幻想水滸伝2

『Family』

デュナン湖畔に佇む同盟軍本拠地の城の、何処も彼処もが動き出すより少しだけ早く、シュウは目覚めた。

水門の町ラダトの自宅の寝台と比べれば、どうしても、固い、と言わざるを得ないベッドから、無理矢理に引き離した体は、ほんの少し重たかった。

けれどもう、そんな毎日の怠さに彼は慣れ切ってしまっていて、でも。

その朝の怠さは、何時もとは少しばかり違った。

……そうだ、そもそも夕べから、彼の体調は少しおかしかった。

普段なら、未だ執務机に向かっている筈の時間に目の霞みを覚え、少しだけ休もう、そう思ってベッドに横たわったら、そのまま寝入ってしまって挙げ句、目覚めは、習慣よりも遅かった。

自分とて、多分疲れているのだろう。

……常よりも重い怠さに、シュウはそう思った。

疲れているのだろうな、と、素直に。

ハイランド皇国との戦いの行方は、未だに見えない。

知恵の限り、汚さの限りを尽くして戦いに明け暮れても、明るい明日は未だ遠い。

そんな毎日を送っているのだ、疲れない方がどうかしている。

それに。

彼には一つ、戦に対する心労とは、若干趣きを違える心労が一つあった。

それとて、大きく括れば戦に対する煩いに等しいのだけれど、でも、確かに若干だけ、その心労の趣きは異なった。

…………彼の抱える、『趣き』の異なる心労、それは、同盟軍の盟主にあった。

一軍の長として立たせるには若過ぎる、一人の少年。

──瓦解してしまったジョウストン都市同盟では、禁忌のような、それでいて、崇めなくてはならないような、そんな立場の古き英雄、ゲンカクの孫息子だったから。

ゲンカク同様、二十七の真の紋章の一つ、始まりの紋章の片割れ、輝く盾の紋章を、その右手に宿しているから。

この少年ならば、と踏んで、同盟軍の旗頭に少年を担ぎ上げたのは、シュウ自身だ。

それだけの『魅力』があれば、少年自身がどうであれ、お飾りにはもってこいだと思ったのも、お飾りでも構わないとも思ったのも、決して嘘ではないけれど、黙って、傀儡の器に収まるような質ではないと見込んだのも又事実で、そしてその見込みは当たって、だから、そういう意味では、盟主の少年に、シュウは何の不満もなかったし、心労一つもなかった。

市井の中で平凡に生きて来たが為、慣れない統率者の立場に戸惑いを見せつつも、少年は、日々、精一杯の頑張りを見せてくれる。

戦争を勝ち抜くこと、軍の長であること、数多の兵士の命を預かること、それは、それ等の責任に対する努力を見せていれば良いというものではなく、努力が足ろうが足りなかろうが、結果のみが重要だから、少年が涙ぐみそうになる程にきつい言葉を、シュウは年中掛けるけれど。

それでもシュウが、この戦いに於ける全てを少年に賭けているのは紛れもない真実で、では、何が心労なのか、と言えば。

それは、盟主の少年と、隣国である、トラン共和国建国の英雄との、関係にあった。

──数週間前、同盟軍領の隅、隣国との国境に位置するバナー村にて、二人の少年は出逢った。

どうして彼等が邂逅を果たすことになったのか、邂逅を果たした後、彼等にどんな出来事が起こったのか、それを、その場に居合わせた一〇八星の者達から報告という形で聞かされた時には、シュウも、どうということは思わなかった。

厄介な場所で、厄介な人物に巡り逢われたものだ、と、ちらりとは考えたけれど。

それ以上のことは、別段気にしなかった。

同盟軍盟主とトランの英雄の、運命の悪戯のような邂逅など、所詮、一度きりの些細な触れ合いと、そう捕らえたから。

けれど、そこから先の出来事は、シュウの予想を裏切った。

彼が奉る盟主は、隣国の英雄に惹かれ、英雄も又、盟主の少年を気に入ったようで。

頻繁に邂逅を重ねる、が、『可愛らしい』と言えなくもない彼等の私的な間柄に、正軍師という立場で口を挟むのも……、と、シュウが躊躇いを覚えている間に、少年達は親しみを深め、そして、親しみを、愛情に塗り替えてしまった。

男同士でありながら。

同盟軍盟主と、トラン建国の英雄との、立場を互い背負いながら。

彼等は世に言う、恋人同士という間柄になってしまった。

……言うまでもなく、それは、ままごとのような恋人同士ではなく。

躰の関係をも交わす、恋人同士。

…………当人達は、自分達の本当の関係を、周囲には上手く誤摩化し通しているつもりでいるらしいが、そんなこと、シュウにはお見通しだった。何処までも、認めたくはなかったし、認める訳にはいかなかったけれど。

でも、現実は『そう』だった。

故にシュウは、彼等の本当の関係に気付いた頃よりその朝まで、ずっと、心労を抱えて来た。

ハイランドとの間の戦争に勝利を収める為、軍内一致団結して戦に当たらなければならない今、象徴である盟主に、選りに選って、同性の恋人がいるなど、醜聞も良い所だ。

況してや相手はトランの英雄。

今でこそ、同盟軍とトランは友好関係にあるけれど、数年前までは犬猿の仲だったのだ、それが知れたら、どんな言い掛かりを付けられるか判らない。

真相が何処にあれ、『我等が英雄殿を誑かしたのはそちらの盟主殿』などと言われたら、堪ったものではない。同盟関係とて、決裂するかも知れない。

そして、それよりも何よりも。

頂きに押し上げてしまった象徴には、最後まで、神聖でいて貰わなくてはならない。

…………だから。

シュウは日々、頭を痛めて、そして、日々。

何とかして、少年達を別れさせる方法はないものかと、綺麗とは言えない知恵を絞っていた。

恐らくは、二人揃って呼び出し、雁首並べて眼前に立たせ、貴方達の本当の関係を知っている。立場を考えて、別れて欲しい、と告げるのが、一番手っ取り早いのだろうと判ってはいるが。

何となく、それをしてしまうのを、シュウは憚った。

戦争の為に、『小さな恋』を潰すことに、罪悪感を覚えた訳ではない。

ひと度口火を切れば、少年達の私事である、肉体の関係に触れなければならないだろうことに、羞恥を覚えた訳でもない。

シュウは、そのようなことに羞恥を覚えなくてはならない歳でもないし。

では、何が彼を躊躇わせているか、と言えば。

………………その理由は、シュウ自身にも、皆目解らなかった。

無理矢理にでも、少年達の仲を引き裂いてしまうことなど、彼には至極簡単なのに。

どうしても、彼にはそれが出来なかった。

起き抜けから痛む胃の臓と、怠い体を引き摺って、身支度を整えたシュウは自室を出た。

或る意味、不健康の見本のような日々を送っている彼には、毎朝きちんと朝食を摂る習慣なぞはないし、そもそも彼の職務からして、決められた時間に食事が摂れるような、ゆとりあるものではないから、早朝から彼がそこを訪れるのは、至極珍しいが。

このままでは、具合が悪くなる一方だと判断して、彼は朝食を摂るべく、本拠地東棟一階にある、レストランへ行った。

のろのろと支度をしている間に、彼等が城は完璧に動き出していたようで、レストランはごった返しており。

数多の者達に、シュウ軍師が朝食なんて珍しいと、奇異の視線を向けられたが、不躾な眼差しには取り合わず、黙々と……、否、時に、らしくない溜息を零しながら、彼は味気ない朝餉を終え。

一日の源である筈の朝餉を終えたばかりとは、到底思えぬ緩慢な足取りで、自室へと向かった。

…………と。

「あ、シュウさん。おはよう」

「…………おはよう」

少々遅い朝餉を摂りに行く途中らしい盟主と、昨晩は本拠地に泊まったらしい、トランの英雄の二人に、シュウは廊下で行き会った。

「………………おはようございます」

仲良く並んで、廊下の中央を進んで来た二人に声を掛けられて、一瞬のみシュウは、眩暈を覚える。

英雄殿が、昨夜本拠地に泊まった、その事実に、自身でも、下世話だ、と思いながらも、したくもない連想をしてしまったから。

「早い朝御飯だったんですね。シュウさんが、朝御飯食べること自体珍しいのに、こんなに早くからなんて、もっと珍しい。でも、ご飯は三食きちんと食べた方がいいですよ。僕が言うのもアレですけど」

しかし、眩暈を覚えた刹那も、軍内で無表情と名高いシュウの面が移ろうことはなかったのか、瞳の中に湛えた、物珍しそうな色はそのままに、盟主はにこりと笑った。

滅多なことではお目に掛かれない、鬼の正軍師殿の『生き物らしい姿』が余程気に入ったのか、小首さえ傾げながら。

「……盟主殿…………」

故に、私が朝食を摂ることを、そこまで物珍し気にしなくとも良いだろうと、まじまじ、盟主の笑み、仕草、それ等を見詰めたシュウは、気付かぬ方が幸せだったことに、気付いてしまった。

少年の、小首を傾げる仕草の所為で、はらりとずれた黄の肩掛けの奥。赤い上衣の襟元から、ちらりと覗いた『痕』に。

「……? どうかしました?」

「…………いえ、その。……ずれましたよ」

そんな物が目に飛び込んで来た瞬間、ここが何処なのかも忘れて、不機嫌そうに自分を見詰めて来るトランの英雄を、盛大に怒鳴り飛ばしたい衝動と、色恋に狂っている場合ですかと叫びながら、件の英雄の傍らより、盟主を引き剥がしたい衝動とにシュウは駆られたが、何とかそれを押し留め。

自分達以外の誰の目にも止まらぬように、言い訳を口にしながら、極力、さり気なさを装って、彼の肩当ての結び目を一旦解き、それまで以上に深く結び直してから、体裁を整えてやった。

「あ、有り難う、シュウさん」

「いえ、どう致しまして」

常に輪を掛けた無表情を意識的に拵えながら、盟主の服の乱れを直していた間中、直ぐ傍から注がれ続けた、英雄の冷たい視線が気にならなかったとは言えないが。

明らかな意味を持った強い視線をそれでも無視し、シュウは、礼を述べ、英雄と二人レストランへ去って行く盟主の後ろ姿を、その場に佇み見送った。

………………唯、黙って。その姿が消えるまでを、見守ろうかと思った。

見送るだけの行為は、酷く簡単に思えた。

……でも。

『痕』を見遣った直後は、躊躇ってしまった行為だけれど、今からでも遅くはない、朝食など後回しにさせて、二人を引き立て、どの部屋でも良い、近場の何処かに引き摺り込んで、直ちにこの場で別れろと、そうきっぱり引導を渡すのも、酷く簡単なことに思え。

…………相反する二つの思いを抱えて、シュウは逡巡した。

遠くなりつつある彼等の背中を、じっと眺めながら。

だが、結局。

彼は意を決して、引き結んでいた唇を開いた。

シュウ、という一人の人間の中で、『正軍師』が勝ったから。

「盟主ど──

──シュウ」

しかし。

盛大な修羅場を迎えるのを覚悟で、盟主と英雄を呼び止め掛けた彼を、通りすがりの者達が呼んだ。

「……何だ」

誰だ、と彼が振り返れば。

そこには、腐れ縁と名高い傭兵二人が立っていた。

「無粋な真似は、しない方がいいと思うぞ」

暫く前から、近くに居合わせたらしい風情のビクトールが、腕を組みながらそう言った。

「未だ、馬に蹴られて死にたくはないだろう?」

ビクトールより、一歩だけ引いて立っていたフリックは、やけに神妙な顔を作った。

「………………お前達……」

そんな二人を、酷くきつい眼差しでシュウは見据える。

「放っといてやんな。多分、それが一番良い。兎や角と言いたい気持ちは判るし、正軍師って立場じゃ、そうせざるを得ないんだろうが。盟主と英雄だから。……唯それだけの理由で、引き裂いていいってもんでもねえだろ」

けれど、叱責の始まりを告げるかのような鋭い視線に怯むことなく、ビクトールはケロリと断ずる。

「……何故。あの二人が唯人だと言うなら、私とて無粋な真似はしたくない。誰が、何時、何処で、誰と、どんな関係を結ぼうが、当人の自由だとも思う。だが。あの二人は、唯人ではない」

「どうして? 唯人だぜ、あいつ等だって」

「ビクトールっ……」

「…………おや。違うとでも言う気か? ……あの二人。片方は俺達の軍の盟主で、片方はトランの英雄かも知れない。つか、まんまだな。でも、あいつ等だって、唯の人間だ。寄り添い合っていたい時だって、あるだろうさ。……頼むから、放っといてやってくれよ。──軍主だ盟主だってモノになる道を選んだのは、当人達自身の意思だ。だが、軍のリーダーになるか否か、その選択を迫られる処まであいつ等を引き摺っちまったのは、多分、俺達大人だ」

廊下を行き交う他の者達には聞こえぬ程度には低い、が、飄々とした声のまま、熊の如き体躯の傭兵は、そう続けて。

「醜聞にならないように、俺達も気は配るから」

相方の、全身青ずくめの彼も、低く囁いた。

それ故、シュウは、そんな情けを抱えたままでも戦を勝ち抜けると言うなら、己がこんな苦労を背負い込む筈はないと、もう一度、二人の傭兵をきつくきつく睨み、でも、何も言わず。

自室へ向かうべく、唯、踵だけを返した。

後ろ手で、ぱたりと自室の扉を閉めて、俯き加減だった面を持ち上げれば。

習慣よりも遅い時間に目覚めたあの刹那より引き摺っていた酷い倦怠感が、何故か薄れているのをシュウは感じた。

抱え続ける心労も、どういう訳か、軽く感じた。

朝食を摂るべく後にした時と、微塵も変わりない自室を眺めながら、何故? と彼は首を傾げる。

倦怠感も、心労も、一層酷くなって然るべき『痕』を、たった今、自分は見せ付けられて来たばかりなのに、と。

だが、何とか迸らさせずには済んだ怒りを湛えながら、耳傾けてやった傭兵達の言葉を脳裏で反芻し。

ああ……、と彼は、少しばかり何かを会得したような表情を作った。

──神聖でなければならない存在を、それでも、心の何処かで己が家族のように、自分は思っていたのかも知れない。だけれどもそれを、どうしても認めたくなかったのかも知れない。

なのに、少年を、盟主ではなく、少年として見遣ること憚らない者達の言葉に、安堵したのかも知れない。

神聖な存在を、神聖な存在へと押し上げたのは自分なのに。

神聖な存在が、神聖な存在で在り続けることを、最も誇示してみせなければならないのは自分なのに。

──……刹那、彼が浮かべた会得の表情は。

そんな風な想いに、ふ、と捕われたが故のそれだった。

────刹那の彼のその想いは。

ふ、と捕われた、『気紛れ』な想いでしかなかったのかも知れない。

けれど、それが、単なる気紛れではないことは、薄れた倦怠感と、軽くなった心労が、如実に物語っていた。

「……人の恋路を邪魔する者は、馬に蹴られて……、か。無粋な馬の後ろ蹴りなど、喰らいたくはないな」

だから。

先程の、『気紛れな想い』同様、『言い訳』でしかない呟きをわざと吐き、肩を竦めてから、シュウは、そうするのを忘れていた、自室の窓を全て、威勢良く開け放った。

End

後書きに代えて

……設定が坊主なだけで、歴然とした坊主になっていない気がしてなりません。

──今回の話のWリーダー。

双方名無しな設定なんですが、あくまでも一応、タナ坊とニクス2主の話である『密会』の続きっぽくなってはいます。

タナとニクスの二人は、「我が道行くぞー!」なタイプのWリーダーとは違って、自分達の関係が周囲にバレたら絶対に引き裂かれる(と二人は固く信じている)パターン辿ってる二人で、そんな二人がひた隠しにしてる関係を実は知ってて、反対したいんだけどー、でもー……、なシュウさんと、タナとニクスの微妙な関係(とまではいかなかったけど)を書いてみよっかな、と思ったんですね。

思いっきりシュウさんサイドの話にしちゃったんで、Wリーダーの登場シーン、細やかになっちゃいましたが。

──それでは皆様、宜しければご感想など、お待ちしております。