17.目撃者

例によって例の如く、何度周囲に窘められても大酒を飲む事を止めないビクトールが、その夜も大分遅くなった時間、酒場の横の通路を抜けて、中庭へと顔を出した。

周りに言わせれば浴びる程、本人に言わせれば嗜み程度、の酒を飲み干して、気持ち良さそうに彼は、一つ息をする。

デュナンの湖から飛んで来たのだろう数匹の蛍が、淡く緑の雑草を照らしている光景に見惚れながら。

戦争の最中だと云うのに、今日も平和に終わったな、と云う呑気な台詞と、もう、いい加減に部屋にお戻りと、酒場から自分を叩き出したレオナに向けた一寸ばかりの愚痴を、蛍に向けて囁き、ふらりふらり、千鳥足加減の道行を、ビクトールは楽しむ様に歩き出した。

だが、彼の向かった先は兵舎のあるそれではなく、反対方向の棟にある風呂場。

余り酒臭いと、同室の腐れ縁に又厭味の一つも零されるから、頭に水でもぶっかけてから帰ろうと、そう思ったのだ。

虫の声、淡い月光、湖畔を渡る風の爽快さ、嗜んだ酒が齎す上機嫌。

それらに囲まれた夜の中で、ビクトールは気持ち良く、足を運んでいたのだが。

道行は、ふと、林の方からやって来た人の気配に邪魔される。

こんな時間に、近くの丘へと続く道しかない、見張りの兵すらも立たない寂しい一角から姿を見せる人種に、禄な者がいる筈がないと、瞬時に、アルコールで霞みの掛かった頭を奮い立たせて、彼は腰の星辰剣に手を伸ばした。

──が。

『その必要は、ないと思うぞ』

前を見据える眼差しをきつめた男に、魂を持ち得る剣は云った。

「何で」

『あの者の気配は、シュウとか云うお前達の正軍師のものだ』

だから、身構える必要などない、と。

星辰剣はそう告げて、又、押し黙った。

「シュウ、ねえ……。軍師殿はこんな時間に散歩か? ネクロードの親戚みたいな奴だな」

鞘から抜き掛けた剣を、チン……と戻して、星辰剣の云う通り、やって来た人影が、月光の元、シュウの面差しを取るのを見定め、けれどビクトールは、素早く物陰に隠れた。

その行動を彼が取ったのは。

別段、大して意味のあるものではなかった。

お互い、本当の意味での意気投合が出来る人種ではないから、無用な接触は避けたい、と云う類の感情でもなかった。

唯。

自分よりも年下の癖に、何時如何なる時も、尊大な態度、感情の窺えない顔、人を小馬鹿にした様な口振り、を、消す事のない軍師が、辺りを気にし、人目を憚る様に、こっそりと歩いて来るのが気になって、ひょっとしたら自分は今、この場にいない振りをした方が良いのではないか、と云う直感が働いたから。

それに、幾ら月光と云う覚束ない明かりの中で相手の顔を眺めている状況とは言え。

気配を殺してやって来る彼の面は、月光が照らし出しているからだと云う言い訳が、少々通り難い程、青く見えた。

掻き抱く様に、服の前を押さえている姿も、少し、まともには見えなかった。

何か……何処か……見てはいけない場面を目撃してしまった様な気さえして。

物陰に隠れたままビクトールは、早くシュウが立ち去ってくれる事のみを願ったが。

足早に通り過ぎようとしていた相手の懐から、コロンと何かが落ち、隠れたビクトールの目の前でシュウは立ち止まり、身を屈めて、落とし物を拾った。

拾い上げた物を、月の光に暫し透かして。

小生意気な軍師らしからぬ溜息を吐き。

泥に塗れたらしいそれを、そのまま懐に仕舞って、漸く彼は、その場から消えた。

──軍師の気配が、完全に消え去った後。

ガサリと茂みを揺らして、ビクトールは物陰を離れる。

「……何だ……?」

今、自分が目撃した場面の意味する所は何だったのだ、と、彼は自問自答したが。

その様な疑問に対する回答が、ただちに得られる筈もなく。

その夜の目撃は、先日、リッチモンドに捕まった酒場での出来事同様、彼の頭の隅に居すわる、記憶となった。