「戻りました! ローザ、アレンは!?」

二十五年前のように、通常の外洋船なら四日前後は掛かる航海を、ローレシア海軍の中で最も速い船を更に急がせ、半分の二日で乗り切ると言う強行軍を果たした疲れを無理矢理に捩じ伏せて、城門から全速力で駆けてきたアーサーとアベルとアデルの三人は、アレンの寝所に飛び込んだ。

「母上! 父上は変わりありませんかっ!?」

「父上!」

もしも間に合わなかったら。世界樹の島を目指している間に、アレンが臨終の時を迎えてしまったら。……と気が気で無かったのだろう、アベルとアデルは、そのまま父の寝台に張り付いて、

「お待ちしておりました、アーサー陛下っ。有り難うございます!」

彼が差し出した世界樹の葉を受け取った侍医達は、葉を煎じるべく寝所より走り出て行く。

「アーサー。有り難う……。本当に、有り難う……っ」

「……出掛ける時に言いませんでしたか? 僕だって、アレンを逝かせたくないと。それに、昔から言ってますよ、アレンとローザは、僕の、大切で『特別』な二人だって」

少しだけアレンの寝台へ近寄り、遠目から、間に合ったことを我が目で確かめたアーサーは、ドサリと続きの間の長椅子に身を投げ出しながら、幾度も礼を告げてるローザへ微笑んでみせた。

「もう二十五年近くも前になるあの頃は、アレンに庇って貰ってばかりでしたし、あれから今日までも、随分、アレンにもローザにも助けて貰いましたから。三人共が君主になってからは、色々とお互い様でしたけど。……でも、こういう時くらい」

「……だから、有り難う」

「……礼なんて言わなくていいんですよ、ローザ。…………それに、今は未だアレンを逝かせたくないと言うのは、僕の我が儘でもあるんです。何時の日にかは、誰もが天に召されます。それでも、親友は亡くしたくないですし、ローザや二人の子供達の泣き顔も見たくありません。僕の家族が泣く処も見たくないですしね。……それから、もう一つ」

「もう一つ?」

「はい。…………三日前のあの時、ローザが、あの手鏡を壊してしまおうとした気持ちが、僕にも判らなくないんです。……あれから、二十五年近くも経ったのに。アレンは、あの頃の『何か』を──恐らくは、ロト様と曾お祖父様が『神の呪い』と例えたロトの血にまつわることを、手放していない気がしてならないんです。手放す気も無いんだろうな、と。ローザにも僕にも秘密の、そのくせ、ロト様と曾お祖父様とは語らえる『何か』を、決して手放さずにいるような……。……だから、そんな物ばかりを抱えて逝かないで欲しいんです……」

「……奇遇ね。私も、似たようなことを思っていたわ」

そうして、彼女へ向けた笑みを湛えたまま、とどのつまり、これは自分の我が儘だ、とアーサーが洩らせば、彼と並び座ったローザも、複雑な笑みを浮かべた。

「…………私ね。あの頃から今日まで、私ったらロト様と曾お祖父様に妬いているのかしらと、幾度思ったか知れない。……そういう次元の話で無いのは判っているの。判っているのだけれど、アレンは、私達よりも、ロト様や曾お祖父様の方に、より近いような気がして仕方無くて……。何時か、勇者としての使命を果たされたお二人が辿られたのと同じ路を、アレンも辿ってしまうのではないかしらと思うこともあったの。……だから、三日前のあの時、後数日の命かも知れない時でさえ、彼が手放そうとしない手鏡が、急に憎くなってしまって……」

「やはり、ローザも似たようなことを感じていたんですね。僕達二人共、口に出来なかっただけで。……だったら、ローザも僕も、アレンのことは言えませんね。……でも、ローザ。少なくとも今は、こんなこと忘れてしまいませんか。兎や角言っている場合ではありませんし、それこそ、こんな話はアレンの病が治ってからすればいいんですから」

「ええ。そうしましょう。何も彼も、世界樹の葉がアレンの病を癒してくれたら」

隣の彼へ、彼女は、ボソボソと想いを吐露し、結局、自分達三人の誰も、『ロトの血』を忘れ去れなかったのだろう、されど、今だけでも忘れてしまおう、とアーサーは言った。

今は、そんな話よりも優先しなくてはならないことがあるのだから、と。

四半刻程後、煎じ終えた世界樹の葉を注いだ器を、侍医達が盆に乗せて運んで来た。

ドロリとしたそれを、彼等がアレンの口に流し込むのを、家族や親友は固唾を飲んで見守る。

昏睡している者に煎じ薬を飲ませるのは一苦労以上だから、やり方はかなり強引だったし、手間取りもしたが、何とか、殆どを彼に飲み込ませることは叶って、

「アレン?」

「アレン……」

寝所に詰めた全員が、もし、これでも駄目だったなら……、と恐る恐るアレンの顔を覗き込み始めて暫し。

「………………不味い……」

ん……、と酷く顔顰めたアレンから、掠れ声で、ボソっと、文句が吐かれた。

「不味い。苦い。今の……、何だ?」

「アレン! 良かった、効いたんだわ!」

「世界樹の葉が、君を助けてくれたんです、アレン!」

随分と変な物を、無理矢理飲まされた気がする……、とブツブツ言いながら、彼は、この数日閉じられたままだった瞼も開き、ローザとアーサーは、より一層寝台へ身を乗り出す。

「何で、あんな不味い物……。……え、世界樹……? アーサー、今、世界樹の葉がどうとか、言わなかったか……?」

「はい。言いましたよ、世界樹の葉が君を助けてくれた、と。……知ってます。あの葉が、そりゃあ不味いのは、僕だって身を以て知ってます。でも、文句なんか言っちゃいけません、罰が当たります……っ。……良かったです……。アレン、良かった……っ」

「ええと……。すまない、アーサー。何が何だか、僕には能く判らないんだが」

「アレン……。貴方、もう少しで命が……。……だからアーサーが、アベルとアデルを連れて、世界樹の葉を採りに行ってくれたの……。三人とあの葉が、貴方を救ってくれたの……っ」

「ローザ。……ひょっとして、僕は危なかった……?」

「危なかった処じゃないわ! 今にも……っっ。……もう、馬鹿……!」

「本当に……、僕達が、どれだけ心配したと…………っ」

当人は、自身に何が起こっていたかの理解が及ばなかったので、二人に相次いで縋られ、涙声で訴えられても、きょとんとしていたけれど、頬に赤味や生気を取り戻し、しっかりした眼差しを人々に向け、はっきりした声で話すアレンの姿に、アーサーとローザは、強い安堵を覚えると同時に、彼を叱る余裕まで取り戻し、

「お父様っ。お父様……!」

「父上、良かったです……」

「あの。父上、その……っ」

子供達も彼に縋って、一番小さなロレーヌに至っては、わんわんと泣き出した。

「そ、うか……。お前達にも、随分と心配を掛けてしまったようだ。……すまなかった」

その辺りから、漸く、己が危篤だったとの実感が湧いてきたアレンは、申し訳なさそうに子供達の頭を撫で、

「アレン陛下。お体の具合の改めを……。後はもう、ご回復に向かわれるのを待つばかりかと思いますが、本当に、つい先程まで、陛下は……っ」

喜びや安堵を滲ませつつ進み出て来た侍医達が、彼を囲んだ人々を、そっと彼から引き離した。

「……ああ。すまない、お前達にも苦労を掛けた」

「そんな。陛下、勿体無い……」

「侍医長。後を宜しくね。続きの間にいますから、終わったら教えて頂戴」

「はい。王妃殿下」

「あ、ローザ。アーサーも、アベルもアデルもロレーヌも。有り難う」

────もう、大丈夫なのだと。もう、安心していいのだと。

確信し、侍医達に後を任せたアーサーやローザ達は、続きの間へと踵を返し、又後で、と笑顔を見せた彼等に、アレンは、にっこり笑って礼を告げた。