数刻以上を要した、竜王の曾孫との『一時』が終わった時には、地上ではもう疾っくに日没を迎えていて、何を思ってか、「泊まって行け」と、まるで気安く親族を誘う如くな口振りで言ったきた『竜ちゃん』に促されるまま、三人は、竜王城で一晩を過ごすことにした。
正しくは、地上に戻るとか、船に帰る等々の、当然以前の行動を取る余裕も、帰ろうと思い至る余裕も失くし、ぼんやりと様々に思い巡らせている内に『竜ちゃん』の思う通りに事を運ばれてしまった、と言うのが真相で、だが、そうと気付いても誰にもどうする気力も生まれず、彼等は何処か夢現に時をやり過ごし始める。
アーサーやローザは、それぞれ、好きに使えと『竜ちゃん』に言われた部屋に籠ってしまったが、一つ所に留まる気になれなかったアレンは、ふらふらと辺りを彷徨い歩き、やがて、玉座の間へ足先を向けた。
「流石に、眠る気にもなれんか?」
玉座の間──曾祖父アレフと竜王が雌雄を決したその場所には、どっかりと玉座に腰下ろした竜王の曾孫がいて、
「あんな話を聞かされて直ぐ、引っ繰り返って眠れる程、僕の肝は太くない」
うるさい、とアレンは彼を睨み付ける。
「充分、其方の肝は太いと思うがのー。未だ、そうやって憎まれ口を叩ける程度には」
「……嫌味か?」
「嫌味じゃな」
「…………だから、僕はお前が嫌いだ」
「そうか。良かったのぅ。それだけでも、旅に出た甲斐があったと言うものではないか。絵に描いたような、理想のローレシア王太子としてだけ在ろうとしていた頃の其方に比べれば、人間的にと言う意味で、随分な進歩じゃなー」
「……っっ、お前が何時から、何を何処まで悪趣味に覗き見していたのかは知らないが、お前に僕の何が解るっ!?」
「何も。解る訳無かろう。其方に儂が解るか? 解らんじゃろ? ……同じことだ」
「それ、は…………」
けれども、毎度の軽い調子で彼にやり込められて、唇を噛み締め俯いたアレンは、部屋の隅に寄り、壁に凭れて踞った。
「激しく落ち込んどる勇者と言うのも、鬱陶しいもんじゃな」
「余計な世話だ。それに、僕は、勇者なんかじゃ──」
「──其方は勇者じゃよ。其方が望もうと望むまいと。それが、ロトの血に負わされた運命で、故に、アレクとアレフは呪いと呼んだ。アレクにしてもアレフにしても、自ら望んで勇者となった者達で、自身の選択に後悔はなかったが、自らの決意で勇者足ろうとする者以外に、血筋のみを以てして『勇者の運命』を押し付けることは許せなかった。奴等とて、勇者である以前に、アレクであり、アレフだ。己が己であることより先に『勇者』が立ってしまったら、それは、魔王を討つ為だけに神が創り上げた、只の人形と言う」
「……じゃあ、僕はその、只の人形だと言いたいのか」
「そうじゃな。今の其方は、只の人形かも知れんし。其方の祖先達が例えたように、呪われし者と言えるかも知れん。二人の勇者が信じた通り、ロトの血が神の呪いでしかないなら、其方は神に呪われし者で、その身に掛けられた呪いは死しても解けぬ。じゃが、例え呪いは解けずとも、其方の生涯を、只の人形のまま終わらせぬようにするのは叶うのではないか?」
目に余る程に鬱陶しい様を、儂の目の前に晒すなと、嫌そうに細めた目でアレンを見遣りながらも、『竜ちゃん』は、そんなことを言った。
「…………おい。竜の王」
「……竜の王、か。どの意味で言うとる?」
「文字通りの意味だ。神の眷属たる竜族の王」
「………………だと言うなら、返事をしてやる。──何じゃ?」
「どうして、あの話を僕達に教えた? 親切心からとは思えない。僕達が、お前の言う『真っ当』になれたから、とも思えない」
だから、と言う訳ではなかったが、アレンは、竜王の曾孫を視界の中から追い出したまま問うて、
「……一言で言えば、意趣返し、と言った処かの。復讐と言い換えても、敵討ちと言い換えても良いが」
肩を竦めつつ、竜の王は答えた。
「お前の曾祖父を殺した勇者の末裔への?」
「いいや。神への」
「神?」
「そうじゃ。其方の言う意味で、儂や儂の血族が恨む相手はアレフであるべきであって、其方でも、アーサーでもローザでもない。アレフを恨む気もないがの。──くどいようじゃが、曾爺様や、伝説の二人の勇者が最後に辿り着いた答えが、隠された真実なのか、彼等が見た只の幻影なのかは、儂にも解らん。但、彼等が一様にそう信じたのだけは事実で、曾爺様が神を恨んでおったのも真の話で。故に、曾爺様達が、生涯を終えても信じたそれが真であるなら、この時代を生きる『ロトの血』に、神にしてみれば知られたくなかろう話を伝えてやるのは、神への細やかな意趣返しにはなるじゃろう? 言い伝え通り、神が、天上に腰下ろしながら世の全てを見通す力を持っているならば、今頃、渋面をしとるかも知れんし? そんな想像を廻らすだけで、少なくとも、儂は愉快だ」
「…………本当に、暇なんだな、お前」
結局の処、其方達に付き合って、長々と話も聞かせたのは、神様への嫌がらせ、とケラケラ笑う竜の王に、アレンは心底呆れたが、
「そうでもない。其方達の旅を、悪趣味に覗き見する、と言う楽しみ程度はある」
「………………何処までも、嫌味ったらしい」
「それが嫌なら、からかわれるとこの上無く痛快な反応を見せる、己の性格を改めるんじゃな。融通が利かせぬまでに真面目で頑固な石頭と言うのも、『お化け』になって其方にベットリ張り付いとるかも知れん先祖共に、心配を掛けるだけじゃぞー?」
「え。ロト様と曾お祖父様が? お前に視えるのか?」
「……かも知れん、と言うたじゃろうが。そうまで簡単に顔色を変えられると、却ってつまらん」
又、彼は、竜の王に良いようにからかわれた挙げ句、弄り甲斐があり過ぎて却って面白くない、と逆に呆れられた。
「…………あー、もう、うるさい……っ」
「儂の居場所に潜り込んで、突っ掛かってきとるのは其方じゃろうが。全く…………。────仕方無い。何時までも、とーーーても落ち込んどる勇者殿の為に、儂が退散してやるとするかの」
だからアレンは、幼子が駄々を捏ねるような振る舞いをするしかなくなって、ブツブツブツブツ零しつつも、竜の王は、ふいっと何処へと消えてはくれた。
────それより、己以外の姿が消えた玉座の間で、壁の隅に踞ったまま、アレンが、色煉瓦で埋め尽くされた冷たい床だけを見詰め出して長らくが経った頃。
静かな足音が近付いて来て、ぴたりと彼の傍らで立ち止まった足音の主は、何も言わずに彼へ背を向け、その場に踞って両膝を抱えた。
ちらり、と横目を流してみれば、そこにあったのは己に寄り掛かる風にもしているアーサーの背中で、もぞりと身を捩ったアレンは、同じく己が背を彼に向け、そのまま押し付けるようにもしてから、再び黙りを決め込み、
「………………あのですねえ、アレン」
二人が、背と背を押し付け合いながらも互い沈黙を保ち、暫くが過ぎた時、ポツリと、アーサーが言い出した。
「……何だ?」
「正直、何処まで信じていい話だったのかなあ……、なんて、今でも思ってますけど。竜ちゃんにあんな話を聞かされたので、僕は今、少し錯乱してるみたいなんですね。でも、丁度いい機会かな、と思わなくもないんで、錯乱したまま、アレンと少し話をしようかと思って」
「錯乱したまま、どんな話をするつもりなんだ?」
「今まで、アレンとローザには内緒にしてきた僕の本音、みたいな話ですね。…………実はですね。僕、リリザで十数年振りに再会した時から、アレンのこと、物凄く羨ましく思ってたんですよね。少しでも気持ちが拗れたら、アレンを憎んでしまったかも知れないくらいに」
……そうして、アーサーは。
アレンに背を向けたまま、そのくせ彼に寄り掛かりつつ、そんな話を始めた。