翌朝。
三度目の正直ならぬ四度目の正直! と思って昨日ここを潜ったばかりなのに、五度目の正直になってしまった、と冗談めかして語り合いながら、三人は、又、ロンダルキアへ続く洞窟の入り口を越えた。
──『五度目の正直』なので、彼等には、良い意味での慣れが生まれていた。
これまでに落ちまくった、お陰でポカリと口を開いたままの落とし穴達は、足許に気を付けて避けるだけで済んだし、二階層の無限回廊も、チラリと壁や床の目印を確かめるだけで凌げ、三階層の迷路も同じ要領で抜けられた。
その先の、崩れ掛けた床と柱だらけの階層では、流石に幾度か天然の落とし穴に引っ掛かったが、前回は、稲妻の剣が捧げられていた部屋へ落ちてしまった所為で見付けられぬままに終わった、何も無いだだっ広い部屋から上階へ行く為の道筋や階段も発見出来て、かつては雷の塔だった洞窟内を抜ける正規の道──だろう、多分──へ戻るのも容易になり、更なる上階へ向かう階段も見付けられたし、件の階段へ辿り着くことも、昇ることも出来た。
地階から数えれば『六階』と言うことになろう、五度目の挑戦にして初めて到達出来たその階層も、迷宮としか言えない複雑な造りをしていて、曲がり角の選択を誤る度、その階の出発点に戻されるようになっていたけれども、落とし穴のような罠は皆無で、記憶や、辻にぶつかる毎に付けた目印を頼りに進めば凌げる迷路だったので、大した苦労はなかった。
寧ろ、迷わされることよりも、その階を巣の代わりにしているらしいドラゴンの団体や、炎を撒き散らすフレイムや、主祭壇の間でもやり合った鋼鉄の絡繰り人形に幾度となく出会したことの方が遥かに厄介で、が、光の剣や力の盾や、ローザが会得したイオナズンを駆使して、彼等は魔物達を上手く退け。
────何故なのか、これまでよりも、洞窟内の所々に灯されていた篝火が疎らになってきた頃。
少年期を抜け掛けているとは言え、未だ、青年よりも、少年少女との例えの方が若干だけ相応しい彼等が、縦一列になって進まなければやり過ごせないまでに狭い、されど真っ直ぐな通路が長らく続いた。
雰囲気や通路の造りや感じからして、これは、別の区画か何かへ続く口が顔見せる頃合いかも、と言い合いながら、長くて狭い直線を辿れば、覚えた予感の通り、先頭を行くアレンの目に、どうしてか目に刺さる光が映った。
「……何だろう。やけに明るくないか?」
「日の光みたいに思えますけど、それにしては、一寸」
「鏡に映したお日様の光みたいにも見えるけれど……」
視界に飛び込んできた光の見慣れなさに、篝火や燭台の火とも違うし、陽光が射し込んでいるにしては少々目映過ぎるな、と不思議そうにアレンは立ち止まり、彼の肩越しに、ひょい、と前を覗いたアーサーもローザも、揃って、んー? と訝しむ。
「………………行ってみる、か?」
「はい。それしか道は無さそうですし」
「ええ。でも、気を付けてね、アレン」
だが、来た道を引き返す以外には、目映過ぎる光の方へ進んでみる他なさそうで、それまでよりも速度を落とし、少しずつ進みつつ、同じく少しずつ光に目を慣らしつつ、三人は足を運び。
「…………あ……」
「外……?」
「外ですね……!」
────ぽかりと空いている『口』から溢れる目映い光に充分目を慣らしてから、最後は上り坂になっていた狭い通路を辿り切った彼等の目の前に、一面の『純白』が広がった。
慣らしたつもりだったが、瞳は、一面の純白が光なのか色なのか、咄嗟には区別してくれず、ツキリと痛んだ両目を庇って一歩だけ下がり、改めて目を慣らして再度足を踏み出してみたら、漸く、純白は、辺り一帯を真っ白に染め上げている雪だと判った。
…………そう、彼等の眼前に広がっていたのは、陽光を弾いて輝く雪原だった。
白色以外は何も見当たらない、広い平原を眺めてより視線を巡らせれば、青空と、雪原を取り巻く高い岩山の稜線の連なりも目に映り、自分達は、やっと、迷宮以外の何物でも無かった洞窟をやり過ごし、ロンダルキア内地に辿り着けたのだ、と三人は悟る。
「洞窟……、抜けられたんですね……」
「ああ。やっと、抜けられた」
「良かったわ……。本当に長い洞窟だったから…………」
真冬の直中に飛び込んでしまったような、されど美しくはある景色を眺めながら、もしかしたら永遠に彷徨い続けてしまうのではないだろうか、と感じられる瞬間すらあった洞窟を抜けられた感慨に、彼等は浸った。
「…………でも」
「はい。ハーゴンの神殿は、このロンダルキアの最も奥地だそうですから」
「この先も長そうね。多分、いきなりは乗り込めないでしょうから、例の祠を見付けられればいいのだけれど」
「そうだな。今でも祠が残っていれば、風雨くらいは凌げるだろうし、上手くすれば体も休められる」
「例の彼は見付けられなかったと言っていましたけれど、取り敢えず、北を目指してみましょう」
「ああ。駄目で元々だ。──山沿いに行こう。雪原を突き進むよりは、方角も見失わないで済むし、風当たりも弱いだろうから」
されど、何時までも純白の野の直中に佇んでいる訳にはいかなかった。
ロンダルキア内地へ続く洞窟も、そこを抜けるのも、三人にとっては単なる通過点でしかなく、目指すハーゴンの神殿は、未だ遠かった。
「それにしても、寒い……っ! 信じられないくらい寒いのね、ロンダルキアって」
「ですねー。サマルトリアよりも遥かに寒いです、ここ」
「……何か、こう……アーサーが言うと、あんまり寒く聞こえないのは何故なんだ……?」
「え、そうですか?」
「ああ。──しかし、寒いな…………。ベラヌールで、色々と買っておいて良かった」
だから、彼等は再び歩き出そうとして────でも、途端、ロンダルキアの寒さに、辺りを覆い尽くす雪の冷たさに、ふるりと震える。
「本当に。……って、ああ、のんびりしてる場合じゃなかったですね。アレンもローザも、早く暖かい格好をして下さい。帽子や頭巾や手袋も、ちゃんと着け直して下さいね。防寒がいい加減だと、凍傷になっちゃいますよー」
「アーサー、脅かさないで」
洞窟で行き会ったあの彼に極寒の荒野と言われていたけれど、ここまでとは……、と少々だけ慄きつつ三人は慌てて身支度を整え直し、諸々をしっかり着込んでから、改めて雪原へと踏み出した。
一度吹雪に見舞われたら一瞬で方角を見失うだろう雪原を、足を取られぬように強く踏み締めながら往き出して長らくが過ぎた頃、ベラヌールで防寒具を求めた際に、アーサーが、甘い飴だの氷砂糖だのも一緒に買い込んだ理由を、アレンもローザも思い知った。
その時は、「何故、そんな物を?」と訝しがり、荷物になるだけでは、とも二人は感じていたが、行くだけで、体力ばかりでなく体温も奪われる極寒の荒野越えに挑む時には、手っ取り早く栄養が摂れる甘味を携えるのが良いとアーサーは知っていたらしく、彼の知識の恩恵に預かれた、ここまでの寒さは初体験なアレンとローザは、思わず、己達の中では最も北国育ちな彼を拝み掛けた。
とは言え、アーサー自身、少しでも気を抜けば呆気無く遭難出来る程の積雪や寒さを体験したのは初めてのことで、知識として様々を知ってはいても、彼は、体力が追い付かなかった。
一番『寒さ』を知っているアーサーでさえそうなのだから、常春に近いムーンブルクが故郷で最も体力に乏しいローザは言わずもがなで、体力や持久力は兎も角、寒さには余り馴染みの無いアレンにも、ロンダルキアの環境は堪えた。
只、寒い、と言うことが、人の命など簡単に奪う凶器と化すと、自身の身を以て体感させられた。
暑さ寒さに関する文句は零してみても詮無いし、終わりの無い愚痴となってしまうから、気分を高揚させる言葉以外を口にするのは意識して控えたが、自然、三人の誰からも、「寒い……」との呟きは洩れ続けた。
────長く辛かった洞窟を抜け、ようやっと、ロンダルキア内地を自らの足で踏み締められたのに、辿り着いたロンダルキアそのものが、凶悪な魔物達よりも尚手強い、今の彼等にとっての『敵』そのものだった。