幻想水滸伝1
『Dear』
差し伸べられたその手が、眩しいくらい白かったことを、良く憶えている。
眩しいくらい白い手が、微かに窶れていて、そして、微かに震えていたのも、良く憶えている。
眩しいくらい白くて、微かに窶れ、微かに震えるその手を掴み返したら、見た目を裏切って、手は、とても柔らかくて、とても暖かかったことも。
──そんな手を差し出した『人』の面差しは、あやふや過ぎて、はっきりとは思い出せない。
…………『その瞬間』、笑まれたのは憶えている。
随分と、幸せそうな笑みだったことも憶えている。
何を言われているのか、『あの頃』の自分にはよく解らなくて、でも、大切なことを言われているような気だけはして、唯、必死にその手を掴み返して、柔らかいと思い、暖かいと思い。
訳も判らず、言われたことへ、唯、頷いてみせるより他なくて、幾度も幾度も、「判っているもん」と言わんばかりに首を振ってみせたら、必死に掴み返した、柔らかく暖かい手が、こちらの必死をするりと退けるように持ち上がって、ゆるゆると、頭を撫でて。
行き場を失った自分の手を、所在な気に腰の辺りへ戻したと同時に、頭にあった手が、ぱたりと『落ちた』。
……その刹那も、良く憶えている。
そんな刹那でさえ、浮かべられた笑みが、消えなかったのも。
…………けれど、どうしても、あやふやになってしまった面差しだけは、思い出すこと叶わなくて。
だから、『あの時』告げられた言葉達は、こうなった今でも何処か、少しばかり、空回りをしている。
カラカラと、音こそ立てないものの。
必死に掴んだ手が、するりと抜けてしまったあの刹那の如く。
行き場を、なくしてしまったかのように。
──────その日、その時の、戦を終えて。
戦は、確かに終わったのに。
なのに、己が眼前に立ちはだかる、父の姿を見遣りながら。
その時、『彼』は、そんなことを思っていた。
『彼』が未だ、本当に本当に、幼かった頃。
病床にあった『彼』の母は、最愛の夫と、幼過ぎる『彼』を残して逝ってしまった。
もう二度と、手の届かない所に。
母が逝ってしまった日、死という言葉すら知らなかった程に幼かった『彼』に、母の身に起こったことは、到底理解出来なかった。
逝く直前、母が遺した言葉は、その頃の『彼』には難し過ぎて、一体何を言われているのか、解りはしなかった。
『彼』の記憶の中に残る、母と共に過ごした日々は余りに短過ぎて、面差しすら、あやふやでしかない。
憶えているのは、臨終を迎える床から『彼』へと差し出された、白くて、窶れていて、震えていて、けれど柔らかく、暖かだった手と。
遺された言葉と、頭を撫でられたことと。
永遠に瞼を閉ざして尚、浮かべられ続けていた笑みだけ。
それだけが、長じ、トラン解放軍を率いる軍主となるまでの成長を遂げた『彼』の中に遺る、母の全て。
…………言葉にしてしまえば。
『彼』の中に遺る母は、余りにも細やかで、『少ない』かも知れない。
けれど、だからこそ、全ては色濃く、母が遺した言葉の全て、今尚『彼』は、鮮明に思い出せる。
……面差しは、思い出せないから。
あの時、理由も解らぬまま、必死に掴み返した手は、するりと行ってしまったから。
鮮明な言葉達は何処か、空回りをし続けているけれど。
敵味方、と分かれて、父と対峙する今は、これまでに増して、空回りを強くしているけれど。
「皇帝陛下バルバロッサ様に弓引く逆賊。天下の大罪人よ。このテオ・マクドールが、皇帝陛下に代わり、成敗する。この勝負。受けて貰いたい」
──あの時。
逝く時、刹那。
母上は、お父様の言うことを、よく聞いて、と。
そんなことも言っていたのに。
「……その勝負。お受けする」
──今。
どうして、この刹那。
僕は父上を前に、棍を構えるのだろう。
私
母上は、そんなことも言っていた筈なのに。
そして、どうして父上は、棍を構える僕へ、剣を向けるのだろう。
「こんな日が来るとは思わなかった。しかし、私は帝国の為。お前は、解放軍の為…………」
──言葉にするなら。
帝国の為、解放軍の為。
……そんな風になるんだろう。
父上は、忠義の為。僕は、信念の為。
目指した場所が違うのだから、こんな日が来てしまったことは、決して厭えはしないけれど。
こんな日が来ることを、永遠に知らぬまま逝った母上は、母上の言葉は、このまま、今日この日を境に、永劫、空回りし続けるのだろうか。
……愛しているわ、と母上は言った。
貴方のことも、お父様のことも、愛しているわ、と。
私はもう、貴方達の傍にはいられないけれど。
貴方のことも、お父様のことも……、と。
遠い所へ逝ってしまっても、貴方も、お父様も、私の大切な人であるのに、変わりないのですよ、とも。
…………あの時の言葉は。
逝ってしまった母上同様、遠い所へと、今日この日を境に、旅立ってしまうのだろうか。
何時か、大きくなって、自分の道を見付けたら……と、そんなことも、母上は言っていたけれど。
こんな日を迎えてしまった今、その言葉をよすがとするのは、都合良過ぎはしないだろうか。
相容れない道を、それぞれ選んでしまった、僕と父上。
父上の忠義と、僕の信念が、どうしたって道を違えると言うなら、それはもう、本当に、致し方ないけれど。
母上が愛した父上を、母上が愛してくれた僕の手で討たんとするのを、それでも母上は、受け止めてくれるのだろうか。
それも貴方の選んだ道だと、母上は、そう言ってくれるだろうか。
あの笑みを、浮かべたまま。
────母上。
そして、父上。
…………僕は……僕は、親不孝者かも知れません。
僕の父であり、母である貴方達にとって、僕は、どうしようもない、親不幸者かも知れません。
………………でも。
End
後書きに代えて
タイトルの『Dear』は、和訳すれば「拝啓」です。まんまです。
幻想水滸伝1発売十周年記念を、細やかにお祝いすることへの一環になればいいなー、なんて思って、小説を書いたのですが、ドが付く程暗くてすいません。
折角なんで、明るいの書きたかったんですが。コメディにしたかったんですが。
挙げ句、解釈が厄介な話を書いたような気がする。
──このお話の坊ちゃんは、名無しさんです。名前は付いてません。
おっかさんは、このお話の坊ちゃんが、二、三歳の頃に病気でお亡くなりになっている、ということで、一つ(ビバ・捏造(笑))。
──それでは皆様、宜しければご感想など、お待ちしております。