─ Zahan ─

その後。

話は判ったし、『勇者ロトの時代版・復刻ルーラ』を使役しても問題無いなら、それはそれで良いけれど、なら一緒に行く、とアレンもローザも告げたが、アーサーは、一人で充分だ、と言い張った。

荷を渡しに行くだけのことを、三人総出でやらなくてもいい、ルーラを使えば一刻と掛からず往復出来るし、積み荷と複数人を同時に転移させる自信は未だ無いから、とも言われてしまった為、魔術とも魔力とも縁のないアレンは固より、どうしても精霊達とルーラの契約が結べないローザも、判った、と頷くより他なくなり、渋々二人は、積み上げた荷箱に乗り上げつつルーラを唱えたアーサーを見送った。

「ああは言っていたけれど、一人で大丈夫なのかしら」

「ルプガナの市門を潜った先に契約印を結んでおいたと言っていたから、魔物に出会すことはない筈だ。平気…………だと思う」

「でも、アーサーってば暢気者よ?」

「それは、その……。あー……。け、けど、彼は聡いし、魔術の使役も出来るのだから、きっと大丈夫。今更追い掛けようもないし、アーサーの好きにさせてやるのがいいんだと思う。──それよりも。村に行ってみないか。彼が戻って来るまでに、下見くらいは済ませておこう」

「…………アレン。貴方は貴方で、時々、私やアーサーを無条件で甘やかす人ね」

「甘やかす? 僕が? 何時?」

酷く心配気にアーサーが消えたそこを見遣りながらも、信頼してるから、と笑みつつ、当然のように己へと手を差し出してきたアレンに上目遣いをやって、ローザは軽い溜息を吐き、発言の意味が解せない、とアレンは微妙な悩み顔になる。

「自覚もないのね……。……まあ、いいわ。行きましょう。村の下見をするのでしょう?」

「あ、ああ」

そんな彼を再び眺め上げ、再度、溜息を吐いたローザは、自らアレンの腕を引っ張って、港を出、ザハンの村へ向かった。

村を守る高い壁も、村の入り口を示す門もない、言ってみれば『開けっ広げ』だったザハンは、船乗り達に曰く『漁師村』なのに、見掛けるのは女性ばかりだった。

老人から子供に至るまで悉く女性で、一種異様な光景と言えたが、理由は直ぐに知れた。

その様に、アレンもローザも、あからさまに不思議そうな顔をしてしまっていたのだろう、恐らく住民全てが顔見知りな狭い村に突如現れた異国者を見るなり、物珍しそうに近付いて来た子供達や、興味津々な風に話し掛けてきた女衆が、二人が何も言い出さぬ内に、「今、島の男達は総出で漁に出ているから、女しかいないんだよ」と教えてくれたので。

長閑のどかなだけの島かと思っていたけれど。色々と大変なんだな」

「そうね。でも、この島の女性は、皆、良い意味で逞しそう。彼女達を見ていると、夫の留守を守る妻の在り方と言うのが、学べる気がするわ」

遠洋での漁は常に危険を伴うそれだが、高値で売れる魚や甲殻類の収穫が確実に見込め、島の者達は、年間収入の三分の二を遠洋にての漁で稼いでいるのだ、とも、お喋り好きな奥方達は教えてくれて、そういう事情でなのか、と改めて村を見て回った二人は、忙しそうに立ち働きつつも朗らかに笑う島の女性達を眺め、少々感慨深気になり、

「……ん?」

「あら」

何処にでも、学べることは転がっているものだ、と語り合いながらの二人が、商店らしい商店は道具屋のみだった小さな村の奥へと進み掛けた時、茂みから飛び出して来た一匹の大きな犬が、アレンに向かって吠え掛けた。

と言っても、彼の何やらに怒って、とか、威嚇で、と言う様子はなく、何かを訴えているような鳴き方で、構って欲しいのかも、と膝付いたアレンは犬の頭を撫で始め、『嫌なこと』を思い出してしまったらしいローザは、若干眉を顰める。

「どうした? 首輪をしてるのだから、お前には主がいるんだろう?」

己の真後ろで、彼女が、「犬は未だ一寸……」と顔強張らせているのにも気付かず、わしわしわしわし、アレンが頭を撫でてやれば、薄茶の毛並の大きな犬は、嬉しそうに千切れんばかりに尻尾を振って、が、彼の服の袖口を噛んで引っ張り、何処へと連れて行きたそうな素振りを見せた。

「一緒に来い……って言いたいのか?」

かなり懸命な犬の様に、まあ、後を付いて行ってみれば判るか、と立ち上がった彼は、のんびり調子で駆け出した犬の後を追い始めたが。

「犬、好きなのね」

「以前、アーサーにも同じことを訊かれたけれど、犬が、と言う訳じゃなく、犬でも猫でも────。……その、すまない。御免」

「いいのよ。貴方が悪いのではないし、犬に罪があるのでもないわ」

ローザの気乗りなさそうな面や足取りや問いに、「そうだった、犬は……」と漸く思い至ったアレンは、ばつ悪そうに視線を逸らし、故にローザは、一寸だけの苦笑を浮かべ。そうこうする内に、二人は、村の最も奥にひっそりと建つ、礼拝堂の入り口に辿り着いた。

それは、海での漁を生業とする者達とその家族のみが暮らす小さな島には、不釣り合いと言えるまでに大きくて立派な、荘厳さを漂わせる礼拝堂で、余りの違和感に、アレンとローザは戸惑う。

「どうして、こんな立派な礼拝堂があるのかしら。申し訳ない言い方だけれど、この村に、これだけの物を建てられる財力があるとは思えないわ」

「そうだな。それなりには古い物みたいだが、絶海の孤島だし……」

────何方? この礼拝堂に、何か御用でしょうか」

有り得ない、けれど事実目の前に存在する礼拝堂を見上げ、二人が訝しんでいた間も、そこへと彼等を連れて来た犬は中へ向かって吠え続けていて、高い鳴き声を聞き付けたらしい尼僧が、礼拝堂より出て来た。

姿を見るなり、嬉しそうに飛び付いて戯れる犬を片手であやしながら話し掛けてきた、淑やかそうな痩身の彼女の出で立ちに、二人は益々戸惑いを深める。

尼僧の被る頭巾の中央に刺繍されていたのが、精霊ルビスを崇める者達の表装でなく、ロトの紋章だったが為に。

その白い縫い取りを視界の端に置きつつ、改めて礼拝堂を見てみれば、礼拝堂は礼拝堂に違いないが、精霊の為のそれとは様式を違えているのも悟れ、

「尼僧殿。こちらの礼拝堂は──

──お言葉の途中、失礼ですが。もしや貴方様は、ローレシアの王太子殿下であらせられますか?」

疑問を素直にぶつけようとしたアレンの声を遮って、尼僧は、徐に告げた。

「え…………。……あ、ああ。私は、ローレシア王国王太子、アレン・ロト・ローレシア。だが、何故そのことを? 尼僧殿と私は、初対面の筈だが」

「御尊顔を拝すれば、一目で。──では、殿下。お受け取り下さい」

絶海の孤島の礼拝堂にひっそりと住まっているらしい尼僧が、何故、己を知っているのかと、又もや戸惑うアレンを他所に、顔を見れば判る、とコロコロと笑った彼女は、あやしていた犬の首輪の裏側を探り、取り出した、何処となく古めかしい金色の鍵を、彼へと手渡した。

「………………? 尼僧殿、これは……」

「え? 殿下が、このザハンまで足をお運びになられたのは、その鍵『達』の為では?」

「いや。船が嵐に遭ったので、避難の為に。こちらを訪れたのも、その犬に連れられて。……兎に角、何も彼もが偶然だ」

「……そうでしたか。ですが、『今はせめて』、その鍵『だけ』でもお持ち下さい」

「は? ……しかし、受け取る謂れがない。それに、この鍵は、その犬の飼い主の物だろうに」

「いいえ。──この犬は、タシスンさんと言う方の家の飼い犬なのです。彼の家は、この島で最も古く、ローレシア王家の何方かが受け取りに来られる日まで、その鍵を守る役を任された家でもあります。……きっと、この犬は、タシスンさんがご自宅に飾られていたアレフ様の絵姿を、覚えていたのでしょう。賢い子ですから。それで、アレフ様に能く似ておられる殿下を、ここまでお連れしたのでしょう」

「……いや、だから。そういう話が聞きたい訳ではなくて。と言うか、どういうことだ? ローレシア王家に、勇者アレフ?」

「殿下が何もご存じない以上、私には、その鍵に関する仔細は語れません。お父上──ローレシア国王陛下にお尋ね下さいませ。────では、失礼致します」

何で、訳も判らぬのにこんな鍵を託されなくてはならないんだ、とアレンは思わず顔顰め、様々、尼僧に尋ねたが、彼女は謎めいたことのみを告げると、くるりと踵を返し、犬を連れ、礼拝堂の中へ消えた。