昨夜は誰も使わなかった、残り二台の寝台の一つを椅子代わりにして腰下ろし、アレンとローザは、暫しの間アーサーの目覚めを待ってみたが、一向に、彼はその気配を見せなかった。
宿が供してくれる朝食の時間が終わる頃になっても眠ったままで、もしかしたら、アーサーは自分達の想像よりも具合が悪いのかも知れない、と不安になった二人は、未使用だった寝台に彼を横たえ直してから部屋を出、ローザは三人分の食事を客室まで運んで貰う手配をしに行き、アレンは医師を呼びに街に出た。
宿の主人に教えて貰った家を訪ね、病人が出たので診て欲しい、と頼み込んだ医師を連れたアレンが宿に戻れば、部屋ではローザだけでなく、何やら朝から忙しなくしている彼等に気付いた例のローレシア兵や、滞在客から病人が? と困ったような顔した宿の女将も待ち構えていて、診て貰いさえすれば回復するだろうから、と一同を宥めたアレンも、膨れ上がりつつある胸騒ぎを抑えながら、医師とアーサーの二人を見守った。
「…………これは、医者にどうにか出来ることではありません」
「え……?」
「あの……、それは…………」
「この方は、病に罹っているのではなく、何かに呪われているとしか思えません」
だけれども、アーサーを診始めて直ぐ、医師は、彼は病に倒れたのではなく、何らかの呪詛を受けたのだと思う、と顔を曇らせつつ告げ、
「呪い……?」
「呪い、って…………」
「アレン様。私が教会に行って参ります。ならば、神父様に呪いを祓って頂きましょう」
医師の言葉が終わるや否や、アレンとローザは息を飲んで、二人の後ろに控えていたローレシア兵は、教会へと、身を翻して出て行った。
それから幾許かが経った頃、ローレシア兵の彼が、ベラヌール教会の神父を連れて宿に戻って来た。
アレン達の為にと、かなり急いだのだろう彼は、歳老い始めた神父も大分急かさせたようで、息を切らせた神父を背に負っていた。
「神父様、宜しくお願い致します!」
「え……。あ、ああ……。はい…………。ですが、一寸だけ待って頂けますか…………」
よいしょ、と軽い掛け声と共に背中の神父を下ろした兵は、能く通り過ぎる声で、簡単な事情は伝えたのだろう神父に一礼し、ぜいぜいと、その場にへたり込みそうになりながら息を整えた中老の神父は、蹌踉けつつ、時が経つに連れ、傍目にもはっきりと判るまでに顔の色を褪せさせ始めたアーサーの枕辺に立つ。
「……これ、は…………」
「…………神父殿。何か……?」
「確かに、先程そちらの方が仰っておられたように、この方は、呪いを受けてしまわれている。が……、この呪いは、私には──いえ、司祭であろうと神官であろうと、祓えぬ程に深く強い。この方を呪っているのは、余程邪悪な存在なのでしょう。恐ろしい、としか言えない…………」
だが、中老の神父も又、始めにアーサーを診た医師のように、彼を一目見るなり、無念そうに首を横に振った。
「そんな……! 神父様、お願いです、呪詛祓いだけでもして頂けませんか。このままではアーサーが!」
「何とか……、何とかなりませんか、神父殿」
「そう……ですね。では、出来るだけのことは…………」
お役に立てずに申し訳ない、と項垂れた神父に、ローザとアレンは詰め寄り、ならば、と彼は微かに頷いて、アーサーへ手を翳した。
四人部屋ではあるが決して広いとは言えないその客室に集った一同が見守る中、神父は呪詛を祓う為の祈りの言葉を紡ぎ、多少は功を奏したのだろう、直後、アーサーは薄らと瞼を開く。
「……! アーサー!」
「アーサー! 気付いたの!?」
「アレン……? ローザも…………。……御免なさい、心配掛けて……」
「そんなことはどうだっていい! 大丈夫なのか!? 具合は? 気分は!?」
「………………か……体が、動かないんです……。僕は、今まで眠っていたのではなくて、起きてはいたんですよ……。でも……、動くことも喋ることも出来なくて……。お医者様の話も……今の神父様の話も、全部聞こえてはいたんです……。……アレン。僕に呪いを掛けているのは、恐らくハーゴンです…………。でなきゃ、こんな風には…………」
「ハーゴン!? ハーゴンが、何で!?」
「判りません……。でも、こんなに強い呪いは、そうとしか…………」
その間も顔色を蒼褪めさせていく一方のアーサーは、彷徨わせた目でアレンとローザを見詰め、呪詛を仕掛けてきた相手はハーゴンだと思う、と弱々しい声で告げた。
「ハーゴン……」
「ええ……。……ですけど、呪われたのが僕一人で良かったです……。アレンとローザが無事なら、旅だって、何とか……」
「……アーサー……? 何を言って……」
「…………アレン。ローザ。多分、僕は、もう駄目です……。お願いです、僕に構わず、二人は行って下さい……。……うっ…………」
そうして、一度大きく息を吐いた彼は、もう助からないだろう己などは放り出して、旅の続きに出ろ、とアレンとローザへ向け微かに微笑み、
「アーサー! 貴方、何を言い出すのっ!」
「ふざけたことを言うな、アーサーっ! ……何とかする。きっと、何とか出来る! だから……っ!!」
目を見開いたローザとアレンは、怒鳴り声を上げながらアーサーを睨んだ。
「で、でも…………」
「『でも』じゃない! 絶対に、何とかするっ!!」
「そうよ……。私に掛けられた呪いだって、二人が解いてくれたじゃない。アーサー、貴方に掛けられた呪いだって、何とか出来る筈だわ。きっと、何とか…………。……だから、お願い。それまで頑張って。諦めないで……っ!」
「………………はい。判りました、アレン。ローザ。諦めません……」
勢い神父を押し退け、彼の枕元に並んだアレンとローザは身を乗り出し叫び、もう一度、アーサーは薄く微笑む。
「……アレン様。アーサー様には、私が付き添います。ですから、アレン様とローザ様は、ハーゴンの呪いを解く術を得に向かわれて下さい」
「このお客さんの面倒なら、うちでも見るよ。ちゃんと預かるから安心しとくれ」
黙って話を聞いていたローレシア兵も、最初は困り顔をしていた宿の女将も、協力を申し出てくれ、
「有り難う。……すまないが、アーサーを頼む。僕とローザは直ぐに発つ。戻るまで数日は掛かるかも知れないが、それまで、彼を。──行こう、ローザ」
「ええ。──アーサー、待っていて」
大急ぎで荷物を纏めると、アレンとローザは、アーサーと後の全てをローレシア兵や宿の者達に託し、部屋を飛び出して行った。
宿から駆け出したアレンが真っ先に目指したのは何故か道具屋で、ローザの手を引きつつ街の人混みを縫った彼は、次に礼拝堂に向かった。
「アレン? 貴方、何を?」
「…………ローザ。昨日の、アーサーの話を憶えてるだろう?」
「昨日……? …………あ、世界樹!」
「ああ。……賭けかも知れない。いや、賭けなんだと思う。僕達は、『世界樹はベラヌールからずっと東の海に浮かぶ孤島に今でも生えている』と言う、アーサーが司祭殿達から聞き出した話しか知らないし、それだって、この辺りの伝承が出所だ。…………でも、それに賭けてみるしかないと思う。伝説通り、世界樹の葉が、死に瀕した者を必ず救ってくれる霊薬そのもので、命に関わる呪いや祟りを打ち消す力も持っているなら。世界樹の葉さえ手に入れられれば、アーサーを助けられる。ハーゴンの呪いだろうと、必ず解ける」
「……………………判ったわ。……そうね。世界樹の島を探しに行きましょう。きっと、それしか手がないって、私も思うの……」
「……ローザ。頼むから、そんな、今にも泣き出しそうな顔をしないでくれ。…………大丈夫。アーサーに掛けられた呪いは解いてみせる。世界樹の葉だって、手に入れてみせる。だから……」
「ええ…………。……御免なさい、アレン。私達がしっかりしなくちゃね」
「ああ」
道具屋でキメラの翼を買い求め、礼拝堂で帰還術の為の契約印を結び、とするアレンがしようとしているのは、世界樹の生える島を探しに行く為の支度だと知り、一瞬、ローザは考え込む風になったが、彼女も、世界樹の葉に賭ける覚悟を決め、しっかりと頷いてみせた。