カナタとセツナ ルカとシュウの物語

『死を語る 〜ルカとシュウ〜』

デュナン湖から流れ出、トラン湖を目指し往く大河の畔の波止場より、南方よりの文を握り締めた、青褪めた顔の遣いが息急き切ってやって来たのは、未だ午前も早い内だった。

定期船が行き交う水門の町ラダトとは言え、国境を越えた先のトラン共和国へと出航する船は数多あれど、トランから着船するそれは先ずない時刻──何故なら、その時間に到着を果たす為には、闇の中大河を夜通し遡らなくてはならないから──なのに、どういうことだ? と、けたたましく玄関扉を打ち叩いた遣いの応対に出た使用人より皺の寄った文を受け取ったルカは仔細を尋ねたが、使用人の彼は、「詳しいことはその文に書いてあるから、取り敢えず読んで欲しい」との伝言を託されたのみだったようで、仕方なくルカは、苛々しながら文の封蝋を剥がす。

彼の住まうその家は、彼の物ではなく。即ち、主も彼ではなく。

本来なら文は、主であるシュウへ、右から左へ流すように渡さなくてはならぬのだろう。

況してやそれは、波止場よりの遣いが持って来た物──要するに、交易商という生業柄、商船も扱うシュウに報せなければ意味を成さぬのだろうから、尚更。

けれども、今はもう遠くなってしまったデュナン統一戦争が終わって数年が経った頃より、シュウと寝起きを共にし、彼の仕事の補佐兼護衛のようなことを果たして来たルカにも、一応は目を通す権利のようなものはあり、出来れば、最近はめっきり朝の遅いシュウを煩わせたくない、との思いも手伝って、若い頃より朝の早い彼は、文に目を通した。

「成程……」

……ざっと視線を走らせたそこには、シュウの扱う荷を積んだ船が、南大陸はファレナ女王国の港を発って数日後、北大陸への中継地点である群島諸国連合の島々を目前にしながら、季節の嵐に巻き込まれて沈没した、との報せが綴られており。

確かに火急だ、と小さく舌打ちしたルカは、起こさぬ訳にはいかなくなったシュウの寝室──彼の寝室でもあるが──へ踏み込んだ。

「シュウ。起きろ」

遠くなってしまったデュナン統一戦争の頃──そう、シュウが未だ、デュナンの覇権を手にすべく起った同盟軍の正軍師で、ルカが、ハイランド皇王『ルカ・ブライト』だった頃から二十年近くが経って、と同時に若さとも縁遠くなってしまったから、一晩休めば疲れとはおさらば、などということは到底叶わないのだろう。朝だと言うのに、ここの処の忙しさを如実に物語る隈を目の下に薄く残しているシュウを、ほんの少しばかり不憫に思いながらも、情け容赦なく、素っ気ない声でルカは叩き起こす。

「……うるさい…………」

「ぐずるな、鬱陶しい。用がなければ起こしたりはせん。とっとと起きろ。先週、お前がトランへ行かせた奴からの報せが届いた」

────シュウは、同盟軍の正軍師で、ルカは、かつては狂皇子と恐れられたハイランド皇王だったけれど。

敵以上に『敵』同士だった彼等だけれど。

同盟軍の『小さな盟主』だった『彼』が、彼等のことを良く知る人々が、言ってみれば『おおらか』に、彼等を──特にルカを──『赦して』くれたから、あの戦争の終わり、彼等は密かに結ばれ、今も尚、結ばれたままだ。

けれども、数多の人々に『赦された』、甘い関係で結ばれている者に掛けて良いとは到底思えぬ声と言い草でルカはシュウを文字通り叩き起して、眠りを妨げられたシュウは、ムッとした、刺すような視線をルカへとくれた。

「報せ? ……未だ、朝の筈だな」

が、こんな時間に、ファレナ女王国にて仕入れた荷を受け取りにトランへ行かせた部下よりの報せが届いた、という事実に、直ぐさま何かを嗅ぎ取り、寝起きとは思えぬ顔付きでシュウは身を起こした。

「察しの通り、悪い報せだ。ファレナの荷を積んだ船が、群島の海で沈没した」

「生存者は?」

「いない。尤も、その報せが正しければ、の話だが」

「……そうか。判った」

心ある者ならば、起き抜けだろうが寝しなだろうが聞きたくもない報せを、抑揚一つ変えずにルカは伝え、シュウも、柳眉も動かさずに頷く。

そうして彼は、床に落としたままの薄い部屋着を羽織り、仕事部屋へ向かって、ルカも、腰に下げた長剣の鞘を僅かに鳴らせながら、波止場へ赴くべく足早に寝室を出て行った。

午後になり、定期船の数も増え、方々を行き交う海運関係者の姿も増えて、そんな彼等の証言から、例の船が群島にて沈没したのも、生存者が皆無なのも、誤報ではないと確信したルカは屋敷に戻った。

その頃には、シュウも、ルカ同様、早朝の報せの確認を終えていて、それより暫く、二人は処理に追われた。

残念ながら、船旅には危険が伴うのは常識以前で、件の船のように、嵐に巻き込まれて転覆する船は決して少なくなく、荷は兎も角、船はシュウの物ではなかったから、そういう意味では被害も手間も甚大ではなかったけれど、被害の大小と人命とを秤に掛けられる筈もなく。

「……私が行けば良かった」

朝まで掛かるだろう仕事に、それでも何とか一区切りを付けた夜半、酒で満たしたグラス片手に長椅子に身を投げ出したシュウは、ポツっと洩らした。

対面の椅子を粗雑な態度で占領していたルカは、耳に届いた呟きへ、片眉だけを跳ね上げる。

……今回の仕事が始まった当初の予定通りなら、ファレナ女王国へ赴くのは、シュウ自らの筈だった。

自ら出向いて、商人達との交渉も、運搬その他の手配も、全て、彼が行う筈だった。

その予定が代わり、代理として彼の部下がファレナまで足を運んだのは、他の仕事が立て込んだのと、体調の所為だ。

現在のシュウの仕事の規模は、統一戦争以前と比べれば細やかとしか言えない程だが、それでもこの数週間、忙しい日々が続き、その所為で彼は少しばかり体調を崩して、ファレナとラダトを往復する長旅に出るのが厳しくなってしまったから、代理を立てたのだ。

けれど、こんなことになってしまうと判っていたなら、少々の無理を押してでも自分が行けば良かった、との意味合いが、シュウの一言には含まれているのを察し、

「下らないことを言うな」

僅かの逡巡の後、ルカは、にべもなく言った。

「お前が言っているのは、単なる感傷に過ぎん。縦んば、お前がファレナに出向いたとして、同じように船が沈むとは限らんだろうが。今更、死んだ者の身代わりになれたならなどと嘆いて、何になると言うんだ、愚かしい」

若い頃から変わらない、他者を突き放すような物言いをする彼を、シュウは冷たい眼差しで射抜いたが、やがて、小さく息を吐いて視線を逸らした。

「違う。死んだ者の身代わりになど、何者にもなれぬことくらい承知している」

「では、何だ」

「……何処に出向くにも、私の供はお前だ。私がファレナに出向くなら、お前もファレナに出向く。…………私は。私は兎も角、お前が死なずに済んで良かったと、報せを聞いた時、咄嗟に思った。だから。思わずとは言え、そんな馬鹿なことを思ってしまうくらいだったら、私が自ら出向いていた方が未だましだった、と感じただけだ」

「成程……。……本当に愚かだな」

シュウの口から洩れた呟きの意味する処を正しく知り、ルカは再び、にべもなく。

「くどい。お前にくどくど言われなくとも承知だ。人でなしなことを思った自覚くらい──

──それこそ違う。人は皆利己的で、人であるが故に人でなしだ。お前に限ったことではない。その程度のことを咄嗟に思うのの、何処が人でなしだ? 俺は、お前を行かせずに済ませたことを、良かったと思ったが? お前以外の者の生き死になど、俺にはどうでもいいからな」

「だと言うなら。確かにお前は、私よりも人でなしだ」

「…………シュウ。あの戦争が終わって三年が経ち、旅からあの城へ──お前の許へと戻り、暫くした頃。俺はお前に言った筈だ。広く『楽しい』世界を見て歩いても、俺は、この世界そのものを大切などとは思えなかった、と。お前が大切だから、お前の住まう世界も大切に思える、唯それだけだった。だから今でも、お前以外のモノは、俺には大した価値もない。だが、お前が、『お前の世界』の中の何かを嘆くなら、俺も共に嘆いてやろう。今も昔も、誰よりも人でなしな俺でも、それくらいなら容易い」

「……それも違う」

何処までも淡々と、色気も何もない風にそんな話をされて、シュウは外していた眼差しをルカへと戻し、又、ポツっと洩らした。

「……今度は、何が違うと?」

「私がお前に望むのは、そんなことじゃない。誰よりも人でなしな、世界そのものを大切などとは思わぬお前にも、私だけは価値あるモノと映るなら、何が遭っても、先には逝かないでくれ」

「………………。愚か者。歳の所為か? お前は最近、益々愚かだ。思い出せ、あの戦争が終わり、お前達がルルノイエへ攻め上がる直前に遭ったことを。今更、そのようなことをお前相手に誓ったら、あの頃と変わらぬ姿のままだろう『小僧共』に、とんでもない目に遭わされるぞ、俺は」

呟きの後に続いた言葉に、ルカは今度は心底の呆れを見せ、何やらを想像したのか、嫌そうに顔を顰めた。

「あの二人か。……懐かしいな。本当に、懐かしい…………。今頃、何処でどうしているのやら」

「さあな。俺達に判る筈もない」

彼の、愚痴っぽい言い草と顰められた面に、シュウは忍ぶ風に笑い、ルカは益々面を歪ませる。

「確かに。────さあ、ルカ。続きを片付けてしまおう。こんな話に何時までも興じていたら、朝になっても終わらない」

余程、ルカの表情が可笑しかったのだろう、シュウは今度は小さく声立てて笑って、グラスを置きつつ立ち上がった。

「……そうだな」

だから、ルカも飲み掛けのグラスを手放して、彼に倣って腰を上げ、今の今まで交わしていたやり取りの全てを、遠い何処かに押し流す風に、深く強く、瞼を閉じた。

End

後書きに代えて

2011年……くらいじゃないかな、何時からだったか、もう私も覚えてないくらい晒されてた拍手小説です。

既に、弁明の余地とか、そういう問題ですらない(スライディング土下座)。

──『死』に絡むことに付いて、同じようなシチュエーションで、同じような会話を、各ジャンルのキャラ達にさせてみたよ、がテーマな話@ルカシュウ編。

真っ当な人達じゃないけど、ワタクシの書くCPの中で、多分、一番人間らしい人達。

──それでは皆様、宜しければご感想など、お待ちしております。