幻想水滸伝2
『君の瞳の中に、僕の瞳の中に』
夕暮れ時を迎えた所為だろう、喧噪を増し始めたレオナの酒場の一角で、あれから三年が経った今も尚、『トラン建国の英雄』と謳われて止まない彼は、何処かぼんやりと言った風情で、『彼』の背中を眺めていた。
──数ヶ月前までジョウストン都市同盟が統治していたデュナン地方と、現・トラン共和国の国境近くにあるバナーの村の池の畔で、ハイランド皇国と交戦中の同盟軍盟主である少年と知り合ったのを切っ掛けに、『英雄』と名高い彼が、少年達や、同盟軍に参加していたかつての戦友達に、あっちでもないこっちでもないと、引き摺られて歩く日々を送り始めて久しい。
……いや、彼が、少年達との関わり合いを持つようになってから、実際に流れた日々を指折り数えたら、久しい、とは言えぬのかも知れないが、その日々は、彼にとっては『長い』と例えられるような、或る意味、『濃密』な日々だったから。
盟主である少年に手を貸すようになって、もう結構な日数が経つ筈、と『英雄』は、少々現実とは隔たりの有る感想を抱えて、盟主の少年の背中を、ぼんやり眺めていた。
…………昨日、今は大人しく留まっている、故郷グレングミンスターの生家に迎えに来られ、そのまま、今日も今日とて、ムササビがどうのとか、何処そこの魔物が持っている筈の交易品がどうのとか、彼にしてみれば、どちらかと言えばどうでもいい、余り興味のない遠出に付き合わされる羽目になり。
でもまあ……決して嫌ではなかったから、散歩気分で、少年曰くの『遠征』に何時も通り同行し、もう夕暮れ時なことだし、家路に着こうか、と彼は腰を上げ掛けたのだけれど。
明日も『遠征』に出掛けるつもりらしい少年が、この酒場の女主人レオナと、小隊の編成をこうしたいから、明日の朝は誰と誰に、ここに集合して貰って……とか、そんな話をしている姿を何の気なしに眺めていたら、動けなくなってしまって。
歩き出すでもなく、傍らの椅子に腰掛けるでもなく。
唯、ぼう……っと立ち尽くして、『英雄』は唯々。
「…………お前、何やってんだ? ぼっさりして。することもないんなら、一杯付き合うか?」
そんな彼に、今日の『遠征』も共にした、かつての戦友の一人でもある、傭兵のビクトールが声を掛けたが。
「……いや、僕はいい……」
軽く肩を竦めて彼は、ビクトールの誘いを袖にした。
「何だ? 帰るのか?」
「……そのつもりだった、と言うか…………──」
「────えっっ! マクドールさん、帰っちゃうんですかっ? 一寸、待ってて下さいよぅぅぅっっ」
酒に付き合わないと言うなら、家に帰るのか、と。
少し短絡的な思考で彼の行動を推測したビクトールが、つまらなそうに言えば、その会話を聞き付けたのだろう、未だにレオナとのやり取りを終えていなかった盟主の少年が、くるっと振り返って声を張り上げた。
「あ、うん。……帰らないよ、未だ」
故に、マクドールさん、と少年に名を呼ばれた彼は、若干の苦笑を湛えつつ、少年を安堵させる為、軽く右手を上げた。
「良かったっっ。直ぐ終わらせますから、待ってて下さいねっ。そこ、動かないで下さいよっっ」
だから、ちゃんといるよ、と答えたマクドールに、少年はにこっと笑みを送り、又レオナへと向き直って、早口で捲し立て始めた。
「……信用、ないのかな…………」
そんな少年の素振りに彼は、戸惑った風な独り言を洩らし。
「そういう訳じゃねえだろ」
それを聞いてしまったビクトールは、愉快そうに笑い出した。
声を立てて笑う傭兵に、かつての英雄は、少しだけ臍を曲げたような、そんな視線を送ったけれど、やがて、馬鹿馬鹿しい、とでも思ったのか、再び、己の方へ背を向けている少年へと眼差しを戻す。
────かつて、トランの大地にて起こったトラン解放戦争の折、彼、マクドールが解放軍々主を務めていた在りし日の光景に良く似て。
トラン湖に浮かぶ島に佇む、解放軍の本拠地がそうであったように、デュナン湖の畔に聳える、この同盟軍の居城にも数多の者達が集っているから、こんな夕暮れ時、レオナの酒場や、ハイ・ヨーという料理人が仕切るレストランは、様々な人で溢れる。
男も、女も、老いも、若きも、戦う術を持つ者も、戦う術を持たぬ者も。
あちらこちらと行き交い、喧噪を増すのに一役買って、様々に語らっている。
そんな、この城に集っている、戦時下だと言うのに明るい彼等が、城内を行き交う折々、言葉にするなら、『己達の希望の星』ということになるだろう盟主の少年を見掛けたり、擦れ違ったりすれば、親しげに声を掛けたり微笑み掛けたりするのは、当たり前のことなのだろう。
故に、先程から続いている盟主の少年とレオナとのやり取りが一向に終わる気配を見せないのは、決して、少年が手間取っているからではなくて、明日は何処に行きたいからとか、何をしたいからとか、底抜けに明るい口調で話をする彼の近くを行き過ぎた人々に、様々に声を掛けられるのに一々答えているからであり。
別段、そのことに文句を言うつもりは『英雄』殿にはないし、そもそも、文句など抱えることなど有り得ないのだが。
その内にマクドールは、その光景を見続けていることに、正体の見えない感情を抱え始めている自分に気付いた。
────どうして、己が『こんな風』にしているのかも、彼には不思議だった。
実家に帰りたい、と本当に思うなら、一言断りを入れ、さっさとビッキーの元へと向かえばいいのに、何故か、そうすることは出来ないし。
盟主、という存在が、城内の者達に声を掛けられるのも、掛けられた声に応えるのも、おかしくも何ともない、在り来たりの風景なのに、何処となく、もやもやするし。
もしもその『もやもや』が、万が一にも負の感情を伴うそれだと言うならば、この場から離れればいいのに、少年を見なければいいのに、それも出来ないし、といった有り様だから。
「…………熱でもあるのかな……」
ぼそっと彼は深刻な顔で、己に対する感想を洩らした。
「は? 熱? 風邪か? …………でも、お前、風邪なんざ引くようなタマだったか?」
「失礼な言い種だね。僕だって、風邪くらいは引くよ」
でも、具合が悪い訳ではないし、と。
熱でもあるのか、そう言いながら首を傾げた彼の呟きに、又しても聞き耳を立てていたビクトールが、からかいを入れた。
なので、少年を眺めながら、ぼんやりと考え事をしていた僅かの隙に、良くもまあそれだけ、と言いたくなる程の酒を嚥下し、『いい感じ』に出来上がりつつあるビクトールを彼は一睨みし。
……まあ、滅多に風邪なんて引かないけど、と胸の中でのみ傭兵の茶々に同意して、そうこうする内、漸くレオナとの話が終わったらしい少年が、トトっ……とこちらへと近付いて来る様に、彼は視線を戻した。
────だが。
酒場のカウンターから、彼やビクトールがいる辺り──酒場の中程のテーブル席辺りまでの、ほんの僅かな距離を進む間にも、少年は、様々に呼び止められ。
ほろ酔い加減の老人に、今日はお天気が良かったから、と世間話を持ち掛けられれば、そうですね、と応え。
酒場を近道代わりに道具屋の方へと抜けようとしていた子供達に、今度遊んでね、と言われれば、そうだね、今度ね、と応え。
屯している酒好きな一〇八星の一人に、付き合え、と迫られれば、僕、飲めないよー、と笑って躱し。
同じ年頃の仲間達に、夏の夕暮れは長いから、湖の方にでも行くか、さもなくば飯でも喰いに行かないか、と誘われれば、どうしようかなー、一寸考えさせてねー、と流して…………と、一々やっている少年は、中々、マクドールの元へと近付いては来なかった。
「……あのね」
だからマクドールは、業を煮やした……という訳ではないが、自ら少年の元へと赴いて、何処となく、遠慮がちに声を掛けた。
「あああああ、御免なさい、マクドールさん、お待たせしちゃって」
声のトーンだけは控え目なそれだったけれど、少年と、少年の仲間との会話を遮ったことには、何らの罪悪感も感じていない、といった態度で語り掛けて来た彼に、少年が振り返った。
「お帰りになるんですか? 帰らないと、グレミオさんに心配されちゃいます? なら、ビッキーの所まで、僕一緒に行きます」
「……あ、うん……」
くるっと向き直るや否や、御免、又ね、と仲間に手を振りつつ、彼が何も言葉にせぬ内に、少年はにこっと笑ってにこっと話を進め。
「じゃ、行きましょっか」
踵を返し、酒場の出口へ向かい始めた。
故に仕方なく、『英雄』殿は黙ってその後に従い、酒場の外の廊下でも様々に行き過ぎる人々をやり過ごし、約束の石版の前よりチロっと視線を送って来た、風の魔法使いルックの視線をやり過ごし。
「………………えーーーーと、今日はどうも有り難うございました、マクドールさん。又、グレッグミンスターの方にお邪魔しても構わないですか?」
転位魔法を操る少女、ビッキーの前へと辿り着いた処で少年は、軽くマクドールを見上げ、躊躇いがちに言った。
「それは、構わないよ。遠慮することなんてなくて…………。──あー……その、ね……それよりもね…………──」
バナーの村で出会った後、少年が、初めてグレッグミンスターのマクドール邸を訪れ、一緒に戦って貰えませんか、と告げて来た時、「僕は僕の好きにするから、今後一切遠慮なんてしなくていいよ」と、そう言った筈なんだけどなあ……、と頭の片隅で考えながら彼は苦笑し、少年を見下ろし、そして、言い淀んだ。
「はい? 何ですか?」
「えっと…………」
…………そのね、と。
そう言い掛けてしまった自分が一体何を言おうとしていたのか、『それよりも』、の先に何と続けたかったのか、自身にも判らなく。
小首を傾げて言葉の続きを待っている少年の眼差しを受け、マクドールは益々、言葉に詰まった。
「だから、その…………」
──もう、自分は帰るものだと決めつけている少年に、何かを言いたくて……、そしてやがて、ああ、自分は未だ、グレッグミンスターには帰りたくないんだ、と思い当たり。
が、思い当たったは良いが、何故、『家族達』が待っていてくれる、グレッグミンスターの生家に帰りたくないと思うのかは見えて来ず。
「マクドールさん……?」
「あーーー…………だから……そのぅ……ね…………」
元々彼は無口な質だけれど、言い淀むことなど滅多にないのに、どうしてこんなに今日は『らしくない』のかと、訝しげな顔になった少年に、言い訳をする言葉をマクドールは探し始め。
「あ、そうだ。今度、湖の畔で納涼大会開こうよー、って、ナナミちゃんが言ってましたよー。楽しみですねー。シュウさんに一日お休み貰って、沢山遊びましょうねー、一緒にぃ」
テレポートを頼みに来た筈なのに、それを言い出す訳でもなく、良く判らないやり取りを続けている二人に焦れたのか、はたまた、何か言われるのを待っているのに『飽きた』のか、その時、同盟軍盟主の少年の服の裾を引っ張って、ビッキーは、のほほん、とそんなことを言い出し。
「あのね……、その…………。夕飯、一緒に食べない……? ああ、お腹が空いていないなら、お茶だけでも付き合って貰えたらな……って、そう思うんだけどね……」
にこにこと、少年に語り掛けるビッキーの微笑みを眺めた刹那、マクドールは何故か、そんなことを少年に向けて口走っていた。
「御飯、ですか?」
「……良かったら、なんだけど…………」
──何を自分は、女性に『声を掛ける』時のような台詞を吐いているやら、と。
無意識に口を付いた己が台詞に、彼は呆れたけれど。
「いいですよ。お腹空いてたんですか? マクドールさん。先に言ってくれれば良かったのにー。グレミオさんの御飯も美味しいですけど、ハイ・ヨーさんの御飯も美味しいですよー。何食べましょうかっ」
少年は不思議に思うこともなかったようで、ぱぁ……っと頬に笑みを乗せ。
「ビッキー、御免ーーーーっ」
瞬きの魔法を操る少女に手を振って、一路、ハイ・ヨーのレストランを目指し、とことこと歩き出した。
──一階広間を抜け、通路を渡り、レストランへと向いながら。
「今日出掛けた先であった、あれはー…………──」
とか。
「一昨日ですね、ナナミが又、レストランの厨房に潜り込んで、お料理実験っ! とか始めちゃってー……──」
とか。
楽しそうに、沢山のことを語り続ける少年に、黙って耳を傾け。
どうして、あんなことを口走ってしまったのか、それだけを考えていたけれど。
「──それでですね、マクドールさんっ!」
…………と。
話の途中で少年が、くるっと首を廻し、己だけを見詰め、己だけへ笑い掛けて来る姿を見付けたマクドールは。
「………あ、そうか…………」
ふと、己の『心境』に思い当たり。
「はい? 何ですか?」
「……ああ。夕飯をここで食べると、多分遅くなってしまうから、今晩ここに、泊めて貰えない、かな……、って思って」
少年が、自分だけに向けてくれる笑みと、同等の笑みを浮かべた彼は、泊まってもいい? と、ねだるような口調で言った。
「はい、勿論っ!」
珍しい、彼の『頼み事』に、盟主の少年は、きらきらと目を輝かせ、益々笑みを深めた。
「そう? …………良かった」
だから、彼は。
その『想い』が、何を根源にしているのか、そこまでは掴み得なかったけれど、きっと自分は、少年の瞳の中には己だけが、己の瞳の中には少年だけが、互い微笑みながら映っている姿に、焦がれたのだろう、と気付いた彼は。
少年がそうしたように、唯々笑みを深めて。
「夕飯、何を食べようか」
楽しげに、そう言った。
もしかしたら、僕は、この子のことを……と、密かにそう想いながら。
End
後書きに代えて
書いてて背中が痒かった。ああ、痒い。マクドールさんが大人しくて(笑)。
──マクドールさん、幾ら言葉に詰まったからと言って、御飯一緒に食べませんか、駄目ならお茶でも、っていうのは、ナンパって言いませんか。
──それでは皆様、宜しければご感想など、お待ちしております。