幻想水滸伝2
『指折りの日々』
アツさん、リクエスト、どうも有り難うございました。
尚、舞台は、カナタ坊&セツナ2主の世界です。
先日より、あちらこちらの交易所等で見掛けられるようになった新しい歴史書の中で、デュナン統一戦争、と名付けられている戦争が終わって、約一年が経った。
もう一年、とも言える。
未だ一年、とも言える。
早いような、遅いような、曖昧な長さの時が過ぎて、季節は巡り、あの戦争に幕が下ろされた時と同じ、明るい季節がやって来た。
けれど。
同盟軍の正軍師という地位から、新しく起った、ここデュナン国の宰相となったシュウは、こんなに明るい季節の中でも、相変わらずの無表情を貫きつつ、時に重たい溜息零し、日々を過ごしている。
彼が厳しい顔を崩さぬ理由、その大半はこの国にある。
生まれたばかりの新国は、何も出来ない、何も知らない赤子にも等しくて、何から何まで全て、手を掛けてやらなければならない。
すべきこと、しなければならないこと、それは山のようにあって、解決したい問題、解決しなければならない問題、それも山のようにある。
だと言うのに、デュナン国初代国王陛下は、同盟軍の盟主だった頃のように、「大人の人に出来ることは、大人の人がやればいいこと、大人の人がしなくちゃならないこと」と、きっぱり言い切って、己がペースを崩そうとはせず、相も変わらず湖畔の城に姿見せる隣国の英雄殿は、「僕はこの子を、この国に貸してあげてるだけ」と宣言して憚らず、「やりたくないことなんて、やらなくてもいいんだよ」と国王陛下を誑かしては、臣下の目を掠め、『貸し出し中のあの子』を連れ出して歩いている。
故に、この国の為に立ち向かわなければならないことは山積しているにも拘らず、国王陛下を『気軽』に執務の場に連れ出すのは難儀な話と化していて、その分、シュウが馬車馬のように働かなければならぬので、かつては冷血な無表情鬼軍師と評されていた彼でなくとも、渋い顔は崩せぬのだろう。
だが、それでも最近になってやっと、この国がジョウストン都市同盟と呼ばれていた頃、盟主市だったミューズより政治の中枢をデュナン城へと移し切ることは敵って、少しずつ、少しずつ、シュウ達が思い描いたように、新国は動き出し始めた。
──多分、以前通りミューズに政治の核を据えてしまえば、臣下達の苦労は少なくて済んだのだろうけれど、執務が増えると判っていても尚、ミューズよりデュナン城へ国家の中枢を、とシュウは主張して譲らなかった。
……彼が、そんな風に言い張った理由は様々ある。
かつてのハイランド──ハイイースト県の民達に、デュナン国はジョウストン都市同盟の跡をそっくりそのまま継いだのではない、と知らしめたかったのが一つ。
あの戦争より一年が過ぎた今も尚、各地で声高に語られる幼い同盟軍盟主──則ち、現在の国王陛下であり『建国の英雄』である彼が齎す風評の『恩恵』を利用したかったのが一つ。
その風評を利用する為に、この古城を確固たる象徴としたかったのが一つ。
そして、もう一つ。
ミューズにある市庁舎は、国王陛下が、国王でもなく、英雄でもなく、セツナ、という名前だけを持った唯の少年だった頃、彼の目の前で、当時のミューズ市長だったアナベルを、彼の親友だった者──今は亡きハイランド皇国最後の皇王、ジョウイ・ブライトが暗殺してしまった場所であって。
ミューズのジョウストンの丘にある議場は、同盟軍とハイランドとの和議交渉が決裂に終わり、セツナとジョウイの『行く先』が、決定的に分かたれた瞬間を見届けた場所だから。
始まりの紋章を宿したが為に老いることなくなり、討ち滅ぼしてしまった親友や、亡くなった義姉や、今はもういない仲間達と過ごしていた頃の姿のまま時をやり過ごして行くのだろう国王陛下に、そんな『思い出』の残るミューズで日々を送ることを、押し付けたくはなくて。
シュウは、この一年。
……けれど、その努力も想いもやっと報われ始め、時はゆるりと動き出し、やって来た明るい季節の中、今日も又、元気に飛び回っている国王陛下と、隣国の英雄殿の楽しそうなやり取りは、開け放たれた窓より忍び込んで来るから。
「…………やれやれ……」
宰相の執務室にて、シュウはぼそりと独り言を洩らした。
『……でね。そういう訳だったらしいんですよ。──ああ、それよりもカナタさん、一寸、お散歩行きません? こーーーんなに、お天気いいんですよー。勿体ないですよねー、こんな日にお城の中に篭ってるの』
『そうだね。出掛けてみようか。未だお昼になったばっかりだから……たまには、クスクスの街でも行ってみる? 船、出して貰おうか』
椅子の上で身を捩り、窓辺を振り返ってみても、国王陛下と英雄殿の姿は見えぬけれど、執務はどうなされたんですか、と言いたくなるような『少年達』の会話は、シュウのいる場所へと忍び込み続け、
「好きにしてくれ…………」
立ち上がり叱責を叫ぶ気すら失せ、彼は再び机へと向き直った。
…………が。
もう一度彼は腰を捻って、窓の向こう側へと視線をくれ、確かに今日は、こうしているのが勿体無いくらいの天気だ、と空を眺めると、何を思ったのか、ふいっと椅子より立ち上がって、戦争が終わって一年が経っても相変わらずシュウに懐いて止まず、片時も離れようとしない猫を抱いて、そろり、執務室より忍び出た。
丁度、正午の頃合いだった所為なのだろう。
猫を懐に抱いて城の廊下を歩き、何処
「お昼ですか?」
……と、何時『日常生活』を送っているのかが謎に包まれている宰相殿も、人並みに食事を摂るのだろう、との発想に基づく声だけを掛けて来た。
「…………まあ、な」
クラウスだったり、オウランだったり、あの戦争が終わってもここへ残る道を選んでくれた者達に掛けられた声に、適当なことを返してシュウは、本棟の階段を降り波止場へと向かい、釣り場の脇を抜けて余り人目に付かぬ岩場へと辿り着くと、広いデュナン湖を見渡せる一つの岩の上に座って、風に吹かれるに任せ始めた。
────見渡せる、と言っても、対岸が臨める訳でもないし、その姿の全てを視界に収められる訳でもないが、少なくともその場所は、瞳一杯に湖面を映すことは叶って、『余分』な物は見ずとも済むから、
「こんな風に、風景を眺めるのは…………──」
何も考えず、唯、眼前にある景色を眺めるのは、一体どれくらい振りなのだろう……、とシュウは独り言ちた。
軍師としての助成を請われ、同盟軍に参加して、戦争が終わってもこの場に留まり……さて、ラダトの街を発ってより、何ヶ月が過ぎたのかと、独り言ちた序でとばかりに、彼は指折り数える。
「もう……そんなになるのか」
読み書きを覚えたばかりの幼子のように、本当に指を折りつつ、過ぎた歳月を数えてみれば、二年近い時が、気付かぬ内に流れていたのをシュウは思い知らされた。
そして、それを思い知れば。
交易商としてあちこちの街を飛び歩いていた頃のまま、デュナン湖の水面は立つ波一つ変わりはしないのに、それを眺める己は随分と変わってしまったことも、思い知らされた。
……二年近い歳月、それしか過ぎてはいないのに、たったそれっぽっちの日々が流れる間に起こった出来事は余りにも多過ぎて、様々過ぎて、己は変わってしまった。
それは恐らく悪いことではなかろうが、どうして自分は今も尚、ここでこうしているのだろう……、と考えてしまうと、何故なのか、シュウの唇より重たい溜息は溢れた。
「もう……海なんて、何年、見ていないのやら……」
重い溜息を零した後に、彼は又、独り言を洩らす。
デュナン湖の湖面を眺めていてふと、久しく臨んでいない大海を思い出してしまったが為の独り言。
……そして、大海を思い出したが為の独り言を零したら、彼は、思い出したくもないのに、一年前に己の前から消えてしまった、一人の人物の面影をも思い出した。
────『彼』がこの城を発って、姿を消して、一年。
今頃は、海の一つも越えただろうか。
交易商として各地を訪れた経験を持つ己すら見たこともない『遠い世界』の何処かを、『彼』は彷徨っているのだろうか……、と。
面影を思い出し、そんなことを思ったら……不意に、シュウの瞳に映る湖面は、『何か』に霞んだ。
──何時までも悩むのは性に合わぬから、そう遠くない先に必ず帰って来る、と言い残して『彼』は旅立ったけれども、多分、ここへは帰らぬだろう、とシュウは考えている。
『世界』とは広く、『楽しい』ものだから。『彼』はきっと、戻りはしないだろう。
戦争が終わって、軍師としての才能のみを持ってこの世に生まれた己の役目も終わって。あの『彼』が戻って来ることなんて有り得ない、と『知っていた』のに。
どうして自分は、彼の後を追わなかったのだろう……、と。
シュウはその時、そんなことを考えて、『何か』に霞み始めた湖面の風景を、一層、霞ませた。
「なあ……。ルカ? お前と同じ名前の男は、今頃、何処にいるんだろうな」
……何故、己が瞳に映る風景が霞んでいるのか、その理由を深く探ることを止め、霞む景色もそのままに、シュウは、懐で丸まる猫の名を呼び、自身の顔の高さまで抱き抱える。
「ニャ」
すれば、ルカと名付けられた猫は、問い掛けに答えるように一声だけ鳴いて、ぶるりと身を振り、シュウの手より逃れ、トン、と岩場を歩き始めてしまった。
「おい、何処へ……」
長い尻尾を揺らしながら身軽に駆けて行く飼い猫を、シュウは視線で追う。
「おいで、おいでー」
『ルカ』が一直線に駆けて行った方向を見遣れば、そこにはどういう訳か、国王陛下と英雄殿の姿があって、駆けて来た猫を、姿現した国王陛下──セツナが、ひょいっと抱き上げる様も、シュウには窺えた。
「陛下? クスクスへお出掛けになられたのでは?」
今頃は疾っくに船上の人となっている筈の彼等が唐突に現れたのを見て、シュウは何気ない仕種で目許を拭い、立ち上がる。
「クスクス? これから行くんだよ。出掛けようと思って船着き場来てみたら、シュウさん見掛けたから。カナタさんと来てみただけ」
「貴方がこんな所に一人でいるなんて、随分珍しい、って。セツナが気にしたから」
立ち上がった彼の許へ、セツナと、隣国の英雄殿──カナタは、軽い口調で姿現した理由を告げながら近付いて来た。
「珍しい……と仰られても。私とて、休憩くらいは取りますが」
何やら含んだような物言いをしながらやって来て、はい、と猫を渡す二人に、さらっとシュウは言い返す。
「ふーん。ま、いいけど。──ヤだねー、『ルカ』。お前の御主人様は、物凄く素直じゃないんだよー。何時まで経っても性格変わらなくって、ヤだねー」
「……セツナ。駄目だよ、本当のこと言っちゃ」
けれど、セツナとカナタは、シュウの腕の中に戻った猫を構いつつ、けらけらと笑いながら、当て擦りのようなことを言った。
「……どういう意味ですか、お二人共」
「別に、深い意味なんてないもん。思ったこと言っただけ。────大丈夫だよ、シュウさん。『あの人』ならその内に、ちゃんと帰って来るから」
「年月なんてね。人が思うよりも早く、過ぎ去ってしまうものだよ。指折り数える必要もないくらい、時なんて、あっさり流れる。心配しないで、待ってるといいよ。──じゃ、シュウ。セツナと出掛けて来るから。……行こう、セツナ。お魚料理、食べ行くんだろう?」
「ええっ。クスクスのお魚料理も、たまには良さそうですから。行きましょっか、カナタさん。…………シュウさんも、行く?」
二人の『少年』に揃って吐かれた嫌味へ、少々むっとしたような声をシュウが絞れば、セツナとカナタの忍び笑いは一層高まって……が、それでも、その台詞には安堵を齎す為の気配も織り交ぜられ、
「私がそんなに簡単に、城を空ける訳には参りません。只でさえ、国王陛下が、何処ぞの英雄殿に誑かされて、不在がちでいらっしゃいますから」
彼も又、些細な嫌味を少年達へと投げ返した。
「……人を、誘拐魔か何かのように…………」
「僕、カナタさんに誑かされた覚えはないんだけどなー。──ま、いいや。クスクスで、お昼食べたら帰って来るからね、シュウさん」
「どうせ、何を告げてもお好きなように振る舞われるのでしょうから。どうぞ、お気を付けて。お早くお戻り下さい。執務が溜まっておりますから」
「はーーーい」
「はいはい」
何時も通りの調子で語られたシュウの台詞に、カナタは嫌そうな顔をし、セツナは首を捻り、けれど、一応は外出を認めてくれた宰相殿へ頷くと、二人は波止場へ戻って行った。
「指折り数える必要もなく、か…………」
去って行く二人の背を見送り、シュウは又、一人、何やらを呟き。
「私達もたまには、昼食でも摂るとするか? ルカ」
『彼』の面影を重ねて見遣った腕の中の猫を一度だけ抱き締めると、静かに、岩場より歩き出した。
カナタとセツナが告げてくれたように、やって来て欲しい『その日』を指折り数える日々が、何時か終わるといいのに……と、そんなことを考えながら。
シュウは、湖の畔より、一人立ち去った。
End
後書きに代えて
キリ番をゲットして下さった、アツさんのリクエストにお答えして、『泣いてしまったシュウさん』な話を書かせて戴きました。
……すみません、『brightring-firefry 異聞』&『螢の水』の、後日談なお話になってしまいました(汗)。
シュウさん…………な、泣いてはいるんですが、一応……。
この人、結構強情っ張りなので……。
──早いトコ、『彼』、帰って来てくれるといいねえ、シュウさん。
気に入って頂けましたでしょうか、アツさん。──それでは皆様、宜しければご感想など、お待ちしております。