***

 

 葬儀は、午後一時から聖パウロ教会で執り行われた。
 弔問客も多かったが、報道陣も多かった。
 客も報道陣も、このリゾート地で起こった事件の事を、葬儀の間中、ひそひそと噂しあっていた。
 二時に出棺し、遺体が火葬場へと向かう姿を見送りながらも、ずっと。
 栗田達警察の人間も、人込みの外れから、ずっとその様子を伺っていた。
 喪主である秀明の憔悴振りは、事件当日、署で事情聴取した時よりもずっと目立っており、人々の同情を買っていた。
 注目の鳥居肇は出棺が済むと、病院へと帰っていった。
 そんな中、栗田は一人の青年を見つけた。
 町では、見掛けない顔だった。
 喪服を身に纏う訳でもなく、普段着のまま影に隠れるようにして出棺を見送っていたから、彼らの目についたのだ。
 高い身長を目立たせぬ様に電信柱の影に隠して、青年は佇んでいた。
 報道関係者でもなさそうである。
「ちょっと、君、いいかな?」
 黒沢達に合図して、立ち去ろうとしていた青年を囲むと、栗田は声を掛けた。
 ほっそりとした体が立ち止まる。
 黒髪を揺らして、彼は振り返った。
 黒い、形の整った瞳が刑事を捕らえた。
 綺麗な顔立ちの、青年だった。
「はい、僕に何か?」
「君、何してたのかな。良ければ、話を聞かせて貰いたいんだけど」
「…何をですか?…別に、貴方にお話しするような事は何もありませんけど。…失礼ですけど、何方様ですか?」
 栗田の言葉に、少し苛立たしげに返答をぶつけてくる。
 外見は、か弱そうな青年だが、中身は違うらしい。
 ちょっと、怪しいなこの子。
 そんな彼の態度を見て、栗田の刑事の勘が囁いた。
 警察手帳を見せた。
「一一失礼。私は、こういう者です。ちょっと、署まで一緒に来てくれるかな」
 栗田にそう言われた青年は、不服そうな表情をちらつかせながらも、同行する事を承諾した。

 

「先ず、名前から聞かせてくれるかな」
 軽井沢署に着くと、青年、的場圭一郎は会議室の様な所へ通された。
 何人かに、囲まれる。
 が、署に同行と言われて、取調室に連れていかれるかと思っていた彼は、少しだけ、安堵した。
 何でこんな事になっているんだろう一一。
 安堵しながらも、圭一郎は必死に考えをまとめていた。
 電信柱の影から、出棺を見送っていただけだった。
 大野りんが、死んだ。
 彼女に会いに自宅を訪ねたら、近所の主婦が親切にそう教えてくれたので、慌てて教会に駆けつけたのだ。
 だが、事態が良く飲み込めず、取り合えず喫茶店に腰を落ち着けようと歩き出した矢先に、一人の男に呼び止められた。
「ちょっと、君、いいかな」
 そう言われて、振り返ったその先には、いかつい中年が立っていた。
 何だ?こいつ。随分と失礼な奴。
 そんな事を思って、瞳の中に男を捕らえた時、男は警察手帳を取り出して見せたのだ。
 厄介な事になっちゃったな…。
 心の中で、圭一郎は悪態を付く。
 でも、何で僕が警察に連れてこられなきゃいけないんだろう。
 大野さん…一体どんな死に方をしたんだろうか……。
「的場圭一郎と言います。年は二十三。現住所は東京都です」
「的場圭一郎君ね…」
 住所氏名を尋ねられ、答えると、栗田と名乗った刑事が彼の言う事を一々書き留め始めた。
 仕事だから仕方無いのだろうが、やたら圭一郎の勘に触った。
「君は、大野さんの知り合い?何であそこにいたの?」
「一一僕の実家は軽井沢なんです。大野先生が僕の弟の主治医で。小諸にいる弟に会いに来た次いでに、先生にご挨拶しようと思って寄ったんですけど、奥さんが亡くなって葬儀に行かれてると近所の方に伺ったものですから、一寸足を運んだだけです。…あそこにいたのは、こんな普段着だから目立っちゃいけないと思って…」
「成程ね…」
 ふうむ、と栗田が唸った時、取り巻いていた警官達の二、三人から、ああ、と言葉が上がった。
 『的場』と言う名を聞いて、思い当たる事があったらしい。
 的場さんの所の息子さんかね。ああ、通りで。
 と、云う会話が室内を飛び交い、ひそひそ話が終わる頃には、その場にいた殆ど全員が五年ほど前に旅先で事故死をした医者夫婦の事を思い出した。
「嘘は、無いみたいだね」
 周囲の話と、自身の記憶を併せながら、栗田は圭一郎の話を解釈した。
 だが、納得はしていないようだった。
 言葉の区切り方に、それが伺える。
「でも、本当にそれだけ?」
 その台詞に、圭一郎は突っかかった。
「どういう意味ですか?たった今、僕の言葉に嘘はないと…刑事さん、おっしゃいましたよね」
 大人しく、事を済ませるつもりだったのだが、自分が医師であった的場夫婦の子供と云うだけで、見る目を変えたその態度が気に入らなかったのだ。
 つい、口調が刺々しいものにある。
「まあ、そう怒らないでよ。別に君が嘘を付いてるなんて、言ってないじゃないか」
 そんな彼を宥める様に、刑事の声はトーンダウンする。
 つられて、圭一郎の威勢も収縮した。
「…そうですね…。すみません…」
 一一そうだ。落ち着け。何故だかは知らないけれど、大野りんが死んだ以上一一僕がこの町にいる意味は無いのだから。
 僕は知り合いの医者を訪ね、そしてその奥方の葬儀を影で送ったんだ。
 それだけの事だ。
 彼女が死んだ、今となっては。

 

 どうも怪しいんだよなあ。
 栗田は、そんな疑いの眼差しをそっと圭一郎に向けていた。
 別に嘘を付いている様には見えないし、実は彼が犯人でした、なんて、推理小説でも書かれない様な、陳腐な落ちは付かないだろうし…。
 でも、何か。
 彼は知っている様な気がするんだ。
「ふうむ…」
 知らず知らずの内に、彼は又唸っていた。
 圭一郎のきつい眼差しが、再び栗田に向けられる。
 未だ何か言いたいのか。
 彼の瞳は、そう語っていた。
 又、同時に、同僚の黒沢からも、痛い程の視線が彼に向けられていた。
 それにやっと気付き、そちらへ目をやったら相棒は、
『おい、何時まで唸ってんだよ…』
 そんな風に目で訴えている。
「あのね、的場君…」
「はい、何でしょう」
 打てば響くような圭一郎の返答に、どうも遣りづらさを感じながらも、何か喋らなくては、と、彼は取り合えず無駄話の一つもしようと心に決めた。
「君は、大野婦人とも、親しかったのかな」
「親しいと云う訳では。何度かお会いした程度です。……でも、三沢さ??大野さんは何方とでも親しく話の出来る方でしたから」
「今、三沢さんと言い掛けたね?」
「大野さんの旧姓です。僕が大野さんにお会いした事があるのは、未だ彼女が大野先生と結婚される前の事でしたから。僕は、お二人が結婚される前に上京しましたし。それ以来大野さん御夫婦には、お目に掛かっていません」
 圭一郎は、淡々と栗田の質問に答えていった。
 栗田は、更に遣りづらさを感じ、この短時間で大学生の青年相手に苦手意識さえ芽生え始めていた。
「じゃあ、君は、彼女が何で死んだのかは知っているかい?」
「いいえ。でも、僕なんかが警察に呼ばれる位ですから……自殺か何かですか?」
「……殺されたんだよ。頭を鈍器でかち割られて、ね」
 一一栗田のこの一言は、ちょっとした意地の悪さから出た一言だった。
 生意気な、けれどたかが年下の青年を、少し脅かしてやろうと思って。
 だが。
 この一言は、青年にとって、彼が想像もし得ない意味を持った一言だった。
「殺され…た…?……今、殺されたって言いました…?刑事さん…」
 瓢々と、別の刑事に差し出されたお茶を飲もうと、湯飲みに手を延ばし掛けていた圭一郎の動作が止まった。
 形の良い瞳を大きく見開いて、呼吸さえ、荒かった。
「まさか…。そんな…だって…」
 そんな圭一郎の態度を見て、栗田がまず思ったことは、
 犯人じゃ、ないんだ。
 そんな風な事だった。
 心底、驚愕した態度。これは演技じゃあ出来ない。これ以上、彼を引き止めておいたとしても、きっと収穫はないだろう。さっさと帰して、次の捜査に掛かろう。
 一一だが、次に圭一郎が吐いた言葉は、その場に居合わせた者にとっては、少々意外なものだった。
「どうして?一体誰が?……いや…誰かなんてそんな事は…。でも…僕は…僕は彼女があんな物を送って来たから…だからてっきり、彼女が誰かを殺したと思ったのに!…なのに…殺されたのは彼女の方だなんて……」

 

 

『殺されたんだ、頭をかち割られて、ね』
 一一圭一郎の耳に届いた刑事の言葉は、彼を動揺させるのに充分なものだった。
 思わず真実が口をついて出たが、あっと思った時にはもう遅かった。
「的場君、それはどういう事かな?…話してくれるね?」
 栗田の隣にいた、黒沢とか云う刑事に即座に尋ねられて、彼は言葉に詰まった。
 栗田はと云えば、僅かばかり勝ち誇った様な表情を見え隠れさせて、圭一郎を視線で捕らえている。
 その視線を少しだけ外して、彼は窓の外に目をやった。
 軽井沢署は、信越本線の線路から見える所に建っている。
 五年前の春、特別急行の窓から見たのと同じ、白樺林が見えた。
 覚悟を決めた。
「実は…」
 そうして、彼は重い口を開いた。

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