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翌日、圭一郎と交わした会話が耳にこびりついたまま、栗田は仕事を始めた。
何となく、休みたい気分だったが、そういう訳にもいかなかった。
だが、気分の重い時と云うのは、そんな出来事が続くもので、朝一番の捜査会議で大野秀明を任意同行する事が発表された。
栗田や黒沢ら、数人の者で自宅に向かい、出勤前の大野秀明を署へ連行した。
申し出に大した抵抗も見せず、大野は大人しく彼等に従った。
「お前が、被害者を殺ったのか?」
取調室で、刑事達は単刀直入にそう、切り出した。
大野は暫くの間、押し黙っていたが、刑事達に鳥居肇の証言を聞かされた時、あっさりと陥落した。
「……はい…。私が、彼女を、殺し…まし…た」
彼は自分の犯行だと認めたのだ。
そして、彼は告白を始めた。
あの日…病院に出勤しようとしていたその時…あいつはこんな事言ったんだ…。
「貴方…話があるんだけど、いいかしら」
俺は急いでいたから、後にしてくれって言った。
そうしたら、あいつ、帰ってこいって言うんだ。どうしても、大切な話が有るって。
俺は…何の話なのかさっぱり見当が付かなかったから…今では駄目なのか、電話では駄目なのかって…そう言った。
「駄目よ、そんなんじゃあ」
そう言われて仕方ないから、判ったって生返事して出勤したさ。
あいつがそんな事を言ったのは初めてだったし…たまたま救急患者も無かったから、約束通り病院を抜け出すチャンスを俺は伺ってた。そしたら、たまたま出産が長引いて、残業していた鳥居がやって来たから、ちょっと代わってくれ、どうしても片付けなきゃいけない用事があるからって言って、病院を抜けた。
職場放棄になるので、看護婦達には、自分がいない事を何とか誤魔化すように頼んだら鳥居は、快く引き受けてくれた。
…慌てて家へ帰ったら、あいつ、随分面白い恰好で俺を待ってた。
わざわざ、寝室で。それも、薄明かりの中で。
あいつはお洒落が自慢で、当然家にいる時だって、田舎臭い恰好はしなかったから変だなって思ったけど、その時は気にも止めなかった。
俺は、急いでたんだ。
だから、話ってなんだよ、俺はすぐに戻らなきゃいけないんだって言ったら、薄笑いを浮かべて、あいつ、こう言ったんだ。
「あたしが、どうしてこんな恰好してるか判る?」
って。
…判らないって俺は答えたよ。
腹も立った。
そんなくだらない話をする為に、職場抜けてきたんじゃないんだって思って。
一一俺が怒ると、あいつ、もっと笑った。
「あのね…あたし、妊娠してるの…」
笑いながら、そう言った。
……俺達は、ずっと子供が出来なかったから、俺はちょっぴり嬉しかった。
ああ、あいつは、面白い恰好をしてるんじゃなくて、マタニティ・ドレスを着てるんだって思ったら、物凄く、あいつが可愛く見えた。
だから、俺は微笑んで、本当か?って聞いたんだよ…。
でも!でもね、刑事さん!
あいつ、次の瞬間、何言ったと思うよ、えっ?
「あら貴方、何で笑ってるの?もしかして、嬉しいの?」
って……。
何を…言われているか…判らなかった。
自分の子供が出来た事、喜んで何が悪いんだって、思うだろ?普通。
そしたらさ…そうしたら、りんの奴、俺に飛んでもない物を見せやがったんだ……。
うちの病院の、診断書だった。
そこには、患者名として、俺の名前が記入されてて…担当医は鳥居ってなってた。…俺は…無精子症だって…その紙切れは、診断してた………。
「判る?貴方の子じゃ、ないの。あたしのおなかの子。五ヵ月ですって。相手……知りたいでしょ。………貴方のお仲間の、鳥居先生よ」
…………はっきり……覚えてる…。
あいつは……そう…言った……。
あたし、浮気したのよ。そしてね、貴方の子じゃない子を身籠もったの……。
「それで、どうしたんだ?」
そこまで語って、大野は、ふっと黙った。
黙って話を聞いていた黒沢が、続きを促すと、暫くの間を置いて、再び彼は喋った。
「……それから…先は…あんまり、良く覚えて…ない…」
そう言って、焦点の合わない瞳で、ぼうっと正面を見据えながら。
一一うふふふふ……。
だったかも知れない。
一一あはははは……。
だったかも知れない。
…とにかく…返す…言葉もない俺を……あいつは……笑った………。
笑った……んだと…思う…。
何が…何だか…良く判らなくて……気が付いた時には…近くにあった花瓶が…あいつの頭の上に…転がってて…部屋中、血だらけで…俺も血だらけ……で…。
慌てて、家を飛び出した…。
鍵、は、閉めたんだと…思う。良く、覚えてない…。
血を付けちゃいけない、何処にも付けちゃいけない。
それだけを、考えてた。
それから…夢中で…病院に帰って…こっそりオペ室で、手と顔を洗って…。白衣を着たまま家に帰ったから…血の付いたそれを、使用済みで廃棄される手術着の中に…紛れ込ませて…鳥居の所に行った…。
鳥居の顔を見ても…夢の中にいるみたいな気がして…不思議と腹は立たなかった……。
朝になって、家政婦のおばさんに…今になって思えば、急に、家政婦のおばさんを雇うってあいつが言い出したのも…妊娠してたからかも知れないけど…りんの死体が発見されても、警察が来ても、鳥居は…俺が病院を空けた事を黙ってた。
俺にも、何も聞いてこなかった…。聴かれるのが怖くて…何してたんだって…だから、鳥居が俺の事、庇ってるんなら…黙ってようと、思った…。
俺が、悪いんじゃない。俺が悪いんじゃない…俺が悪いんじゃない!
全部…全部全部!りんがいけないんだ…。あんなに愛してやったのに、あんなに俺の事愛してたのに…どうして、浮気なんか?!
どうして、俺が知りもしなかった病気の事まで!
俺が悪いんじゃない…。
なあ!刑事さん!
……でも…鳥居の奴…きっと喋っちまったんだろ…。だから…俺を捕まえに来たんだろう?
…もう…逃げられないんだ…。もう…何もかも…お終いなんだ……。
だから…。
「認めます…。私が、妻を…殺しました…」
一一大野は、そう言って、机の上に顔を埋めて泣き崩れた。
事件は、解決した。 |