも例えるのが相応しい様な、そんな宿屋の前だった。
 息が切れる程足早に、歩き通し歩いて、漸く彼は、宿屋の入り口に手を付き、ほっと溜息を吐く。
 余り、『逢い引き』の待ち合わせにはそぐわない場所だけれど、それでも彼は、高揚を覚えていた。
 忙しい合間を縫って、時間を作って、供の目を掠めて。
 そんな逢瀬の経験が、彼と言えど、無い訳ではない。
 否、そんな逢瀬の体験は、し過ぎる程、恐らくはしている。
 初めて、女性と出掛けた逢い引きは、今日この日と、似た様な始まりだったし。
 胸の辺り、腰の辺り、が、少しムズムズする様な、何とも云えないこそばゆい感覚を覚えた事だって、数限りなくある。
 例え相手が誰であろうと、少しでも好意を抱く相手との道行に向かう時は、心弾むのが、人としての常だろう。
 でも、この待ち合わせは。
 何処か、それまでの経験とは異なる、高揚だった。
 年若い、乙女の様だと、自分自身で思う程。
 いい年をして……と、自分で自分に苦笑を与えてもみたが、高鳴りは、止められなかった。
「遅刻……は、してない、な」
 だから彼は。
 トン、とその宿屋のレンガ塀に、フード付きのマントで覆われた背中を押し付けて、何処か自分を持て余す様に、胸元から懐中時計を引きずり出した。
 己が心の高鳴りを、具現としているかの如く。
 懐中時計が刻む秒針は、その時も、やけに大きく聞こえた。
 待ち合わせの時間は、午後三時。
 長針と短針は、現在時刻が午後二時五十九分である事を、示している。
 ──彼がやって来るまで、後、一分。

 

 途中、ガラス張りの店の前でそうした様に、エドガーは宿屋の窓に映る己が姿を見やり、髪を覆うフードを外して、髪を纏める大きな青いリボンを直した。
 身動げば、全身を禊いだ時に使った、シャボンの匂いが微かに、した。
 その香りを感じてしまったから、髪一筋、肌の上、爪の先、隅々まで、きちんと禊ぐ事が出来たのかどうか、そんな事が気になり出す。
 一つの事が気になり出せば。
 次から次へと、今更後悔しても致し方の無い事ばかりが、気になり出した。
 湯浴みの時、湯船に放り込んだ香油はやっぱり、少しくどかっただろうか、とか。
 衣装は、これでない方が良かったのかな、とか。
 何となく、フード付きのマントを選んでしまったけれど、これでは却って、人目を引くかも、とか。
 考えても、どうしようもない事ばかりを、後から後から。
 本当に、本当に、乙女の様で嫌なのだけれども……考える事を、彼は止められなかった。
 恋人との関係は、自分達にとってはともかく、他人の目には、美しく映る様なものではないから。
 せめて彼に、詰まらない思いをさせる様な事だけは、したくない。
 だから気になる。全ての事が。
 生まれて初めての『逢い引き』に浮足立つ、少女みたいに。
 ──彼が何時しか握り締めていた、手の中の懐中時計は。
 激しい秒針の音を立てつつも、未だ、午後三時を指してはいなかった。
 恋人が、姿見せるだろう時まで、後、一分もない。
 僅かな時間だ。
 なのに、秒針の進みはやけに緩慢で。
 腹立たしい程だった。
 永劫に、埋まる事が無いとすら思える、長い長い、一分の時間。

 

 壊れているんじゃないかと。
 ひっくり返して、分解してやろうかと、エドガーが思わず思う程、懐中時計の秒針は、ゆっくり、ゆっくり、時を刻んだ。
 やって来ない。
 待ち合わせの午後三時。
 その時間がやって来ない。
 今日の日の、午後三時と云う時間は、何時まで経ってもやって来なくて。
 午後三時と云う時間がやって来ないと同じ様に、恋人も又、決して姿を見せないのではないかと、もどかしい時間の中で、彼の高揚は、段々と萎み始めた。
 約束の時間に、間に合わない事だってあるだろう。
 都合が付かなくなって、来れなくなってしまう事だって。
 連絡を付ける術はないし……待ちぼうけだって、覚悟の上で……。
 でも、約束が果たせるとか、果たせないとか云う以前に、午後三時と云う時間は、今はこの世の何処にもなくて、今日この日に、恋人と出会う事は出来ないのかも知れない。
 馬鹿馬鹿しい感情だとは思うけれど。
 現実に、時計の針は中々進まず、三時は訪れず。
 一分、と云う時間は、何処までも長かった。

 

「時計ばかり眺めているから……駄目なのかも知れない」
 待ち遠しい時程、訪れるのは遠く、過ぎるの早い。
 人は良く、そう云う。
 大昔の者も、今を生きる者も、口を揃えて云う教訓を、ふと思い出して、エドガーは独り言を呟き、手の中で時計を伏せた。
 ひょっとしたら本当に、この時計は壊れていて、時間は、午後三時をとっくに過ぎていて、恋人は……────。
 時計を伏せた途端、彼はそんな妄想に駆られた。
 どれくらい待ってみようか。
 十分? 三十分? ……一時間?
 でも、どれだけ待っても、彼はやって来ないかも知れない。
 本当に、待ちぼうけを食らうだけかも知れない。
「馬鹿だなあ……」
 巡る想い、過る不安、そんなものに哀しくなって。
 彼は、宿屋の前にしゃがみ込んだ。
 道行く人が、何事か、と、ちらりと彼の顔を覗き込み、だがそれ以上の気を止める事なく、立ち去って行く中。
 彼は膝を抱えた。
 愚かしいと判っているけれど……、判っている、のだけれど。
 一分の時間が、今は何にも増して、重たかった。

 

 膝を抱え、しゃがみ込み、遠くに聞こえる波音だけに、彼が耳を傾けていたら。
 聞こえなくなっていた、手の中の懐中時計の秒針の音が、何かを思い出した様に、ふと、蘇った。
 うずくまった隣では、何時の間にか、人の気配がして。
 ポンと、温度を持った手が、フード越し、髪の上に降りて来る。
「何やってんだ。お前。捨て猫じゃあるまいし。膝抱えてうずくまるにゃ、未だ時間は早ええぞ? それとも、気分でも悪いのか?」
 触れる指先に次いで。
 そんな言葉も、降ってきた。
 手を払い退け、顔を覆うフードを取り去り、うずくまったまま彼は、声の主を見上げてみた。
 そこにあったのは、宿屋の壁に、もう片方の手を付き、細い煙草を唇の端に銜えたまま、少し、きょとんとしている恋人の顔。
 漆黒のコートを纏った、何時も通りの彼。
「……待ちくたびれたんだよ、セッツァー」
 見下ろして来る恋人に、微笑みと共にそう告げて、エドガーは立ち上がり、手の中の懐中時計を翳してみせた。
「……遅刻した覚えはないぞ。俺には」
 セッツァー、と呼ばれた銀髪の彼は。
 エドガーの懐中時計をちらりと見やり、コートのポケットから、やはり、己が時計を取り出して。
 ほら、と、文字盤を示した。
 エドガーは、二つの時計を並べ比べてみる。
 自身のそれも、恋人のそれも、同じく、今が午後三時であると、伝えて来ていた。
「それとも、そんなに前から、ここにいたのか?」
 信じられない、と顔を顰めるエドガーに、セッツァーは呆れた様に云う。
「……そうだねえ。一分程前から」
 相手の時計を押し付ける様に返して、エドガーも云った。
「何で一分程度が、待てねえんだ、お前は」
「長い長い、永遠みたいに長い、一分だったんだ。草臥れる程ね」
「たかが、一分だぞ?」
「されど、一分」
 呆れ顔を、更に一ランク上の呆れに、セッツァーは塗り替えた。
 エドガーは、微笑みを深めて、されど、と告げた。
「なら……埋め合わせは必要だな。ほら。詫びだ」
 銜えていた煙草の火を、宿屋のレンガ塀で揉み消し。
 セッツァーは、詫びだ、と己が懐中時計をエドガーに渡し、エドガーの時計を、取り上げた。
「重かった一分。引き取ってやるよ。──行くぞ」
 交換する形になった、相手の時計をポケットに仕舞って、セッツァーは振り返る事なく、歩き出す。
 一瞬……自分が手にしていたそれよりも一回り大振りな、セッツァーの懐中時計を持て余し、エドガーは歩を進められずにいたが。
 懐にそれを仕舞うと、小走りに恋人の横に並んだ。
「何処に行くつもりだい?」
「んー? この近くにな、ちょいと知り合いの店がな……──。で、その店ってのが──」
「──ふうん。成程ね。そんな所なんだ。……で?」
「……ああ、でな、そこで何時だか……────」

 

 そして恋人達は。
 何事もなかったかの様に、肩を並べて歩き出す。

 

  one minutes.
 それは、逢瀬の始まる直前に、幸せそうな恋人同士の片割れが過ごした、永劫の様な、瞬きに等しい様な、狭間の時間。

 

 

 

 

 

 キリ番をゲットして下さった、瑛璃さんのリクエストにお答えして。
 『デート』、でしたので。海野は書かせて戴きました。
 あっ。今、改めてリク内容を確認したら、陽光の中でデートする二人、と書かれていらっしゃる……。
 なのにこの話、デートが始まる『直前』で終わってます。デート、と云うリクエストには、そぐわしくないかも知れない……。御免なさい(汗)。

 気に入って戴けましたでしょうか、瑛璃さん。

   

pageback