「…………でも、そうですね。そういうことを自分から言えるようになっただけ、進歩ですよね。アレンですもんね」
だが、やはり胸の内のみで、「手を結ぶって。抱き締めるって。その程度、旅の最中に何度もやったでしょうが。我を忘れて、ローレシアの女官長の前でも盛大にやらかしたことがあったでしょうが……」と垂れはしたものの、アーサーは、何とか這いずる風に起き上がった。
「……どういう意味だ」
「言葉通りの意味です。……アレンの『目標』が低過ぎるんですっ。僕達はもう、揃って二十歳越えてるんですよっ!? それこそ婚約者との逢瀬中の望みが、手を結びたいとか、抱き締めたいだなんて、何処の子供ですかっ!!」
「………………それは、だって」
「だって、じゃありませんっ! 状況がどんなに酷かろうと、それでも、触れ合い程度は当たり前に求めないと、ローザだって可哀想ですっっ。少しくらいなら、どんな相手の目だって誤摩化せるでしょう? アレンには雑作も無いでしょう? その、武人としての比類無い才と日々の弛まぬ努力を、そういう時にも生かして下さいっっ」
「……それとこれとは、話が別だろう……。……それに。誰の目も届いていないと確信出来れば、僕だって、些少は、と思うし…………。でも、その…………」
ズゾロォ……と、『腐った死体』さながらの態で身を擡げた途端、アーサーはギャンギャンと吠え立て、遠慮の欠片も無いことまで言われたアレンは唇を尖らせ拗ねたけれども、口籠って気拙そうに視線を逸らし、先程乱暴に放ったグラスを取り上げ直して、某かを思い煩っている風な目をしつつ、酒に逃げた。
「アレン。君のそういう所は、とっても判り易いです。……何か、理由があるんですね? だから、君自身も、ローザに触れるのを躊躇ってるんじゃありません?」
そんなアレンの態度は、アーサーに言わせればあからさまで、直ぐさま彼は、「本命の悩みは、こちらだな」と悟る。
「う…………。……うん。正しくは、ずっと思っていることがあって、その為にも、ローザに触れられるような機会を得たいのに、全く思う通りになってくれなくて……と言うか……」
「あ、成程。──例えば、ローザを抱き締めたりしながら伝えたい言葉、みたいなのがあるのに、臣下達の目が光ってる所為で、ってことですね? だから、そこから一歩も進めない、と」
「……うん」
故に、アーサーは一転、声音を常通りの穏やかなそれに戻し、アレンは長椅子の隅に縮こまりつつ、小さく頷いた。
「その、ずっと思っていること、と言うのは何です? ……と、訊いても?」
「…………呆れないか?」
「……多分」
「…………小言も言わない?」
「……た、ぶん」
「……………………その、な。……実は、その。未だ、ローザにきちんと求婚を告げていなくて……」
次いで、アレンは微かな溜息を吐き、アーサーに促されるまま打ち明けて、
「はい……?」
んーーー……? とアーサーは盛大に首を捻った。
現実に、アレンとローザは、正式なそれも交わし終えた、正真正銘、婚約者同士で、婚礼の日取りの打ち合わせすら始まっているのに、と。
「アレン? それ、どういう意味ですか?」
「…………成り行きの所為で、と言うと語弊だが、僕達は、想いを打ち明け合ったその日の内に、将来を見据えての手筈を整える為、色々としなくちゃならなかっただろう? 如何せん、時間が無かったし、お互いの立場もあったから。……だから、僕自身からローザ自身に、きちんとした求婚を申し込み直すより先に、双方の王室主導で話ばかりが進んでしまって、その部分が置き去りなんだ……」
「ああ、それで…………。ですけど。だったら、改めてすればいいだけですって」
「それをする隙が無いから、煮詰まってる」
すればアレンは、相当情けない顔になって、ボソリと垂れた。
「今更、そういう事情だから求婚の機会を設けて欲しい、なんて馬鹿は、爺やにだって言えないし、向こうにだって言えない。交わした婚約も儀礼に則った王家同士のそれで、私的な部分が入り込む余地なんか無かったから、個人としては論外だろう? だけど、この一年の間に彼女は即位しなくちゃならなかったし、僕も、成人の儀だの即位だのがあった所為でそれ処じゃなくて、最近になってやっと、時間が取れるようになったんだ。でも……」
「……まあ、確かに。アレンの言いたいことは判ります」
「……………………それに、な」
「…………それに?」
「………………求婚って。どうすればいいんだ……?」
「………………何を言ってるんですか、アレン」
本当にこれが、当代の勇者の一人で、即位して間もないローレシアの国王なのか、疑わしいまでにしょぼくれたアレンの言い分は、アーサーにはそれなりに理解出来たので、うんうん、と頷きつつ耳傾けたのに、最後に飛び出た一言に、彼は思い切り呆れ返る。
「ローザに似合う花束とか、指輪とか用意して、正妃になって頂きたい、とか、妻になって下さい、とか乞えば済むでしょうが」
「……そう、なのかな。そういう風でいいんだろうか…………。けど、指輪は婚約の日に正式な物を贈ってあって──」
「──それは、ローレシア王家から、ですよね? 僕の言ってる意味、判ります?」
「あー……。……ああ、判る。…………そうか。言われてみれば、そうだな」
「でしょう? そこまで悩む必要なんか無いです。それに。アレンにも、その際の理想のようなものはあるんでしょう? 思う通りにやってみればいいじゃないですか」
「うん、まあ……。……但、僕だって曲がりなりにも男だから、ローザに幻滅されたくない、と思うばかりで、具体的にどうしたらいいやら判らなくて、悩んでしまって……。彼女とて、その手の類いへの理想は『お伽噺のような』と言う感じだろうから、とも思うのだけど……。…………だから、一応……な。探りを入れてみたんだ」
「探り? ローザに?」
「いや、『経験者』達に。父上とか」
──だが、そんなこんなな内に、徐々に二人の会話は、『アーサーによる、アレンのお悩み解決相談』から逸れ始め、
「えっ。お父上にですか? 先王陛下、何て仰ってました?」
「…………それがー。父上と母上の婚前当時の事情を聞きたがった理由を打ち明ける訳にはいかなかった、僕も悪いのかも知れないんだが……、本気で今更ながらの惚気を聞かされる羽目になって……」
「……僕の父上から、少しだけ小耳に挟んだことがあるんですが。アレンのご両親は、それはそれは熱烈な恋愛を繰り広げられた果てに御成婚に至った、って噂。本当なんです……?」
「らしいな……。ついこの間まで、僕も知らなかったが。……如何に旅の扉を駆使して逢瀬に励んだだの、どんな手を使って城を抜け出しただの、若い頃の母上はどうで……だの、延々語られた。……齢五十も過ぎた親の惚気に耳を貸すのは、居た堪れない以外の何物でも無いと思い知った」
「………………。……えーと。先王陛下は、きっと、曾お祖父様に似たんですね。それ以外、僕には何も言えません」
「……あ。そうだ。アレフ様と言えば」
ローレシアってー……、とアーサーが、それまでとは違う意味での呆れの籠った遠い目をした直後、益々話は逸れてしまい。