─ Lorasia〜Samaltria ─
もしかしたら、湿っぽいことを言われたり、されたりするのでは、との想像もしていたのに、今からサマルトリアに向けてローレシアを発つ、と言う段になっても、父王の態度も宰相の態度も、極々普通のままだった。
故に一瞬、アレンは拍子抜けしたような心地になったが、『自信』が持てぬまま、『曖昧』な想いのまま、夢のように遠い存在目指して旅立っても、必ず生きて帰って来る、との己の言葉を、二人共に信じてくれているからこその態度なのだろう、と気付き、だから、アレンも又、玉座の間にて、これより発つ旨のみを父王と宰相へ告げ、「そんなにあっさりでいいの?」と言いたげな顔付きになったアーサーとローザを促し、港に向かう馬車に乗り込んで、ローレシア王都を後にした。
ローレシア王や宰相とは違い、王城の正門にて三人を乗せた馬車を盛大に見送った兵士達のように、港で待ち構えていた海兵達も、再び旅立つ彼等を壮行会さながらの勢いで見送ってくれて、只でさえ居た堪れなかった乗船が、余計に居た堪れなくなってしまったけれども。だからと言って俯いてはいられぬと、前を向き船に戻った三人は、取る物も取り敢えず船長室へ向かった。
ローレシアへ着く直前まで、アレン坊だの、アー坊だの、ローザ嬢ちゃんだのと、気軽に呼び、雑用を頼むことも少なくなかった彼等が、ロト三国の王子王女だと知ってしまった船長達の態度は、酷く固く、余所余所しく、又、戸惑いに満たされていたが、自分達の出自を打ち明けなかったのは悪意があってではないこと、船の皆には『一介の少年少女』として接して貰いたく、敢えて身分を隠したこと、親しみを込めて呼んで貰えて、『当たり前に扱って』貰えて、嬉しくて、余計に打ち明けられなくなり、事実を語る勇気も持てなかったことを、アレン達が頭を下げつつ誠心誠意語ったら、船長も、詫びて歩いた船員達も、彼等の気持ちを汲んでくれ、自分達のような者に粗雑に扱われるのが嬉しかったなんて、王族は王族なりに大変なんだな、と却って彼等に同情したばかりか、三人の旅の本当の目的を知った直後には、「だと言うなら、船で行ける場所である限り、自分達が何処にでも連れて行ってやる」と寧ろ盛り上がって、以前以上に親密且つ暑苦しい態度を取り始めたので、三人と水夫達の仲も壊れることなく、彼等を乗せた船は、リリザの街目指してローレシア港を出航し。
ローレシアから事前に報せを出しておいたので、今度は何の騒ぎも起こすことなくリリザ近郊の港に碇泊した船を降りた三人は、リリザ経由でサマルトリア王都へ向かった。
その界隈に出没する魔物達程度では、既に彼等の相手にもならなくなっていたので、予定通りに到着出来たサマルトリア王都の大門前には、城より遣わされた馬車が三人を待っており、彼等が『彼等』と知れたら騒ぎが起こり兼ねない往来を徒歩で行くことなく、王城入りも果たせた。
尤も、ローレシアでの折同様、三人が城内に踏み込んだ途端、アーサーを中心とした騒ぎは起きたし、揃って女官達の『玩具』にもされたし、サマルトリア王に謁見したらしたで、久し振りに息子の無事な姿を確かめられて機嫌を良くしたアーサーの父王に延々と様々を語られたり、彼の妹姫のリリアーナに、お茶の席を共にして欲しい、とねだられたりもして、更にはアレンとローザが、アーサーとて、父王や妹姫と積もる話がしたいだろう、と彼に一寸した気を遣ったので、サマルトリア王都に着いた当日は、到着が夕刻近かった所為もあってか、そんなこんなな内に終わってしまい。
翌日、午前。
三人は、サマルトリア王に改めての許可を取ってより、王城の一画にある、ロトの盾が安置されていると言う部屋に立ち入った。
サマルトリア王国初代国王──勇者アレフの次男の代から国政に携わっていたと言う、齢が幾つなのかも判らない長老に案内され踏み込んだその部屋は、ロトの盾を護る為だけに存在する本当に小さな部屋で、安置されていたのは、宝箱と言うには大き過ぎる、いっそ長持と言われた方が未だ納得出来る寸法の、金属製の箱のみだった。
石床に直接固定されているらしい分厚い箱の、やはり金属で出来た大きな留め金部分には、鍵代わりのロトの印を嵌め込む窪みがあって、携えてきたロトの印を手に、アレンは箱の前に片膝を付く。
少々だけ緊張しながら、彼が、そ……っと留め金の窪みにロトの印を嵌め込めば、ギ……と、鉄の擦れる音がして、箱の蓋がずれた。
「さあ。お開けなされ」
小部屋の扉の鍵も開けてくれた長老に促され、アレンは箱の蓋に手を掛け。
──彼をしても、片手では持ち上げられなかった箱の蓋が大きく開かれた刹那。
彼等の目に、淡く輝く青い光が飛び込んできた。
青鍛鋼と呼ばれる、真に希有な金属が放つ、淡い淡い光が。
「これが、ロトの…………」
勇者ロトと共に大魔王ゾーマを倒し、勇者アレフと共に竜王を倒した、正真正銘『武具』であるのに、思わず、美しい、と洩らしそうになった、ロトの印の表面と全く同一の文様が刻まれたロトの盾に、僅かだけ見惚れて後
盾に触れる寸前で、彼の手は、躊躇いを覚えた風に止まった。
…………かつて、二人の勇者が手にした盾。
アレフの子供達ですら、第一子以外は『拒絶』したそれ。
そんな盾に、果たして己は触れられるのかと、彼は逡巡した。
もしも、触れることすら赦されなかったら……、と。
けれども、その時。
躊躇う彼の右肩にローザの手が、左肩にアーサーの手が、静かに乗った。
それぞれの手は、無言の促しでもあり、励ましでもあり。まるで突かれた風に、彼はロトの盾に両手を添えた。
「……えっ?」
────そうして漸う取った伝説の盾は、有り得ぬ程に軽かった。
鋼の一種が素材であるなどと、到底信じられぬまでに。
「アレン? どうしたんです?」
「何? アレン」
「軽いんだ。余りにも軽くて、驚いた…………」
「軽い? そんなに大振りの盾なのにですか?」
「本当だったら。ほら」
勢い余り、投げ飛ばしそうになってしまったロトの盾を、慌てて胸許に引き寄せながら驚きの理由を語ったら、本当ですかぁ? とアーサーが疑わしそうな顔をしたので、アレンは、ひょい、と彼へロトの盾を手渡す。
「うわっ! アレンの嘘吐き! すっごく重たいですよ、これ」
「アーサーの言う通りだわ。こんなに重たい盾、持てる人は殆どいないんじゃないかしら。私が女だからとかではなくて」
しかし、アーサーは両手で受け取った盾を支え切れず、興味を惹かれたのか、高い音立てて石床に落ちたそれを持ち上げようとしたローザも、顔を顰めた。
「冗談だろう? ──ほら」
だから、嘘じゃない、とアレンは、片手のみで無造作に盾を取り上げてみせる。
「薄々想像していたのだけれど、私達のお祖父様やお祖母様達がそうだったように、ロトの武具は、ローレシア王家の直系でなければ扱えないのではないかしら」
「理由は判りませんけれど、多分」
今にも振り回しそうに軽々とロトの盾を扱うアレンを見遣り、顔見合わせたローザとアーサーは、きっと、そういうことだ、と納得した風に頷き合った。
「そう……なのかな」
「それしか、説明のしようがないんじゃないかなあ、と。それに、だからって別に問題ありませんしね。盾にせよ兜にせよ鎧によ、ローザと僕には扱える限界がありますもの」
「そうよ。ロトの武具でもそうじゃなくても、重装備はアレンしか出来ないのだから、最初から、これは貴方の物と決まっていたようなものじゃない。深く考える必要は無いと思うのだけれど?」
「確かに。その辺は、軽く流しましょう。考えても始まりませんしねー。第一、僕達の切り込み隊長はアレンなんですから、アレンがロトの武具を使わないでどうするんですか」
「余り考え込むと、又、胃の臓が痛くなるわよ、アレン」
自分には頼りなく感ずるくらい軽く扱えるロトの盾が、二人には、持ち上げることすら叶わぬのだ、と知ると同時に、アーサーにもローザにも、『ロトの盾そのもの』にも、咄嗟に『引け目』を覚えてしまったアレンは、この先、ロトの武具を己が物とするのを躊躇したが、「何を悩んでいるのやら」と、二人に呆れられ、そして責っ付かれ。恐る恐る、ロトの盾に、己が左腕を通した。