それでも、初日──雪原を往き出してから日没を迎えるまでは、未だ無事に過ごせた方と言えた。
アレン達が戦わなくてはならなかった相手は、雪と寒さのみで済んだから。
雪原を真っ直ぐ突っ切ると言う、洞窟の出口からロンダルキア北部へ向かう最短の道でなく、遠回りになると判っていても岩山の麓沿いを辿る道を選んだのが功を奏し、石洞──山肌を抉っている窪み状の場所も見付けられたので、寒風や、ちらちらと舞い出した雪を避けて休むことも出来た。
が、雪原に生える木々は、殆どが樹氷に覆われてしまっており、薪に出来る枯れ枝は見当たらなくて、火を熾すことは叶わなかった。
岩肌の窪みに籠って風雪から逃れても、体は芯から凍え、三人は、薄い毛布で包んだ身を寄せ合い抱き合って、夜と寒さをやり過ごした。
唯々、互いの温もりだけが頼りだった。
────生まれたばかりの獣のように、一塊になって過ごした一夜が明け、迎えたロンダルキア雪原にての二日目は、初日よりも尚厳しかった。
前日は青く晴れ渡っていた空は、朝から鈍色に曇っていて、午前の内から本格的な雪が降り始めた。
降雪は、やがて吹雪となり、古の頃の巡礼地だった祠へ急ぐ彼等の方向感覚を、幾度となく奪った。
地も空も、目の前の全ても白く染めていく、激しさを増す一方の雪の向こう側へ目を凝らして、何とか、山際の岩々を見付け出しては舐める風に伝い、北への進路を取り直して三人は進み続けたけれども、次第に、本当に自分達は北を目指して進んでいるのかと、彼等は己達を疑い始める。
それとて、疑い出したらキリがないこと、と判ってはいたし、常に、高い山々を右手に、しかも沿うように進んでいるのだから、今の処、方角を見失ってはいない筈、と何度も何度も自分で自分に言い聞かせたが、どうしても不安は残り、やがては、本当にロンダルキア北の祠など存在しているのだろうか、との疑いまで三人の胸には湧いて、様々な意味での不安は一層募った。
どうにもならず、進退窮まってしまった時には、一度諦め、ルーラでベラヌールまで引き返せば済むけれども。
叶うなら、もう後戻りはしたくない、と言うのが三人共にの本音で、胸に湧いてしまった疑いや不安が消せぬのと同じく、祠が今でも残っていたら、辿り着けたら、ルーラの契約印が置けるかも知れない、そうなれば、ハーゴン神殿へ乗り込む為の足掛かりに出来る、との期待も彼等には手放せなかった。
だから、多少の無理をしてでも……、とアレンもアーサーもローザも、吹雪の中、無理矢理に前を向き、黙々と歩いた。
ひたすらに、歩いて、歩いて、歩き続けて。
少し言うことを聞かなくなってきた足を、何とか動かして。
頭にも肩にも背の荷物にも、払っても払っても積る雪を、都度、払い落として。
…………やがて。
一時は酷かった吹雪が小雪へと変わった頃、そうして進む三人の前に、キラキラと輝くものが現れた。
始めの内は、偶然真っ平らに積った雪が陽を弾いているだけの、単なる光だと思った。
しかし、もう少しだけ進んだら、それは、湖面だと判った。
湖が、薄らと射し始めた陽を弾き返す、反射光だと。
「湖か。一寸、広そうだな」
「ええ。それに、凍ってるみたいですね」
「でも、湖面全部に氷が張っている訳でもないみたい。落ちないように気を付けないと」
行くに連れ、視界の大部分を占めるようになってきた湖は、予想よりも遥かに大きいらしく、且つ、半端な凍り具合で、ちょっぴりだけ厄介かも、と三人は顔を顰めたけれども。
見渡す限り、雪、雪、雪……、と言う景色が移り変わったお陰で、少々気分も変わり、足取りも若干だけ軽くなる。
「何時に出来た湖なんでしょうね。昔からあった湖なら、橋か何かあるでしょうけど、天変地異の時に生まれた湖だったら、渡り方、考えないとならないですね」
「うん。しっかり凍っている所を伝えば、対岸にも行けるとは思うけれど」
それまで以上に目を凝らし、手足の先が痺れるまでの寒ささえなければ、のんびり、綺麗だ、と鑑賞したくなる眼前の風景の隅々までを見渡して、アーサーとアレンは、どうやって湖を越えようか、と話し出し、
「ここまで寒いからこその景色なんでしょうけれ────。……あら。又、何か光って……?」
立ち止まって湖を眺め始めたローザは、又も、湖畔近くで、きらりと光る何かを見付けた。
「ん? 湖面の光じゃなくてか?」
「ええ。……ほら、あれ。湖よりも手前でしょう?」
「あ、本当ですね。何でしょうね。それに、動いてますよね。……え、動いてる?」
「…………僕の気の所為でなければ、こっちに向かって来てないか?」
「……気の所為じゃないみたい」
「ええと……。────あああああ! 魔物ですよ、あれっ!」
ローザが見付けたものは、水が光を弾いたそれに能く似ていて、只の見間違いかと思えたが、何だろう、と見守っている内に、光はモゾモゾと動き出し、剰え、かなりの勢いで彼等の方へと迫って来た処で、アーサーが悲鳴めいた叫びを上げた。
──彼の叫び通り、迫って来た光は魔物だった。
氷が炎と化したような形を取った、或る意味有り得ぬ姿の、自ら青白い光を放っている魔物。
それが、ぴょこぴょこと跳ねながら、四匹もの集団で、アレン達の方へと近付いて来ていた。
「さも、凍える吹雪とか吐きそうな魔物ですね」
「でも、ベギラマやイオナズンで溶けそうよね」
「それで、本当に溶けてくれれば話は早いが、魔力は温存しないとならないのだから、試すのは無しな。──構えろ」
何時までも気付かれずに済む筈も無いと思ってはいたが、漸く吹雪から抜け出せたばかりなのに、強さも戦い方も判らない、初対面の魔物達に出会した彼等は、敵へと向き直り、アレンの合図で一斉に得物を構える。
「光の剣! マヌーサ!」
「雷の杖よっ」
「はぁぁっ!」
アーサーは光の剣を翻してマヌーサの霧を呼び寄せ、ローザは杖を掲げて雷を招き、アレンは稲妻の剣を振るった。
……地吹雪を具現化させたような魔物達は、数こそ多かったものの、思ったよりも対峙するに容易かった。
氷の塊りな所為か、打たれ弱い、と言う意味で。
だが。
もう間もなく倒し切れると踏んだ魔物達の内の二匹が、ぴょこりぴょこりと、何処となく滑稽な動きで三人の攻撃を躱し、口らしき部分を動かして、何やらモゴモゴと呟き始めた。
『………………────。……ザラ──』
「ん……? えっ!? ────マホトーンっ!!」
呟きは小さく、更には、ロンダルキア大地に吹く冷たい風に遮られて殆ど聞こえなかったが、辛うじて拾った音が、死の呪文、ザラキの詠唱だと逸早く悟ったアーサーは、声高にマホトーンを唱える。
「アーサー?」
「ザラキです! 彼等は、ザラキを唱えようとしてたんです!」
「ザラキ? でも、もうマホトーンが効いたろう?」
「いいえっ。マホトーンを弾き返した奴がいますっっ!」
充分な休息もままならぬ大地を、何時まで往かねばならぬかも見えぬのだから、魔力は温存しつつ行こうと、夕べ、三人で相談して決めた戦法を無視して呪文を唱えた彼を、アレンが稲妻の剣を振るいつつ振り返れば、アーサーは厳しい顔付きになって叫んだ。
連中は、死の呪文を操るだけでなく、魔封じを弾き返す力をも持っていると。
「マホトーンを!?」
「はい! 気を付けて下さい! 身構えて────」
「────アレン!!」
だから、アレンも又、アーサー同様厳しい顔付きになり、残り二匹となった氷の化け物に向き直ったが。
握り締めた稲妻の剣を翻らせ掛けた彼を、ドン! ……と、ローザが、渾身の力で突き飛ばした。