─ End of the odyssey ─
「帰る……?」
だけれども。
どうしてか遠く響いた二人の声に、ぽつ……、とアレンは言い返した。
「アレン?」
「どうかして?」
「………………帰りたくない」
駄々を捏ねる子供に似た顔をして、不満気に洩らした彼の紺碧の瞳を、アーサーとローザが訝し気に覗き込めば、アレンは、ガッと勢い良く傍らの二人を抱き締め、嫌だ、と首を振った。
「本当に、どうしたんです? アレン」
「何が嫌なの?」
「……っ、例え、邪神が相手だろうと、諦めずに三人で戦って、そして勝って、三人で一緒に帰ろうと、そう言い出したのは僕だけど……っ! 嫌なんだ、帰りたくない……っ。戦いの終わりは、この旅の終わりでもあるのを、余り深く考えたことは無くて…………。……でもっ。戦いは終わってしまって、だから僕達の旅も終わりで、旅が終わったら、帰らなくちゃいけない……。今までみたいに、三人でいられない……っ」
「アレン…………」
「もう、旅に出る以前の毎日に戻るなんて、考えられないんだ……。二人がいない毎日に、耐えられる自信も無い。もしかしたら僕は、心の何処かで、この旅が終わらなければいいとすら思っていたかも知れなくて、だから…………っっ」
ぎゅうっと、抱き竦められた二人が息苦しさを感じる程の力を腕に込めた彼は、本心では叶わぬと判っている願いを口にし、大粒の涙すら零し始める。
「……アレン。それは……僕だって。叶うなら、ずっと三人で、こうしていたいです……」
「私もよ、アレン……。何時までも、この瞬間が続けばいいと、願わずにいられないの……」
こんな風に泣き濡れる彼を目にしたのは、アーサーにもローザにも初めてで、二人も、彼と一緒になって泣き出した。
…………彼等には、伝説の勇者ロトの末裔、との宿命の他に、持って生まれた運命がある。
祖国の王族としての。何れは故郷を背負い立つ者になる、との。
そんな運命を生まれ持った彼等に、このまま、三人で何処までも望みの旅を続けることは出来ない。
自由など無いのだ。
帰りたくないと思っても、別れたくないと願っても、決して叶わない。叶えられない。
少なくとも、彼等には。
……だから、泣いて泣いて、三人で、涙涸れるまで泣いて。
「………………御免。二人共。我が儘を言って……」
「……いいのよ。初めて、貴方の口から、貴方の本心からの我が儘を聞けたのだから」
「バレたら、色んな所から叱られる……でしょうけど。せめて、ルーラやキメラの翼を使って帰るのは止めませんか? まあ……そうは言っても、ロンダルキアの祠へはルーラを使わざるを得ないですけど、その先は」
「…………うん」
「ベラヌールの港で船長達に無事な姿を見せて。一寸、行きたい所に寄ったりもして。ルプガナのご老人に船をお返ししたら、僕達自身の足で、旅しながら帰──。……旅しながら、往きましょう?」
「……うん」
「私も、そうしたいわ」
帰らぬ訳にはいかないが、せめて、もう少しだけ、冒険者としての旅を続けよう、そうして、自らの足で国に戻ろう、と決めた三人は、漸く立ち上がった。
野営の道具を失った今、ロンダルキアの荒野は辿れぬので、彼等は渋々、ルーラで祠に戻った。
「勇者ロトの末裔達よ。其方達は、本当に良くやった」
シドーが降臨した際、全てのモノが、この世界が終焉を迎えようとしている、と感じ取ったのと同じく、破壊神が滅した刹那、迫りつつあった滅びの刻が去ったのも、世界の全てのモノに悟れ、それに加えて精霊であるが故にだろう、三人が、ハーゴン達のみならず、邪神をも討ち倒して生還したと既に知っていた守人と尼僧は、祠の入り口を潜った彼等を待ち構えていた。
「邪神が滅び、やがては、このロンダルキアの大地も崩れ去っていくだろう。儂も、随分と永い間、ここで人々の行く末を見守ってきたが……その役目も終わる。其方達とは、これでお別れだ」
ハーゴンは兎も角、何故、自分達が邪神との戦いをも制して帰還したと彼等に判るのか、やはり、アレン達には知る由も無いので、掛けられた言葉に、うん? と首傾げた三人へ、守人は感慨深そうに語り、
「おお、神よ! 伝説の勇者ロトの子孫達を、何時までも見守り賜え!」
神への祈りも捧げると、彼は、大きく天を仰いだ。
「アレン様。アーサー様。ローザ様。皆様のお陰で、人々は救われました。皆様のことは、今を生きる人々から、次の時代を生きる人々へ……。そうして、永遠に語り継がれていくことでしょう。──どうか、お元気で」
そして、一歩だけ三人へと進み出た尼僧は、深く頭を垂れる。
「…………ああ。──こちらには、随分と世話になった。感謝している。……それでは」
「大変、お世話になりました。有り難うございました」
「……さようなら、お二方」
だが、守人に告げられたことにも尼僧に告げられたことにも、言い知れぬ、複雑な心地を覚えてしまった三人には、何と返したら良いか判らず、礼と別れのみを告げた。
そこで誰もが口を噤み、無言のまま、『下』へと続く旅の扉を潜ろうとしたアレン達は、揺らめく白い床に足乗せる寸前、二度と逢うことは無かろう守人と尼僧を振り返ったが。
もう、彼等の姿は、祠の何処にも無かった。
ロンダルキア北の祠の旅の扉を伝い、次いで、南の祠の旅の扉を伝い、三人は、ベラヌールへ行った。
ベラヌール教会の最奥の、旅の扉の間から隠し通路を行き、祭壇の裏に出た彼等は今度は、床に両膝付いて、深々と身を折った教会の神父に出迎えられた。
「殿下方! お帰りなさいませ!」
祠の守人達は精霊だったから、人には知れぬことも知っていて、だから、ああして……、と考えられたが、何故、ベラヌールの神父もが、しかも、平伏するように自分達を迎える? と三人は唯々首捻り、
「ハーゴンを倒してお戻りになられたのですね! この世界に、終焉を齎そうしていた何かも……!」
「……すまないが、頭を上げてくれないか。それよりも神父殿。どうして、そのことを?」
「誰に教えられずとも判ります! 半日程前、俄に空が掻き曇り、爛れに覆われ、私のみならず街の誰もが、世界が終わりを迎えようとしているのだと察しました。恐らく、あの刹那の人々の悟りは、神のお告げだったのでしょう……。ですが、それより数刻、空は晴れ、爛れも消え去りました。……ええ、判りますとも! この空気の清々しさ! ここより旅立たれた殿下方が、世界の滅びを防ぎ、世に平和を齎して下さったのだと!」
訝しがる彼等へ、知れぬ筈が無い! と神父は興奮気味に捲し立てる。
「成、程……」
「…………えーと。そうなると……凄いことになってしまっているかも知れませんねえ……」
「街へ出て、大丈夫かしら……」
彼等にどう促されても、礼を尽くすことを止めない神父の様と話に、うわぁ……、と腰を引かせた三人は、微かに頬を引き攣らせたけれど、ハーゴン討伐を叶え、世界を滅びより救ったのは何者なのかは、極一部の者しか知らぬだろう、と言い合って、神父にも礼と別れを告げ、教会を後にし、水の都の往来を行き出した。