玉座の間のあるローレシア王城二階から、アレンが自室目指して階段を昇り始めた頃には、既にその日の朝日は昇り切っていた。
致し方なかったし、自ら腹を括ってしたとは言え、己達が知った何も彼もを父王達に打ち明けたのを、どうしても、彼はアーサーとローザに詫びなければ気が済まず、が、もう夜明けも過ぎた今では、疾うに二人も休んでしまっているだろうと、僅かだけ肩を落として疲れた足を運ぶ彼の背へ、「疾っくに……」と思い込んでいた二人の声が掛かった。
「アレン。お疲れ様でした」
「漸く、陛下からお許しを貰えたのね。良かったわ」
「あれ? 二人共、未だ休んでいなかったのか?」
少々丸め加減にされたアレンの後ろ姿を、偶然見掛けたのだろうアーサーとローザは、口々に言いながら足早に階段を昇って来て、立ち止まり、振り返った彼は、着替えも済ませていない二人を訝しむ。
「ええ。お手伝いをしていたんです。ローレシアは、城仕えや軍属の魔術師が少ないと、以前から聞いてましたしね。お医者様の数も足りてないみたいでしたから」
「手伝い? 術師や医者の?」
「あの騒ぎで怪我を負った兵達の手当ての手伝いよ。アーサーも私も、治癒魔法を使役出来るのだもの。折角の術は、生かさなくてはね」
「兵達にも他の者にも、物凄い勢いで恐縮されて、殿下方に衛生兵の真似事なんか、とか何とか散々言われちゃいましたけど、人命が懸かっていましたから、ローザと二人で、強引に押し切っちゃいました」
「……と言う訳。差し出がましいかしら、とか、却って貴方や陛下を困らせてしまうかしら、とか、外交問題に発展しないかしら、とか、思わなくもなかったのだけれど……、命の方が大切だから」
「…………そうだったのか。すまなかった、二人共。疲れていただろうに……有り難う」
三人並んで歩きながら、玉座の間を辞してから今まで、二人が何をしていたのか聞かされ、アレンは、ローレシア兵達の命を救ってくれたアーサーとローザへ心からの感謝を告げて、頭も下げた。
「いいえ。こういうことに、身分がどうとか、国がどうとかは関係ないと僕は思っていますし、人として当然のことを、って奴ですから」
「ええ。私も、そう思うわ。当たり前のことをしただけ」
「……うん、でも。有り難う。あー、それと。実は、二人に詫びないといけないことが……────」
でも、アーサーもローザも、するべきことをしただけ、と制してきたので、もう一度だけ礼を言ってから、彼は、二人にしたいと思っていた詫びのことへと話を変える。
「…………あー、成程……」
「白状させられてしまったのねえ……」
「ああ。……まあ、僕一人で、父上や爺やや、あれだけの面々を向こうに回した処で勝てる筈も無いんだが、想像以上に、きっちりヤられてしまって…………。……御免」
「いえ、それこそ、仕方無いですよ。陛下や宰相殿と僕達とでは、踏んだ場数が違い過ぎますし」
「そうねえ……。一国の王や宰相として長らく過ごされてきた方々と、未だ、王の名代しか務めたことのない私達では、勝負にならないわね。だから、気にしないで、アレン」
「すまない…………。──兎に角、そういう訳で、又、僕達の旅に絡むことでも、考え直さなくてはいけない部分が出てくるかも知れないんだが。もう、こんな時間になってしまったから、諸々を決めるのは、一旦休んでからにしよう」
「ですね」
「ええ。又後でね」
「朝に言うのは、少し変な気分だが。……二人共、お休み」
つい今し方まで『吊るし上げ』を喰らっていたことや、その結果、隠し通すつもりだった話まで洗い浚い白状してしまったことを詫びて、アレンは、客間の前まで二人に付き添い、就寝を告げてから別れた。
アーサーもローザも、笑顔こそ浮かべていたが、酷い疲れを抱えているらしいのを隠せておらず、彼自身、魔物との戦い以上に、長時間に及んだ説教と『吊るし上げ』の所為で覚束無い足取りになり始めていたので、何をどうするにせよ、充分に休んでからと、足早に自室に引っ込み、残り僅かとなった気力を振り絞って、女官達が気を利かせて支度しておいてくれた湯を使ってから、飛び込むように寝台に横になった彼は、瞬く間に眠りに落ちた。
────しかし。
それより一刻と経たぬ内に、主に精神的な疲れに与えられた深い眠りより、アレンは、無理矢理に引き摺り上げられた。
二間続きの自室の奥の間に当たる、寝所の扉を激しく叩く何者かによって。
「アレン! アレン! 起きて下さい、アレン!」
「……うる、さい………………」
「アーレーンーーーーーー!!」
「ん……? アーサー…………?」
無遠慮な上に不躾に扉を叩きながら声高に己が名を呼ぶ誰やらに、思わずの文句を吐きつつ、彼はくらくらと揺れる頭を何とか擡げ、そこで漸く、叫んでいるのはアーサーだと気付いた。
「何なんだ……。女官や侍従は何をして…………。…………何か遭ったのか……?」
誰かの訪れを取り次ぐのも役目の女官や侍従達でなく、何で、アーサーが直接? と怪訝に思った処で、やっと、寝不足の所為で働きの悪かった頭が動き始めてくれ、慌てた彼は、夜着の上に薄い上着だけを引っ掛けた姿で、寝所から飛び出る。
「アーサー? どうした?」
「御免なさい、無作法で。でも、一寸大変なんです。ローザの様子がおかしくて……」
「ローザが?」
「ええ。早く来て下さい、アレン。……あ、後で、アレンからも女官達に謝っておいて下さいね!」
寝所の扉に張り付かんばかりに立っていたアーサーも夜着に上着を羽織っただけの格好で、何事かと目を丸くしたアレンへ、珍しく心底からの焦り顔を見せている彼は、ローザが、と言うや否や、アレンの腕を引きつつ走り出した。
そうして、二階下の客間へと向かいながら、彼は事情を語り始める。
────アレンと別れて直ぐ、彼と同じく湯浴みだけを済ませ、酷い疲れが齎した眠りに付いていたアーサーは、少し前、隣室──ローザが使っている客間から伝わってきた喧噪に起こされた。
その時点では、彼も、急な目覚めだった為に頭がぼんやりしていたらしく、うるさい、としか思えなかったのだけれども、騒ぎは大きくなる一方だったので、どうしたのだろう、と気になった彼は、少し様子を見るだけのつもりで、着替えもせず廊下に出た。
すれば、おろおろとした様子で、忙しなくローザの客間へ出入りする女官達や、王女殿下の寝所へ立ち入る許しを求めている侍医に出会し、只事ではないと悟った彼が、着替える間も惜しんで女官達に事情を尋ねたら、「つい今し方まで静かにお休みになられていたローザ殿下が、突然、大声で悲鳴を上げられ始めた。悪い夢でもご覧になられてしまったのではと思い、お慰めしようとしたけれど、一向に落ち着かれず、更には泣き叫び始めてしまわれたので、もしや、お加減が悪いのではと侍医を呼んだ」と、彼女達は訴えた。
その為、アーサーは、そのまま廊下にて侍医がローザを診終えるのを待っていたのだが、待てども侍医は出て来ぬし、ローザの物らしき叫びは大きくなる一方で。
一瞬、体を張って制止して来るだろう女官達を振り切ってでも、ローザの寝所へ飛び込もうかと彼は考え、が、流石に、ローレシア王家の客人として滞在中の、ムーンブルク王家の王女殿下の寝所に、同じく王家の客人である、サマルトリア王家の自分が強引に踏み込むよりも、この城の主の一人であるアレンが踏み込んだ方が、未だ問題が少なくて済む筈、と思い直し、直ぐさま、アレンを叩き起こすべく駆け出し……────。
「──…………そうか……」
「ええ。夕べは、雷の杖が……、なんてこともありましたから、落城の夜のこととか、お父上やお母上のこととか、思い出してしまったんじゃないかとは思うんですが……。兎に角、落ち着かせないと」
「そうだな……。急がないと、体にも障ってしまうかも知れない」
「はい。……入れて貰えるといいんですけど…………。……あーもー! 王族って、こういう時は激しく面倒臭いですっっ」
「確かに。だが、入れて貰えずとも入る。後で、母上や女官長に張り飛ばされるだろうが、そんなこと言っている場合じゃない」
結局、アレンの部屋に入る為、女官達の制止を振り切ることになってしまったアーサーは、駆けながら、王族はーー! と叫び、事情を知ったアレンも、後が恐いが……、と言いつつも一段と足を早めた。