東京魔人學園剣風帖
『sweet home』
海月さん、リクエスト、どうも有り難うございました。
尚、この小説は、2008年12月に行ったリクエスト企画で執筆させて頂いたものです。
一九九九年 三月二十七日 土曜日。
──当分、この門を潜ることはないのだろうな、と思いながら、彼、緋勇龍麻は、親友の蓬莱寺京一と共に、午後半ば、『そこ』を潜った。
新宿区西新宿にある新宿中央公園を越えて、杉並区寄りに少しばかり行った、西新宿五丁目と四丁目の境目辺りに広がる住宅街の一角に、今、龍麻が京一と一緒に門を潜った、京一の生家、蓬莱寺家はある。
長年の風雨に耐えてきたのが良く判る、少々古めかしい木造二階建ての日本建築家屋、それが蓬莱寺家の外観で、ブロック塀に囲まれた、三十坪少々の敷地には、猫の額よりは多少広い庭もあり。
去年四月、真神学園高校に転校し、京一と親しくなって暫くした頃から、そんな佇まいの蓬莱寺家を、京一に連れられ、龍麻は幾度となく訪れた。
今、その家に住んでいるのは、京一の両親と、長男である京一の三人で、彼の家族には、京一曰く、「アン子の十倍は強烈な性格してる、アレを女と認めたら最後、俺はどんな女とも付き合えなくなる!」……であるらしい姉もいるそうだが、京一とは少々年が離れている彼の姉は、今日日にしては早婚だったのか、他家に嫁いで久しいそうで、龍麻は会ったことがないが、京一の両親には気に入られた龍麻は、訪れる度、歓待して貰っていた。
実家と育ての両親のいる郷里を離れ、東京で一人暮らしをせざるを得なくなった龍麻にしてみれば、唯一無二である親友の両親に気に入られたことも、訪問の度に歓待されるのも、純粋に嬉しいことだったし、自分と京一を全くと言っていい程同列に扱う親友の両親は、まるで、降って湧いた『東京にての両親』のようにも思えて、それはそれで、嬉しいことでもあったのだが。
言葉にするのは何だ、と龍麻自身思ってはいるのだが……、いるのだが、京一の両親は、中々強烈な夫婦で。
訪れる度、龍麻は、如何とも例え難い気分を覚えるのも確かだった。
──京一の母は、京一の面立ちに二十歳以上の歳を重ねさせ、且つ、かなり女性的にしたような顔立ちの人で、黙っていれば文句無しに美人と言えるのだが、口を開いたら最後の、歯に衣着せるということを知らないタイプ、と心秘かに龍麻は思っている。
気っ風がいいと言うか、鉄火と言うか、兎に角威勢のいい、パワフルな事この上ないご婦人で、ともすると、京一よりも遥かに日本刀片手の姿が似合うような口で、こう、と決めたら最後、誰にも何も言わせない。
『感覚』も少々変わっていて、喧嘩や異形の者達との戦いで──無論、京一が、所謂『化け物』との戦いに明け暮れていたことは全く知らないが──息子が制服をボロボロにして帰って来ても、「お前は何着制服を駄目にすれば気が済む!?」と怒鳴りながらも、当たり前のように予備の制服を引き摺り出してきて、当たり前のように、「で? 喧嘩には勝ったの? 負けたなんてほざいたら叩き出すわよ」とか何とか、ケロっと言って退ける母親で。
母子のそんなやり取りを目撃する度、龍麻は、「偉大だ……」と思わず呟くのが常だった。
そんな母同様、京一の父も、少々風変わりな人と、やはり龍麻は思っている。
入り婿であるらしい蓬莱寺家の家長は、とても温厚に見える、人の良さそうな紳士タイプで、京一の母程口数は多くなく、その言動は見た目通り、柔らかい、と言えるそれなのだが、そんな中年紳士は、「学校で唯教わる勉強など、糞の役にも立たない」と大声で公言する御仁で、「自分の人生にとって必要だと思えることを、自分で選んで学んでこい」とも言って憚らない。
尤も、そんな父の科白に京一が便乗して、「学校の成績や宿題なんて……」などと調子付いて言おうものなら、「それと、果たすべき義務とは別問題だ。やることをやってから生意気な口は叩け、未成年」と、龍麻の目の前であろうとも、京一の頭目掛けて拳固を振り下ろしもする人で。
一学期の中間テスト及び期末テスト、更には二学期の中間テストの結果が悪く、三度に渡っての補習を言い渡された時、龍麻は京一と共に、「テストの点数が悪かろうが補習を受けさせられようが、そんなことはどうでもいいが、それ等が自分の人生にとっては不必要だと見定めての結果なのかどうなのか、答えなさい」と、説教を喰らったこともあり。
親友の父の言うことは、或る意味での正論だ、と頷けはするが、何か一寸、一般的な説教の文句とはズレている……、と龍麻には思えて仕方ない。
……故に、蓬莱寺家を訪れる度、龍麻は微妙な心地になるけれど、そんな二人が京一の両親であるのは紛れもない現実で、件の夫婦の待つ家に、四日後の三月三十一日、親友と共に中国へ修行の旅に出る為の挨拶をするべく、その日、龍麻は赴いて。
「これで、龍麻君にも暫く会えなくなっちゃうと思うと寂しいわ。何か遭ったら、遠慮なく言ってきてね。おばさん、待ってるから。もしもどうしようもなくなったら、家の馬鹿なんかとっとと見捨てて、日本に帰ってらっしゃいね」
──門同様、潜り抜け慣れた蓬莱寺家の玄関を抜け、通された、一階廊下の東側の突き当たりにある居間にて、京一の両親と向かい合って座り、茶などを出して貰いつつ、暫し、他愛ないことを言い合ってから、龍麻が改めて、京一と共に中国に行く、との話を持ち出した途端。
カラカラと笑いながら、親友の母は、さらっと言った。
「いや、その。はははは……」
毎度のことではあるけれど、と龍麻が誤摩化し笑いをすれば。
「ひーちゃんが、俺のこと見捨てたりする訳ねーっての」
「あーら、判らないわよー? あんたの馬鹿は底抜けなんだから、何時か、龍麻君にだって見捨てられるかも知れないじゃないの。見捨てられたくなかったら、精々励みなさい。龍麻君も、あんまり京一に甘い顔しちゃ駄目よ。無理だけはしないでね? おばさん、龍麻君のこと『は』心配だわー。……ああ、でも」
龍麻の隣で、ブツブツ言い出した己が息子を切って捨てた彼女は。
「でも、何ですか?」
「京一も、龍麻君も。自分で決めて、自分の思う通り、中国まで修行の旅なんてしに行くんだから、挫けて帰って来たりなんかしたら、ぶっ飛ばしちゃうかも知れないわー。二人共、男なんだから、こう、と決めたことくらい、きちんと貫いて来なさいね?」
何処までもカラカラと笑いつつ、うっかり聞き逃そうものなら後が恐いと、掛け値無しに龍麻は思えたことを、何でもないことのように告げた。
「えっ? あ、は、はい……」
「母さん、挫けて帰って来たらぶっ飛ばすなんて、そんなことを言うもんじゃないよ。そういうことは、京一や龍麻君が、本当に挫けて帰って来てしまった時に、黙ってやることだ。……ま、本当にそうなったら、ぶっ飛ばす前に、この家の敷居は跨がせないが」
と、それまでは、黙ってにこにこ、己が妻の弁に耳傾けていた京一の父は、冗談とも本気とも付かぬことを言い出し。
「ああ、そうね。それはお父さんの言う通りかもだわ。わざわざ親切に宣言してやることじゃなかったわね」
……とか何とか受け答えた京一の母を盗み見、「おじさんもおばさんも、一寸、何かおかしいです……」と、口の中でのみ呟きながら、龍麻はそっと、隣の京一に視線を流した。
すれば京一は、両親の目の届かないテーブルの下で、龍麻に詫びる風に片手を持ち上げながら、
「毎度のことだけど、親父もお袋も、こんなんで悪りぃな、ひーちゃん……」
と、本当に小声で囁いてきて。
「そんなことないけど……、でも、今のおばさんとおじさんの発言、本気だよね」
「……ああ。一〇〇%、マジだな」
「…………おばさんってさ、確か、若い頃、何か習ってたって言ってなかったっけ……?」
「確か、薙刀……だったような……?」
「………………頑張ろう、京一……」
「………………ああ。頑張ろうな、ひーちゃん……」
ああでもないの、こうでもないの、勝手に盛り上がっている夫婦をこっそり窺いながら、龍麻と京一は、中国での精進を誓い合った。
「そうそう。そんな、当たり前以前の話なんかどうでもいいわ。龍麻君、御免なさいね、本当なら、家の馬鹿息子も、龍麻君のご実家に挨拶に行かせなきゃならないんでしょうけど、家の馬鹿にはそんな甲斐性なくって……」
──まかり間違って、京一の母に薙刀振り回されたりした日には……、と嫌な想像をしつつ、龍麻が京一と二人、若干顔色を悪くしていたら、夫と盛り上がっていた話に一段落付いたのか、京一の母が、又、二人の方へ向き直って、心底申し訳なさそうに言い出した。
「あのなあ、お袋。俺が、ひーちゃん家に顔出さなかったのは、帰省するひーちゃんに引っ付いてったら、却って迷惑かもって思って敢えてしなかっただけで、ちゃんと、ひーちゃんの実家には電話したっての。……っとに、さっきから黙って聞いてりゃ、言いたい放題言いやがって」
だから、京一は、母の言い草にムスくれたように言い返したが。
「ふーん……。まあ、ならいいわ。電話って処が一寸頂けないけど、そうね、龍麻君だって、中国に行く前の、ご両親との水入らずの時間、あんたなんかに邪魔されたら堪らなかったでしょうしね」
「だから……──」
「──龍麻君、今日、家で夕飯食べるでしょう? って言うか、泊まってくでしょう? 一寸今日は寒いから、お鍋でいいかしら?」
何処までも惨い言葉を息子にぶつけて後、京一の反論をとっとと退け、彼女は、そろそろお夕飯の支度をしなきゃ、と立ち上がる。
「あ、いえ、俺は今日はこれで」
「ん? 今日は何か予定でもあるの?」
「いえ、そういう訳じゃないんですけど。折角の週末に、俺が泊まったりするのは……。来週には、俺達中国に──」
「──あらやだ。今更遠慮することないじゃないの。一寸、お隣の国に二人して行ってくるだけのことと思えば、どうってことないんだし」
「それは、まあ……。でもですね……」
「あーもー! 子供は遠慮なんかしないの! おばさん、龍麻君のお母さんに、息子のこと宜しくお願いしますって言われてるのよ、だから、おばさんの顔立てて頂戴。判った?」
「は、はい……。って言うか、あの……、おばさん? 何時の間に、家の母さんと……?」
「え? 龍麻君、知らないの? ほら、龍麻君のお母さんが、ご丁寧にお年賀送って下さったから、お正月、そのお礼の電話させて頂いて、それ以来、お付き合いさせて頂いてるのよ。今度、ご夫婦で上京されるらしくってね、その時には一緒にお食事でもって約束もしててね。楽しみだわー。優しそうな方だもの。……って、ああ、そうそう。もう、夕飯はお鍋って決めちゃうわよ。いいわね?」
時間を気にする風に立ち上がった彼女を龍麻は制そうとしたが、様々捲し立てられて、挙げ句、彼は全く知らなかった、己が義母との付き合いまで披露され、更にはさっさと台所に去られ。
「ええと…………」
「まあまあ。いいじゃないか、そんなに気にしなくても」
上目遣いで伺った京一の父には、朗らかに笑われ。
「…………ひーちゃん。勝てると思うな」
「そ、だね……。うん……」
京一にもトドメを刺された龍麻は、怒濤の勢いに流されるように、中国出立前の最後の週末を、京一の生家で過ごす覚悟を決めた。
龍麻が、一晩を蓬莱寺家で厄介になった、翌、日曜。
当然のように、己と共にアパートへ向かおうとしている京一と二人玄関に出たら、親友の両親が見送りに出て来てくれた。
「お邪魔しました。色々と御馳走様でした。今度お邪魔するのは、何年も先のことになっちゃうと思いますけど……、おじさんもおばさんも、お元気で」
ひょいっとやって来た二人を振り返り、龍麻は告げる。
「そう、畏まらずとも。…………しっかりやるんだよ」
「龍麻君も元気でね。体には気を付けてね。本当に、何か困ったことがあったら、家に頼って来て頂戴ね!」
「もう少し、京一が頼りになるタイプなら良かったんだが……」
「ホントよ。どっちかって言えば、京一が龍麻君を頼りにしなきゃならないものねえ……」
軽く頭を下げて、龍麻が礼と別れを告げれば、夫婦は、又、言いたい放題言い出して。
「うるっせーな。親父もお袋も、一言多いんだよっ! 行くぞ、ひーちゃんっっ」
「あ、うん。……それじゃあ、失礼します」
ぎゃんぎゃんと両親に噛み付き出した京一に促されるまま、龍麻は彼等に背を向けた。
「行っておいで」
「行ってらっしゃい」
……と、玄関を潜り掛けた彼に、親友の両親は声を揃えてそう言ってくれて。
「…………又、絶対にお邪魔しに来ますね」
──この家の門を、玄関を、再び潜る日は、何年も何年も先のことになるかも知れないけれど、又、必ずお邪魔しようと決心しながら、龍麻は肩越しに振り返った二人へ、にこっと笑ってみせ。
「ひーちゃんーー。置いてくぞーー!」
「あ、うん!」
急げと促す親友へ向き直って、彼は、玄関扉を後ろ手で閉めた。
End
後書きに代えて
海月さんのリクエストにお答えして、『龍麻から見た蓬莱寺家』、な話を書かせて頂きました。
「高校時代でも卒業後でも時期は何時でもいいので」とのことでしたので、京一と二人、中国に行きますー、の挨拶を龍麻がしに行った時をチョイスです。
龍麻から見たってよりは、龍麻と京一両親の触れ合い、みたいな話になっちゃいましたが(汗)。
──タイトルの『sweet home』は、和訳すれば『楽しい家庭』。……うちの蓬莱寺家の場合、楽しい家庭ってよりは、一寸変わった家庭、って気もします。
実情はきっと、この話の中に書いた何倍も強烈な人達だと思う、うちの京一の両親って。
──作中で、龍麻、又絶対にお邪魔します、とか何とか言ってますが、彼が次に京一実家を訪れる時は、京一と恋人同士にもなっちゃってるので、蓬莱寺家の敷居を跨ぐ跨がないで、京一と一悶着起こしてる筈です(笑)。
気に入って頂けましたでしょうか、海月さん。──それでは皆様、宜しければご感想など、お待ちしております。