アレンが再度の危篤に陥った日。
そうと知った人々は、彼が倒れた日と同じく、王の自室の続きの間に詰めた。
沈痛な面持ちで祈りを捧げる彼等の姿は、半月前のあの夜の繰り返しで、寝所から出て来た侍医長が、アレンの容態を問う彼等へ身を小さくして頭を下げる様も、あの夜の繰り返しだった。
……いや、半月前は告げられなかった、「このままでは、陛下のお命は……」との宣告が続いた分、事態は重いと言えた。
「…………それは……。それ、は…………」
ローレシアで最も権威ある医師よりの宣告に、ローザは蒼白になり、留める周囲を振り切って、アレンの枕辺へと駆け出す。
「アレン! 嫌よ、私を置いて逝かないで!」
そう叫び、生死の境を彷徨いながら横たわるアレンに縋った刹那、彼の手に、今尚、あの手鏡が握られているのを目にした彼女は、小さな手鏡を粉々に砕きたい衝動に駆られた。
「……ローザ」
その、突如の想いに任せ、アレンの手から鏡を取り上げようとした彼女を、アーサーは留める。
「アーサー……。……だって! どうして、アレンは何時までも! 今でも……っ! この手鏡が、ロト様と曾お祖父様が、アレンを連れて行ってしまうかも知れない! アレンが、私達を置いて、伝説の勇者達の許へ、自分も伝説の勇者になって、逝ってしまうかも知れないじゃないっっ!」
「ローザ、落ち着いて下さいっ。お願いですから……っ。────侍医長殿。教えて下さい。アレンは、後何日保ちますか」
すればローザは声高に叫んで、アーサーは、涙を滲ませ始めた彼女を宥めつつ、その場の誰もが知らなければならないとは思っていた、けれど決して口には出来なかった問いを、侍医長へと投げた。
「……恐らく、保って四、五日かと……。陛下は体力がおありですから、上手くすれば、もう少しは。ですが…………」
「判りました。でしたら、後四日、いえ、三日、アレンを何とか。……頼みます。────宰相殿。お願いがあります」
言い辛そうに告げられた『期限』に、アーサーはしっかりと頷いて、今度は、ローレシア宰相へ向き直る。
「はい。如何なことでございましょう、アーサー陛下」
「ローレシアで一番速い船を、僕に貸して下さい」
「あの船をでございますか……? しかし、あれは、専属の隊と陛下以外の乗船は許されておりません。私は固より、王妃殿下ですら乗船出来ぬのです。如何にアーサー様と言えど……」
「無理は承知の上です。そこを曲げて下さい。乗船中は、決して船室から出ないと誓いますから。第一、何かの下心を出す余裕なんか、これっぽっちもありません。僕は、世界樹の葉を採りに行きたいんです。ローレシアで一番の船でなければ間に合わないんです」
そうして彼は、ローレシアの『国家機密の塊り』に、他国の王を乗せろ、と迫り出した。
世界樹の葉を採りに行く為に、と。
「アーサー……? 貴方、何を……」
「……判ってます、ローザ。僕は、神の定める理に逆らおうとしていると。世界樹も、世界樹の島も、精霊の加護を賜った者か、ロトの血を引く者でなければ目にすることすら出来ないと言う『特権』を、私欲で利用することだと言うのも。……でもっ。もう、それしか手が無いんです。世界樹の葉の持つ霊薬の力に縋れば、アレンは助かるかも知れない。神やルビス様に背いても構いません。僕だって、アレンを逝かせたくなんかないんですっっ」
「アーサー…………」
「あの頃に僕達が借り受けた外洋船でも、ペルポイから世界樹の島まで、凡そ四日で着けたんです。ローレシアで最速の船なら、恐らく二日で行けます。今直ぐローレシアを発って、ルーラでペルポイに行き、あの港から世界樹の島を目指せば、遅くとも、三日後には戻って来られます。……間に合います。間に合わせます、絶対」
病に倒れたアレンを救う為に世界樹の葉を求める。──……アーサーが言い出したその意味を、ローザは即座に理解し瞠目したが、彼は、例え何に背いてでも親友を失いたくない、と決意を秘めた顔になり、
「アーサー様。僕も、一緒に連れて行って下さい」
「俺も行きます、アーサー様。お願いします」
アベルとアデルが、同行を申し出た。
「……僕が出した『二日』は、乗船する全員が不眠不休での計算です。挙げ句、今は海が荒れる季節ですから、しんどいですよ。船酔いしている暇もありませんよ。こういう時、アレンは凄く厳しい人になりますけど、僕だって負けませんよ。いいんですね? だったら、今直ぐ支度を整えて来て下さい」
父の為に出来ることがあるなら、と一歩前へ進み出た兄弟を見詰め、アーサーは頷く。
「はい!」
「直ちに!」
「私は、港に報せを入れて参ります」
直後、二人は弾かれたようにアレンの自室を飛び出して行き、宰相も王子達の後を追った。
「アーサー……。御免なさい、アーサー。貴方にばかり……っ」
「いいえ。僕に出来ることですから。それよりも、ローザ。アレンをお願いします」
「判っているわ。……気を付けて、アーサー。アベルとアデルをお願い……」
「はい、勿論。あ、それと、後一つ。昔、竜ちゃんが譲ってくれたあの地図、未だありますよね? それも貸して下さい」
「あ、ええ。アレンが宝物庫に仕舞い込んだままの筈だから、取って来るわ」
そして、アーサーもローザも、アレンの自室を出て行った。
その夜も、翌日も、アレンは何とか持ち堪えた。
アーサー達がローレシアを発ってから二日目の夜も、容態は変わらなかった。
この分なら間に合うかも知れない。世界樹の葉の持つ力には、充分期待出来る。──二晩目の夜、ローザ達の胸には、そんな希望が湧いた。
……道理に外れているのは承知している。
ロトの血を受け継いだ自分達だからこその手立てであるのも。
これを、卑怯や特権と言わずして、何と言おう。
……それも、判っている。
急ぎ、ローレシアを発って行ったアーサー達にも、彼等の帰りを待ち侘びるローザ達にも、そんな思いは過り続けていたし、伝説の勇者達が『神の呪い』と例えた血筋を逆手に取るような真似をアレンは何と思うかと、後ろめたく感じもしたが、アーサーにもローザにも、形振り構うつもりは無かった。
アレンが助かってくれれば、それで良かった。
悩むのは、彼が救われてからでいいと割り切った。
何事も、命あってこそだ。
だから、アーサーもローザも、全てに目を瞑った。
アーサーは、一刻も早く世界樹の葉を手に入れてローレシアに戻ることに、ローザは、一刻も早くアーサー達が戻って来てくれるように祈ることに、全力を傾けた。
…………そうやって、彼等が過ごした三日目の午後。
何とか、今晩までには、とローザ達が必死に祈っていたアーサー達が、ルーラでローレシア王城前庭に降り立った。
三日以内に何とかする、との宣言通りに、アーサーは戻って来た。世界樹の葉を携えて。
そう、彼等は間に合った。
後は、世界樹の葉と言う名の、死に瀕した者すら救ってみせると言い伝わる霊薬が、アレンを助けてくれるかどうかだけ。
それこそ、神のみぞ知る、としか言えないことだけれども。
もう、賭けられる何かも、祈れる何かも、世界樹の葉だけだった。