─ Oasis ─
「すまない、ローザ……」
「いいの。気にしては駄目よ。──アレン。マンイーターと戦っていた時に、胞子を浴びてしまったのは覚えてる?」
「……ああ。でも、そこから先は……」
「貴方が最後に出した突きで、マンイーターは倒れたけれど、貴方も倒れてしまって。オアシスはもう直ぐそこだったから、アーサーと二人で貴方をここへ運んだの。でも、何時まで待っても目を覚まさないから、どうしてしまったのかしらと…………。念の為にと、ベホイミやキアリーも掛けてみたのに、全然駄目で……」
「そうか……。すまなかった、心配掛けて。有り難う。しかし……、僕はそんなに眠っていた……?」
「そうですよー。魔物が出す眠りの粉を浴びたり、技に掛かったりしても、普通は直ぐに目覚める筈なのに、アレン、ずっと眠ってたんです。もう、お昼過ぎちゃってるって、判ってます?」
それでも尚藻掻こうとした彼の肩を押さえて横たわらせ続けるローザの話に、詫びと礼を告げつつもアレンが首を傾げた時、何処からともなくやって来たアーサーが、既に午後だと言いながら、彼の額に、泉に浸した冷たい布を乗せた。
肌に触れた布地も、体温を確かめるべく額や頬を撫でていったアーサーの掌も、酷く心地好かった。
「昼過ぎ? あれは夜が明けて直ぐだった筈なのに」
「それだけの間、アレンが倒れてたってことです。──具合、どうですか? あ、誤魔化さずに、本当のこと言わなきゃ駄目ですよ」
「…………ええと。未だ、体が言うことを聞かないのと、頭を動かすと、少し眩暈がする……かな」
そんな、ほっとする心地好さに身を委ねつつも、もう具合は大丈夫だと言おうとしたのに、覆い被さる風に顔を覗き込んできたアーサーに機先を制されてしまい、渋々、アレンは正直に打ち明ける。
「ふーむ……。……多分、疲れが溜まっちゃってたんでしょうね。ローザのベホイミと、僕のキアリーを使いましたから、治癒も解毒も問題無い筈ですもん。但…………」
「……アーサー。さっき相談した通り、例のこと、今、言ってしまいましょうよ。ここは涼しいし、こうしてゆっくりもしていられるし、今なら、アレンも大人しく話を聞いてくれるんじゃないかしら」
「……それもそうですね。今のアレン、一寸弱ってますから、何が遭っても暴れないでしょうしねー」
「でしょ?」
と、アレンの容態を解説しながらも、アーサーは何故か口籠り、ローザは言い淀んだ彼を促して、うんうん、と頷き合うや否や、二人は。
「アレンは、ほんとー…………に馬鹿ですねー」
「大馬鹿よ、貴方」
ぽこぽこと、代わる代わる、漆黒色の髪に覆われた彼の頭を叩いた。
「……すまないが。まるで、人の話に全く耳を貸さない者のように言われる覚えも、二人に叩かれる覚えも、僕にはないぞ……」
痛くも痒くもない、殆ど真似事のような彼等よりの『鉄槌』だったが、アレンは、拗ねた風になる。
「あら。貴方は、大馬鹿なだけじゃなくて、嘘吐きでもあるのかしら?」
「駄目ですよ、アレン。嘘言っちゃ」
けれども、ローザもアーサーも、ツン、とそっぽを向いた。
「風の塔に行く途中で。三人一緒で頑張らなきゃ、先には進めない。だから、自分だけで負わないで、って、私、言わなかったかしら?」
「僕も、僕達は旅の仲間なんですから、戦いでも皆で協力し合いましょう、って言いましたけど。忘れちゃいました?」
「………………御免。言われている意味が判らない」
「……あのね、アレン。実を言うと、毒の沼地でラーの鏡を探してた時に、僕、見ちゃったんです。真夜中に、アレンが一人きりで何かと戦ってた処を」
「私もなの。私は、王都の北の山の麓を辿っていた時だったけれど。……きっと、王都を見てしまったからね。あの頃は、上手く寝付けない夜が続いてしまって、一度、どうせ眠れないのなら、見張りで起きている貴方とお喋りでもしようかと思った時があったの。それで、起きようとしたら、貴方はいきなり何処かに行ってしまって。何をしているのかと思ったけれど、遠くから、何かに剣がぶつかるような音が聞こえたから、貴方が戦っていることだけは判ったのね。でも、ならどうして、私達を起こさないのかしら、って思って……」
「だから、ローザも僕も、長い間、アレンはどうして、って自分だけで考え込んでたんですけど、西の祠に泊めて頂いた夜に、思い切ってローザに話してみたんです。そしたら、ローザも僕と同じこと考えてたって判って。その内に、アレンの隠し事、白状させようって決めたんです」
真似事と言えど、自分達に殴られて然るべき理由があるのだ、と言う二人を見比べ、今度は首傾げたアレンに、アーサーも、ローザも、彼の『隠し事』を知っている、と。
「…………アレン。君は、僕達に何を隠してるんです?」
「貴方が何と戦っているのか、隠さないで教えて頂戴」
「それ、は………………。……それは、言えない。言いたくない」
だが、いい加減に秘密を打ち明けろ、と詰め寄られても、アレンは眼差しを伏せるだけだった。
「うーーん、強情。……なら、もっと言っちゃいますよ。──リリザの宿で会った時、アレン、僕に魔物が討てるかどうか、尋ねてきましたよね。で、嫌だろうが何だろうが、この先は魔物と戦うって僕が答えたら、『魔物だけなら』って、口滑らせましたよね。……あの時から、僕、思ってたんです。あの言葉の意味は、裏返せば、魔物以外が相手だったらどうなのか、ってことで、そんな呟きを思わず洩らしたアレンは、身を以て、『魔物以外が相手の場合』を知ってるんじゃないか、って。…………違いますか、アレン?」
「……だから。言えない…………」
「駄目よ。リリザの宿での話をアーサーに教えて貰った時、私も思ったの。私達の想像通りなら──想像通りの相手と、貴方が一人で戦い続けてるなら、放っておいちゃいけない、って。……それにね。今は到底叶わなくても、何時か、私達がハーゴンの許に辿り着けたとして。……そうなっても、彼が『魔物以外の相手』だったとしても、アレンは、私達には手を出すな、と言うつもり? ハーゴンの正体なんて、今は誰にも判らないのよ。人なのか、魔物なのか、それすら」
「大体。僕達の面倒見た挙げ句、一人だけで夜中見張りに立って、僕達には内緒にしたまま『内緒の敵』と戦い続けるなんて、どーしよーもなく自分にだけ負担の掛かることばっかりしてるから、マンイーターの胞子浴びただけで、半日も倒れちゃうくらいの疲れが溜まっちゃうんです」
「でも! それでも、僕は……。…………あ……」
しかし、更に二人は言葉を重ねてアレンを追い詰め、こればかりは、と思わず起き上がり掛けた彼は、途端起こった強い眩暈に負け、再び、ローザの膝枕に沈む。
「急に起き上がっては駄目だと言ったでしょうに……」
「あああ、もー……。大丈夫です?」
故に、彼の頭上より注がれ続けた『説教』は一時中断され、ローザは寝易いように彼を横たえ直し、アーサーは、ずり落ちた濡れた布地を彼の額に乗せ直し、
「……すまない…………」
右手の甲で両目を覆い、アレンは溜息を吐いた。
「…………もう、隠しても意味が無いんだろうな……。…………ああ。僕は、『魔物以外の相手』と戦ってた。二度目にリリザに向かう途中……、未だアーサーと行き会う前に初めて出会して、僕は…………僕は、『魔物以外の相手』──人を殺した。あれからも、ずっと。僕は、人を殺してきた。……初めての時は、人だなんて思わなかった。魔物だと思ってた。だから倒せた。でも、違った。……それは、思い違いが生んだ過ちだったけれど。……けれど…………。────…………誰に何と言われても。身勝手だろうと我が儘だろうと偽善だろうと。僕の自己満足でしかなかろうと。僕は、僕がしたような想いを、アーサーとローザにはして欲しくない。僕みたいな気持ちを、二人には味わって欲しくない。だから、彼等とは僕一人で戦う。これだけは、絶対に譲らない。僕はもう、人殺しだから」
────最早、覆い隠してみても詮無い。
……そう悟り、これまでの『秘密』を端的に打ち明けはしたものの、『魔物以外の相手』との対峙は己のみで果たすと、碧眼を覆ったまま、彼は言った。
己はもう、人殺しだから。
人殺しは、己のみだから、と。