─ Moonbrooke ─
目的地へ続く街道が終わり掛けたのは、日没後だった。
魔物に滅ぼされた都に日が暮れてから入るのは無謀以前だから、辛うじて見付けた木立の傍で野営を張り、日の出と共に、王都の門──否、王都の門だった瓦礫を二人は踏み越えた。
王都まで一里を切った辺りから、布で鼻を押さえなくては進めぬまで異臭は酷くなっていて、大地は腐っており、目にするもの全て、風景の全て、凄惨だったのに、進む度、それは増した。
何も彼もが焼け落ちていて、何も彼もが崩れていた。
堅牢な石壁、通りを埋めていた色煉瓦、水路に掛けられた彫刻を施された橋、家々、草木、動物、そして人。
……かつて、そう呼ばれた筈のモノが、炭と化し、骨と化し、至る所に転がっていた。
唯一の、救いにもならない救いは、腐乱した死体を見ずに済んだことくらいで。代わりに、白骨には嫌と言う程巡り合ったが。
旅立ちから約三月もの時を掛けて、漸く辿り着いた王城に至っては、その全てが極まっていた。
そこに残されていたのは、強襲を掛けた魔物の軍勢と、それを迎え撃ったムーンブルク国軍の戦いの跡ではなく、虐殺の痕だった。
アレンも、アーサーも、思わず目を覆った程の。
「アーサー? どうした、大丈夫か?」
片手で瞳を塞ぎ、立ち尽くしはしたものの、後から後から胃の臓より込み上げる酸を無理矢理飲み下し、気力を振り絞ってアレンは歩みを再開したが、アーサーは、王城の正門を潜っただけのそこに立ち竦んだままで、司祭となる夢を捨て難くしている彼に、この王都や王城の有様は、到底耐えられぬのかも知れないと、アレンは気遣う風に彼を振り返る。
「大丈夫……です。……その、覚悟はしていましたが……一寸、想像を遥かに超えていたと言うか……。どうしたらいいのか判らなくなってしまって…………」
「それは、僕もだ。何をどうしたらいいのか、何から始めればいいのか、判らない」
「アレンもですか……。……酷過ぎますもんね……。……酷い。本当に酷い…………」
肩越しに見遣ってきた彼へ、アーサーは、ともすれば薄笑いにも見え兼ねない歪んだ表情を見せながら、ぽつりぽつり、と。
「…………ああ」
「でも…………。……ああ、そうだ。いけない、うっかりしていました」
が、それでも何とか己を叱咤したらしい彼は、歪んだ表情を消し、荷物袋の中から取り出した聖水を、アレンと自分に振り掛けた。
「聖水なんか、何で」
「気休めのお守り代わりみたいなものです。城下でもそうでしたけれど、この城の中には尚多く、神の御許へ続く道を探せぬまま、彷徨い続けている魂の気配が漂ってます。そんな彷徨える魂に取り憑かれない為に。祟られたり、呪われたりすることもありますから、細やかでも魔除けはした方がいいです」
「そうなのか。……判った、有り難う」
「いいえ、どう致しまして」
こういう場所は、生きている者には良くない所だ、と語りながらのアーサーが、聖水を振り掛け終えるのを待って、二人は奥へと進む。
王城内にも生き物の影はなく、今、城を支配しているのは無音で、石積み部分以外の調度その他は悉く焼き払われていた為に探索のしようもなく、困り果てた二人は、探し当てた玉座の間に入ってみた。
玉座の間の有様も、そこに至るまでに覗いてみた部屋達と変わらぬ様だったけれども、この王都では初めて目にする蠢くモノがあり、
「魔物!?」
敵か、とアレンは剣を抜いた。
ゆらゆら、宙を漂うように蠢いているそれは、下位の火系魔法ギラが生む火の玉に能く似ており、気配は感じられぬが、魔術を操る魔物の類いが何処に潜んでいるのやも、と彼は身構えたが、
「……違いますよ」
ぽん、とアーサーは彼の肩を叩く。
「違う? いや、だって、あれはどう見ても」
「ものすごー……く唐突ですけど。アレンは、幽霊って視たことあります? 正直な話、神様とか信じてます?」
「え? …………いや、その……。僕は、その手の類いを視たことなどないし、信じてもいない。……そ、の…………神と言うのも、こう……信じ難いと言うか…………。…………御免……」
「別に謝る必要は無いですよ? 神を信じるも信じないも自由です。その人それぞれの考え方ですし、アレンは、そういう人だと思ってましたし。唯、一寸確かめたかっただけなんです。信仰を持たないだろうアレンにも、あれが視えているなら相当だな、と思って」
「あれ? 相当? どういう意味だ?」
「……あの火の玉。あれの正体は、彷徨える魂です。俗に言う人魂。普通、信仰のない人には視えない筈なんですけど、アレンにも、あれは視えてるでしょう? ってことは、相当、怨念なり、この世に残した未練なりが大きいってことになります」
唐突な問いから始まった説明に、きょとん、となったアレンへ、アーサーは眼前のそれの正体を教え、
「それだけ、怨念や未練が強いなら、倒した方が良くないだろうか」
それでも尚、アレンは剣で挑もうとした。
「やー……、剣で斬った処で、成仏も浄化もしないと思いますけどもー……」
「じゃあ、どうすればいい? 祟られたり呪われたりするかも知れないのだろう?」
「そうですねえ……。……じゃ、試してみましょうか」
放っておいたら人魂だろうと斬り裂き兼ねない彼を、無理だから、と留め、アーサーは一歩前へと進み出ると、何やら、祈りの言葉を紡ぎ始める。
玉座の間に響き続けた、アレンには聞き慣れない長い長い祈りの言葉は、やがて費え。
『…………儂、は…………ルク王……──世で……』
祈りの言葉と入れ替わるように、切れ切れの、けれど確かに人の物と判る声が聞こえた。
『…………は、ムーンブルク王…………────』
「ムーンブルク王……?」
「しっ。アレン、黙って」
『我が娘……は何処………………。我が──ローザ……呪い……────犬にされ…………──』
アーサーの祈りに導かれて、この世に残した未練を伝えんとする死者の声の全てを受け取ることは二人にも出来なかったが、揺らめくその霊魂の主は、ムーンブルク王らしいとは悟れ、
「今のは、ムーンブルク王……の遺言、のようなもの……と思っていいのか?」
「遺言と言うと、一寸違いますけど。でも、今の言葉……。能く聞き取れませんでしたけども、繋げると、『我が娘ローザは呪いで犬にされた』って感じでしたよね」
「僕にも、そう聞こえた。……なら、姫は生きていてくれるかも知れない」
「はい。少なくとも、姫に関しては希望が持てそうです」
魂の声が消えて直ぐ、二人は、力を取り戻して頷き合った。
ムーンブルク王の魂よりの訴えは、姫は魔物に殺された、ではなく、呪いで犬にされた、だったのだから、と。