─ Zahan〜World Tree ─
更にその二日後。
アレン達の外洋船がザハンに入港した。
予想よりも格段に早く完全な復調を遂げたアーサーも交え、揃って船を出迎えた三人の姿に、水夫達は心から喜んでくれ、アーサーを取り囲み、「無事で良かった!」と言いつつ、がしがしと遠慮無く彼の頭を撫で倒し、揉みくちゃにさえした。
船乗り達の荒っぽい祝いを受け、線の細いアーサーは、あっちこっちに蹌踉めいていたけれど、足をふらつかせながらも嬉しそうにしている彼と、彼を取り巻いた水夫達の様に、アレンとローザも我がことのように嬉しさを噛み締め、次いで、癖が強い所為で只でさえ跳ねがちな髪を、水夫達に一層逆立てられてしまった彼を二人してからかって。
──翌日。
半月分程度の水や食料を補給し終え、礼拝堂の尼僧から引き渡された聖なる織り機も積んだ外洋船に乗り込んだアレン達三人は、ザハンを発った。
わざわざ港まで見送りに来てくれた尼僧との別れは、何処かあっさりだったけれども、別れ際、尼僧は、もしかしたらハーゴン討伐の旅の助けになるかも知れないと、勇者アレフに関わる伝承ではないが、ザハンにて古くから語り継がれている言い伝えを教えてくれた。
────月の欠片が星空を照らす時、海の水が満ちる。
……彼女が語った言い伝えは、そんな風な、甚く短くて謎めいたものだったが、月の欠片とは、海の何処かにある、珊瑚に囲まれた洞窟に入る為に必要な物だとは言われている、とも彼女は教えてくれ、
「月の欠片とやらがなければ入れない、珊瑚に囲まれた洞窟、か。……何かあるのかな」
「どうでしょう。一寸興味を惹かれる言い伝えではありますけど」
「でも今は、そのことは覚えておく程度にした方がいいんじゃないかしら? 月の欠片が何なのかも、何処にあるのかも判らないのだもの。洞窟だって、海の何処かにある、と言うだけでは、どうしようもないわ」
「…………それもそうだな」
「ですねー……」
波を掻き分け出した船に揺られながら、仕入れたばかりの言い伝えに付いて語り合った三人は、一先ずは無視しようと、月の欠片に纏わる伝承を頭の中から追い出した。
ザハンにて外洋船に積み込まれた荷が、聖なる織り機を除けば半月分の水と食料のみだった理由は、もう一度、世界樹の島を目指す為だった。
一番、世界樹を探しに行きたがっていたのも、世界樹の許を訪れたがっていたのもアーサーで、が、彼は、ベラヌールでの出来事の所為でそれを叶えられなかったから、「万が一に備えて、もう一度世界樹の葉を見付けに行こう」の合い言葉を建前に、アレンは再度、世界樹の島を訪れようと決めた。
……彼は、アーサーに見せてやりたかったのだ。
世界樹も、世界樹が正しく君臨している彼の島も。
きっと、アーサーは喜んでくれるだろう、と思って。
だから、そもそもから物資に乏しいザハンでの補給は簡単に済ませ、件の島を訪れアーサーに世界樹を見せてやって、建前通り、もう一度世界樹の葉を手に入れたら、余り立ち寄りたくはないがデルコンダルに寄港し補給をし直して、次の行き先の検討もしよう、ともアレンは考えていた。
「うわぁ…………。ここが世界樹の島で、あれが世界樹ですか……」
────彼のそんな思惑に従い海を行った船は、四日程度の順調な航海を続け、再び世界樹の島を取り巻く浅瀬近くに辿り着き、小舟での上陸を果たした島に立つや否や、天を見上げたアーサーは、ぽかん、と口を開いた。
「ああ。船長達は、ロンダルキアの直ぐ傍に、こんな大樹が生えている島があるなんて、見たことも聞いたこともないのに、と訝しがっていたけれど」
「でも、あるものはあるわよね。空の見え具合とか、季節柄とか、そんな風なことの所為で、この島を見付けられた人は数少ない、と言うだけじゃないかしら」
丸くした目を更に見開き、小さな子供のように口を開いたまま世界樹を見上げ続けるアーサーに、アレンとローザは気楽な感じで言いながら、くすりと笑った。
「それにしても……、本当に伝説通りですね。世界樹は、僕達の世界の空を貫いて、勇者ロトの世界にまで枝を伸ばしているって話も、信じられます。……と言うか、信じるしかないです。う、わー…………」
あ、二人して笑って! と拗ねてみせつつも、アーサーは、天を突く大樹のみを見詰めながら、感激し切った風な足取りで、先頭切って島の深部へ向かい始める。
「アレン! ローザ! 早く、早くー!」
「はいはい……」
「んもう、アーサーってば、はしゃいじゃって」
少しでも早く世界樹の根元に辿り着きたい彼に急かされ、アレンとローザも歩みを進め、
「アーサー?」
「どうしたんだ、アーサー」
流石に、この島には魔物は出ないようだからと、軽い足取りで進んだ彼等が世界樹の根元に到着した時、それまで賑やかに喋り続けていたアーサーが、いきなり黙り込んだ。
「凄い……です。本当に凄い…………」
突然、どうしてしまったのかと、ローザやアレンが話し掛けても、長らくアーサーは沈黙を保ち、やがて、ぽつ……っと、溜息混じりに洩らした。
どうやら彼は、目の当たりにした世界樹に、感極まっていたらしい。
「……ええ。私もそう思うわ。でも……、以前も思ったし、今日も思うけれど。ここは凄過ぎて、少し怖くすら感じるの」
「『怖い』、ですか?」
「そう。……私はここを、少し怖い所だと感じてしまうの。世界樹だって、私達のこの世界をお創りになられたルビス様が創られたのでしょうに。…………でもね。前にここを訪れた時に、同じことをアレンに言ったら、それは、畏怖なんじゃないか、って。ルビス神が生んだものだから。この大樹も、神や精霊に連なるものだから。神の世界のものだから。神や精霊は、人とは掛け離れた遠い遠いモノで──それこそ、僕達には手の届かない夢のように遠いモノで、だから、怖いと感じることもあるんだと思う、って、そうアレンに言われたの。だから、ああ、そういうことなのかも知れないって、私も思ったわ」
放っておいたら感涙に咽び泣いてしまいそうな風情さえ窺わせ始めた彼へ、ローザは、前回、この場でアレンと交わした話を披露し、
「ローザ、その話は…………」
こんな話、アーサーに聞かせたら叱られるかも知れないとも言ったのに、何でバラす? とアレンはばつが悪そうにした。
「人とは掛け離れた、遠い遠い──手に届かない夢のように遠いモノ……………………」
「………………あー……。アーサー? その、ローザに言ったことは、僕の只の感想でしかなくて、だからどうこうと言う訳でもなくて…………」
すれば、アーサーは急に何やら考え込み始め、アレンは、自称・司祭な彼の機嫌を損ねてしまっただろうかと、言い訳を探したが。
「……ああ、アレン。別に、今の話が、自称・司祭としては聞き逃せない、とか、そういうことじゃないんですよ。唯、僕は、神や精霊と言うものを、アレンが感じたように捉えたことは一度もなかったな、と思っただけなんです。ですけど、アレンのそれは、或る意味では正解かも知れません。確かに、言われてみれば、神や精霊は人とは掛け離れた存在だって、僕も思えますから」
気分を害した訳じゃない、とアーサーは穏やかに笑った。
「そうかな……」
「はい。────それよりも。アレン。ローザ。有り難うございました、僕をこの島に連れて来てくれて。……も、すっごく感激です」
「え? いや、ここに来たのは、もう一度、世界樹の葉を──」
「──それは、建前ですよね? 僕が、世界樹を探しに行きたいって言ってたからですよね? ザハンを出る頃から、アレンがそんな風に考えてくれてたの、判ってたんですよ」
「あらら。アレン、アーサーはお見通しだったみたいよ、貴方の考えなんて。……私も知ってたけれど」
「………………違うったら。二人が、万が一の時の為に世界樹の葉を手に入れておいた方がいい、と言っていたからっ」
「…………そうですねー」
「…………そうだったわねー」
「でも、それって、どっちに転んでも、二度目の世界樹の島行きは、アレンじゃなくて、僕達が望んだからってことになりますよねー、ローザ」
「その通りよねー、アーサー。……嫌ね、素直じゃないって」
「え、ええと……。────世界樹! 世界樹の葉を探そう、ほらっ!」
直後。
三人の会話は、『何故、再び世界樹の島に来ることになったのか』へと移り、アーサーとローザに図星を指され、且つ、ニヤ……っと笑われてしまい、頬を赤く染めたアレンは、二人に背を向け、全く意味を成さない取り繕いに励んだ。