「ベホマ!」
「ベホイミ!」
だが、一度は地に伏した身を、アレン達は直ちに立たせた。
ローザは、閃光と爆風に切り刻まれたアレンにベホマの術を掛け、アーサーは、ベホイミで以て彼女と自身を癒した。
「イオナズン……。…………やってくれる……っっ!!」
彼等の誰もが名だけは知っていた、が、アレンは固より、アーサーも、ローザでさえも見たことなどなかった、最高位の攻撃呪文の一つであるイオナズンを、目の前で呆気無く、しかも魔物に使役され、右腕に嵌めたドラゴンキラーを一振りしながら、アレンは、頬にこびり付いた血や泥を拭う。
「アレン、大丈夫ですか?」
「ああ。今は未だ、な」
「なら、少しの間だけ時間を稼いで貰えますか。魔封じ──マホトーンを試してみます」
「試してみる価値は……あるわね」
「判った。──アーサー、頼む。ローザは、効く限りルカナンを。限界まであいつの魔力を抑え込んでくれ」
「ええ。────精霊よ、ルカナン!」
再度、しっかりと大地を踏み締め、魔物の前に立ちはだかった三人は、それぞれ構えを取りつつ小声で策を立て、アーサーは、掲げた魔導士の杖に魔力を注ぎ込みながらマホトーンの詠唱を始め、ローザはルカナンを唱え、アレンは神官の懐に突っ込んだ。
『ロトの血! 忌々しいロトの血!! 今この場で滅せ、悍
「悍ましいのは、悍ましい真似をしたのは、貴様達だ!」
『ほざくな、ロトの末裔共が!』
真っ直ぐ体の芯を抉る風に繰り出されたドラゴンキラーに、魔物は、何時しか手にしていた一振りの杖で挑み返し、得物と得物を打ち付け合いつつ力比べを始めた魔物とアレンは、互い、叫び合う。
「風の精霊よ、応えよ。──バギ!」
そこへ、アレンの加勢にと、ローザはバギを放ち、
『オオオ!』
地を滑る音立てて身を引いた神官は、両手で掴み直した杖を天高く掲げた。
掲げられた杖は、今宵は星一つ見えない墨色の空より雷を招き落とし、バギの風を打ち払う。
「……………………ま、さか……。まさか、それは…………」
『イオナズ────』
幾重もの薄刃と化す精霊の風をも掻き消す雷を呼び寄せた、魔物の操る杖にローザは驚愕で目を見開き、驚きで動きを止めてしまった彼女など眼中にも無い風に、神官は再びイオナズンを唱え掛けたが。
「────……よ、応えよ。──マホトーンっ!!」
魔物の掌中に集った魔力が解放されるより僅かだけ早く、アーサーがマホトーンの詠唱を終えた。
パキン、と甲高い音を立てつつ、神官を取り巻いた見えない何かが硬質な煌めきを放つと同時に、その歪で鋭い爪の生えた掌中に生まれた閃光は、ふっ……と四散する。
『ロトの血………………っ!!』
放たれる直前だったイオナズンの消滅に、魔物の神官は耳を塞ぎたくなるような怨嗟の呻きを上げ、刹那、咄嗟に身を屈めたアレンは、勢いを付け、真下から魔物の喉元を突いた。
ドラゴンキラーの切っ先は深々と神官の喉を抉り、それでも尚、彼は、掻き抱く如くに廻した左腕を魔物の頭に絡み付かせ、右腕に一層の力を込めて。
『グ、グァ………………』
掠れた断末魔が洩れた時、銀色の切っ先が、魔物の肌と同じ、青い色した血らしきモノを纏いながら、神官の首を貫いた。
…………音もなく得物を引き抜いたアレンが、両足を地に付けた一拍後、魔物の神官は、その場に崩れ落ち。
「う……うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!! あの魔物を! あんな術さえ使った魔物を、アレン殿下が!!!」
彼等と魔物の戦いを遠巻きに見守っていた兵達や、何事かと城内から飛び出して来ていた者達が上げた、それはそれは大きな歓声が、王城の前庭全てを満たした。
「どうして…………」
しかし、耳劈く歓声も、父母や故郷の仇の一人を討ち取った感慨すら存在していぬ風に、ローザは呆然と、倒れた魔物の傍らに膝付き、そこに転がる、天より雷を招いた杖を手にする。
「……ローザ」
「ローザ。大丈夫ですか?」
声音も何処か胡乱な彼女の両肩を抱いたアレンは、手を貸しながら、そっと促し立ち上がらせ、アーサーは、気遣いつつその背を摩った。
「その杖が、どうかしたのか?」
「…………これはね、雷の杖よ」
「雷の杖? え、ロト伝説に出てくる、あの杖……?」
「そう。勇者ロト達が、空の彼方の異世界より、この世界に携えて来た神具の一つ。……ムーンブルクが、ロンダルキアをも治めていた遠い昔。王家が精霊の為の二つの塔を建立した時、雷の塔に祀った品の一つだとも言い伝えられている杖。誰が、何の為に、雷の杖をムーンブルクに伝えたのかは、今でも判っていないけれど。確かにロンダルキアの雷の塔に納められていた筈の、百年と少し前までは、王家の家宝の一つだった杖……。…………なのに……、なのに、雷の杖まで! お父様やお母様や、皆を奪ったあいつらに! ……お父様、お母様…………っ!!」
魔物との対峙の最中は、アレンもアーサーも意匠までは意識出来なかった、ロト伝説にもその名を残す『雷の杖』なるそれは、かつて、何者かがムーンブルク王家へ齎した、勇者ロト縁の神具だ、とのローザの語り通り、宝玉を掲げつつ翼を広げる神竜の姿を象った像が尖端に冠されているばかりか、神具と呼ばれるに相応しい氣を放っていた。
ローザの身の丈と同程度の大きさで、見た目は酷く重そうだったが、実際は、彼女でも片手で扱える程に軽く、されど、アレンのドラゴンキラーとの度重なる打ち合いを経た今も、傷一つ見当たらず。
神や精霊の加護を受けた品であるのを疑う余地は、何処にも無かった。
「ローザ…………」
「その……、ローザ……」
竜王の出現と共に起こった地殻変動で、ムーンブルク大陸とロンダルキア大陸とが、高い高い山脈で隔たれてしまった百年と少し前までは、ムーンブルク王家の、しかも勇者ロト縁の家宝だったにも拘らず、王都が滅んだあの夜、魔物達に振るわれたやも知れぬ雷の杖を胸に抱き締め、詰まる声を絞るローザに、アレンもアーサーも、掛ける言葉を失う。
「────アレン」
そうして、何時しか迸っていた人々の歓声も途絶え、静けさを取り戻した前庭の直中に立ち尽くすしかなくなった三人の許へ、甲冑で身を包んだローレシア国王と、同じく、戦支度をしている王妃や宰相がやって来た。
「父上…………」
「其方達は、何を仕出かした?」
「……申し訳ありません。我々は、陛下のお言葉に背き、地下牢に立ち入りました」
「………………そうか。────では直ちに、先程の騒動に関する申し開きをしてみせよ。些かでも得心出来ぬことあらば、只ではおかぬ」
「…………御意に」
アレンやアーサーが居た堪れぬ顔をしているのも、ローザが今にも泣き叫んでしまいそうな様子を見せているのも見ぬ振りをし、慌てて傅いた息子達の眼前に立った国王は、厳しいだけの声で三人へ言い付けると、城内へと踵を返した。
その直ぐ後に、王同様、厳しさばかりを面に浮かべた王妃や宰相も無言で続き、アレン達も、重い足取りで後を追った。