25.休息
その日。
同盟軍の本拠地は、一寸した騒ぎの渦中にあった。
トラン共和国との同盟を結ぶ為、トランの首都・グレッグミンスターより、トランの六将軍の一人であるバレリア、と云う女剣士と、バナーの村にて巡り会ったと云う、三年前に起こった門の紋章戦争に於ける英雄──マクドール家の嫡男を伴って、盟主が帰城したから。
この同盟軍に参加している者達の中には、ビクトールやフリック、ルックにビッキー、その他、三年前の戦いにも深く関わった人間達も多いから、盟主と云う役柄を押し付けるには若過ぎる少年に、腕を引っ張られながら姿現したかつての英雄を、人々は、懐かしげな眼差しと声で、又は、畏怖の滲んだ瞳と言葉で取り囲んでしまい。
それはそのまま、『騒ぎ』へと発展したから。
「やれやれ……。今日は仕事にならんな……」
レオナの酒場辺りで繰り広げられている筈の『集い』に向け、シュウは自室で溜息を付いた。
「……お気に召しませんか?」
そんな騒ぎを楽しんでいる場合ではないのにと、さも言いたげな軍師の溜息に、己の指揮する騎馬隊の訓練に関する打ち合わせ途中だったカミューが、くすりと笑って答えた。
「たまには宜しいではありませんか。思いの他、ハイランド軍の動きも、鈍いようですし。盟主殿にも他の者達にも、多少の息抜きは必要だと思いますよ、私はね」
「戦争に負けても構わない、と云うなら、馬鹿騒ぎも結構だが」
微笑みを浮かべつつそう云ったカミューに、無表情のまま、シュウは告げたが。
「…軍師殿は案外、理想主義者でいらっしゃる」
無表情なシュウに対抗するかのように、カミューは湛えた笑みを崩さなかった。
「……それは、嫌味か?」
「貴方に嫌味が通用するなら、もっと辛辣な嫌味の一つも言わせて頂いてます。讃えさせて頂いてるつもりなんですけどね、これでも。戦う事に生真面目過ぎても、疲れる一方かと。…戦争なんて、唯でさえ疲れるんですから、我等の小さな盟主殿にも、楽しめる事の一つくらい、あっても良いでしょう? 彼とて、疲れているのは間違い無い筈です。……貴方が、そうであるようにね」
「私は別に、疲れてなどいない」
「そうですか? 顔色が宜しくないですよ。如何です? 我慢などなされずに、思い切って倒れられては。多少は休息が得られますよ、正軍師殿」
「何が云いた……──」
城内の女性を魅了して止まない微笑みを湛えたまま、何か含んだ様な言い方ばかりをするカミューに、流石にシュウも、眉を顰めたが。
何が云いたいのだと、彼が最後まで口にするよりも早く、窓辺でうたた寝をしていた子猫が、フウ…っと鳴き声を上げながら、まるで抗議でもする様に、トンとカミューの膝に乗った。
「…おや、失礼。気に障りました? 別に、君の御主人様を非難した訳じゃないんですよ?」
心無しか目を吊り上げ、見上げて来た子猫に、カミューは優しく云う。
「…………で、結局。何が云いたい?」
膝の上から子猫を摘み降ろすカミューの仕種を横目で見ながら、シュウは又、表情を無に戻した。
「色々と……御考えになる時間が、貴方にだって、あってもいい筈です」
だからカミューも又、その面から笑みを消す。
「そちらが何を云いたいか、良く判らないし判るつもりもないが。私が考えるべき事は、この戦争に勝つ為の事柄だけだ。……それで、結構」
が、シュウは、もう、この問答は終わりだと話を打ち切り。
書き上げたばかりの幾つかの書類を、すっと差し出すと、彼は無言で、カミューの退室を促した。
「少しでも……貴方の負担が軽くなれば、と思ったんですけどもね。──私とて、この戦争には勝ちたいと思いますから」
差し出された書類達を取り上げ、曖昧な笑みを浮かべながら、最後にそれだけを言い残し、カミューは正軍師の部屋を去った。
「それを、余計な世話と云うのだがな……」
──カミューが去って。
トン、トン、と床を蹴る足音も軽く、自分に飛びついて来た子猫を抱いたまま。
どさりとシュウは、ベッドの上に転がった。
己と猫以外の存在が消えた部屋は、静寂が戻って……が、故に、開け放たれた窓から遠く聴こえて来る、英雄達を囲んでの騒ぎが、耳に付く。
「門の紋章戦争の、英雄、か……。加勢してくれると云うなら……良い手駒だ……」
不意に訪れた、三年前の英雄の存在、それすら、これから先己が作らなければならない道や、勝たなければならない『ゲーム』の駒の一つに数えながらシュウは。
「カミューに指摘される程…疲れて……いるのだろうか……。でも……何に…?」
殺したいと思う相手を殺そうとする事の、何処に一体疲れなど覚える必要があるのかと思いながら、子猫を抱き締め身を丸め、瞼を閉じた。